第46話 優しさを煮詰めた毒に全身を侵されている

 ディアは金色の鍵をもって、暗い廊下を走っていた。長く細い廊下だ。さっきから全速力で走っているせいで息は苦しいし、脇腹も痛い。でもディアは笑いながら走っていた。


 楽しくて、嬉しくて、笑いが止まらない。頬の肉が痛くなるくらい笑いながら、ディアは廊下の奥にある扉を開く。


「ルーナ! チーニ! 聞いて!」


 部屋の中に居る二人の名前を呼ぶ。手に持った鍵を振り回しながら、室内に足を踏み入れる。暗い部屋に明かりが灯る。


 ディアの足が止まる。

 ディアの思考が止まる。

 ディアの呼吸が止まる。


 ディアの視線の先には、二人の人影があった。血だまりの中で倒れる少女と、ナイフを握っている少年だ。無表情の少年が振り返って、ディアの鍵に視線を向ける。


「チーニ」


 ディアの口から声が滑り落ちた。裸足の少年はナイフを握ったまま、ディアとの距離を詰め、耳元に顔を寄せる。


「君が、そんなもの、求めるから。君が、誰かを救おうとなんかするから」


 少年の粘ついた声がディアの鼓膜にまとわりつく。


「君が、悪魔だから。これは全部、君が悪いんだよ」


 呟きながら、少年はディアの心臓にナイフを突き立てた。



 ディアは叫び声を上げながら、飛び起きる。荒い呼吸を整えながら、胸元を抑えて傷がないかを確認する。傷もナイフもないのに、夢の中で与えられた痛みだけが、しつこく心臓に残っていた。ディアは藁の中に体を沈めて、きらきらと光る天井を見上げる。


 朝も、昼も、夜も、変わらずにぼんやりと明るい天井から目を逸らすように、ディアは目を閉じた。瞼の奥にはいつだって、二人の友が居る。優しくて、温かくて、甘くて、思い出すだけで泣いてしまうような、愛おしい二人が。


「ねえ、知ってた? ディアの髪はさ、朝日で光るんだよ」


 記憶の中にあるチーニの言葉をなぞる。


「君の白い髪はただ、綺麗なだけだよ。君の赤い目はただ、まっすぐなだけだよ」


 小さな声で、言い聞かせるように、そっと記憶の中の優しさを撫でる。


「君は、ディアルム・エルガーは、ただの人間だよ」


 記憶の中の二人がくれた優しさは、ディアの心臓から悪夢の名残を消し去ってくれる。四年ぶりに見たチーニの姿を頭に浮かべて、ディアの口元は笑みの形に歪んだ。


(なあ、チーニ。今でも、俺は、ちゃんと人なのかな)


 頭を撫でるのが癖だったチーニの手を思い出して、ディアは自分の髪を梳く。ルーナの『くせ毛だねぇ』と笑う声が聞こえる。決して目を開けてしまわないように気をつけながら、ディアは思い出の中に沈む。


 遠くなるほどに色濃くなる幸せな思い出を抱きしめて、ディアは眠りの中に落ちていった。

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