第3幕 残酷で最悪で悪趣味な現実の終幕

第39話 柔らかな夜とわずかな休息

 チーニは薄く目を開いた。何度か瞬きを繰り返し、鮮明になった視界に見覚えのある天井が映る。


「お、起きたかい?」


 天井から視線を横にずらすと、片手に本を持ったハングが微笑んでいた。ぼんやりとした頭のままチーニは口を開く。


「ディアは……?」


 ハングが僅かに目を見開いて、チーニの頭をなでる。


「ディア君は四年前に居なくなってしまっただろう?」

「よねんまえ」


 チーニは言葉を繰り返し、視線を上に向けた。記憶が頭の中にバラバラに散らばっている。それを丁寧に時系列順に並べなおしたチーニは、勢いよく起き上がった。


「ラルゼは?」

「戻ってきたね。ラルゼ君は三番地の研修施設に居るよ。レナさんも無事。君が寝ていたのは三日間」


 チーニは深く息を吐いて、体から力を抜く。


「全く君は……死ににくいからって簡単に命を投げ出すのは感心しないよ」


 立ち上がったハングはチーニの髪を梳きながら、ため息を吐いた。窓から差し込む月明かりが横から、顔色の悪いハングを照らしている。恐らく、寝る時間を削ってチーニの看病をしてくれたのだろう。


「すみません」


 ハングは笑みを深めてチーニの頭から手を離すと、明るい声を上げた。


「とりあえず、マケリを呼んでくるよ」

「あ、はい。お願いします」


 チーニは小さく笑って頭を下げる。ハングはもう一度その頭を撫でてから、チーニに背中を向けた。部屋のドアを閉めたところで全身から力が抜け、ハングはその場に座り込んだ。深く息を吐き出して、目を閉じる。


 少しの間そうして暗闇にいたハングだったが、すぐに体に力を入れなおして立ち上がった。


 廊下を進み、診察室の前で足を止める。


「先輩は本当に大丈夫なんですか?」

「大丈夫だっての」

「でも、あの、結構血とか出てたし」

「あぁ? んなの飯食って寝てりゃあどうにでもなるっての。つうか、そもそも俺は治す方じゃなくて、切る方だし」


 ドアの隙間から聞こえてくる男女の声に、ハングはため息を吐いた。扉を開けると、争っていた声が止まる。キセルを咥えた短髪の男と、レナが同時にハングに視線を向けた。


「マケリ」

「おん? ぁあ、坊は起きたか?」


 ハングに名前を呼ばれた男はキセルを置くと、白衣を羽織って立ち上がる。


「坊って。チーニ君はもう立派な大人だろう?」

「あ? チビの頃から知ってんだ。今更呼び方変えんのはめんどくせえよ」


 マケリは肩をすくめてハングの脇を通り抜けた。ハングは眉を下げて小さく笑う。ドアノブに手をかけたままマケリは首だけで振り返った。


「あぁ、お前も少しは寝ろよ。もうオジサンなんだからな」


 マケリは唇の端を釣り上げて、そう言い残すとドアを開けて部屋から出ていく。ハングは吐息のような笑い声をこぼした。


「あの、先輩、起きたんですか?」


 両手を胸の前で握りしめたレナがハングを見上げる。


「あぁ、起きたよ。ちょっと混乱していたみたいだけど、もう大丈夫だよ」


 レナの全身から力が抜けた。倒れそうになったレナを抱きとめて、ハングは小さく笑う。


「あ、すみません」

「いいえ」


 ハングは近くにあった椅子にレナを座らせ、自分もマケリが座っていた椅子に腰を下ろす。指先を見つめ、小さく息を吸い込んでから、ハングは口を開いた。


「チーニ君の傷が治ったことに関して、なんだけどね」


 レナは勢いよく顔を上げる。


「どこから話せばいいかな」


 ハングは小さく声を落として、しばらくの間じっと指先を見つめていた。その仕草が馬車の中でディアの話をしていたチーニと重なって、レナは視線を下げる。沈黙が二人の間に満ちて、時計の秒針が三周したころに、やっとハングが声を上げた。


「チーニ君の心臓は、もともと別の子が持っていたものでね」

「え?」


 レナは顔を上げたが、ハングの視線は床に向いたままだった。


「この国を作った初代王が、親友に託したとされる『不死の心臓』──それを、受け継いできたのがラクリア家なんだ」


 淡々とハングは言葉を続ける。


「四年前、そのラクリア家の長女が誘拐されてね、僕らが誘拐犯のアジトにたどり着いたときには、もう、彼女は死んでしまっていて」

「え? 亡くなったんですか? 不死の心臓なのに?」


 ハングはそこで初めて顔をあげ、小さく笑った。悲しみを凝縮して無理やり笑顔にしたような表情だった。レナは言葉に詰まり、立ち上がりかけた姿勢のまま固まる。


「不死の心臓っていうのは、持ち主が死なない心臓って事ではないんだよ。止まらないだけ」

「止まらない、だけ」


 レナはすとん、と椅子に座りハングの言葉を繰り返した。頷いてハングは話を続ける。


「心臓が動いていても、人は死ぬからね。……そんなわけで少女は死んでしまって、その後でチーニ君が彼女の遺品として、不死の心臓を受け取ったんだ。彼の傷が治ったのは、その心臓の効果だよ」


 ハングはそこで言葉を切り、また視線を下げた。レナは何も言えずに口を噤む。静かな部屋に遠くから夜半の鐘が響く。ハングは顔を上げて、笑みを作った。


「君はもう寝た方がいい。私はチーニ君にもう少し確認することがあるから、もう戻るよ」

「あ、はい。すみません」


 ハングは肩に優しく触れて、レナに背を向ける。ハングが部屋の扉を閉めたところに、ちょうど入院室からマケリが出て来た。大きな歩幅でハングとの距離を詰めたマケリは、その顔を見てため息を吐く。


「ひっでえ顔だな。安心しろよ、坊は何ともねえぜ。ま、二日は安静にしてた方がいいだろうけどな」


 マケリはハングの肩を叩いて診察室の中に消えた。小さく息を吐いて、ハングは自身の頬に触れる。


(そんなにひどい顔をしていたかな)


 首を傾げてからハングは肩の力を抜いて、入院室に足を向けた。



 チーニの意識が戻ってから四日後。ラウネ、チーニ、ジェニーは三番地の第二師団詰め所を訪れていた。


「それで、そのラルゼって子供の証言は信じていいんだな?」


 ラウネは第二師団がまとめた資料に目を通しながら、ハングに問いかける。


「ああ。南十七番地の警ら隊を動かして、バルド──猫背の男にも確認が取れているよ。まあ、子供たちが全員で嘘を吐いている可能性もあるけれど」

「そこまでしてディアルムを庇うってのも考えにくいな」

「ええ。となると、献上品の事件はここで終わりですね」


 チーニの言葉に頷いて、ハングは国全体の地図を広げた。そのまま隣に視線を向け、いつもより険しい顔をしているシアンの肩に触れる。


「シアン。前回のひとつになる日アインスデーの時の警備計画を出してもらえるかな」

「あ、はい」


 シアンは積み重なった書類の中から、少し黄ばんだ紙の束を取り出してハングに手渡す。ハングは笑ってその紙束を受け取り、机に広げた。


「前回と同じように、一番地に出向く王族の警備を第一優先で良いかな?」


 ハングは紙の一番上の行を指さした。


「ああ。そうだな。式典には貴族も大勢参加するし、一番地の警備にうちからは、ジェニー、ニフ、レナを貸す。お前が好きに使え」

「わし、ものじゃないのじゃが」


 ラウネの言葉にジェニーは眉を寄せる。脇腹を軽く殴るジェニーの頭をなでながらラウネは「ニフと一緒なんだし良いだろ」と言葉を返した。ジェニーの手が止まる。


「仕方ないのう」


 ジェニーは先程までとは一転して、ご機嫌な様子で足をぶらぶらと揺らした。


「ディアルムが戻ってくる可能性もあるから、ラクリア家は王都に残す。いいな?」

「もちろん」


 ハングは笑って頷き、白紙の紙にさらさらと文字を書き込んでいく。その手が止まるのを確認してから、チーニは口を開いた。


「僕とラウネさんは王都に残ってラクリア家の警備にあたります」

「了解」


 ハングは手を動かしながら、言葉を続ける。


「王都が戦場になるかもしれないなら、学院の入試は三番地でやってもらおうか。その辺りの交渉は任せていいかい?」


 ラウネに視線を向けて、ハングは首を傾げた。


「ああ。問題ねえ。なあ? チーニ」


 口角をあげて、ラウネはチーニに顔を向ける。チーニは驚いたような顔で目を見開く。


「え、僕が行くんですか?」

「お前、学院長のとこに全然顔出してねえだろ。この前稽古つけに行ったとき、寂しがってたぞ」


 チーニは口をへの字に曲げ、助けを求めるように視線をハングに向け、綺麗な微笑みを返されると肩の力を抜いて、ラウネに目線を戻した。


「分かりました、僕が行きます」


 その様子にジェニーが首を捻る。


「チーニ、学院嫌いなの?」


 チーニは向けられたジェニーの視線から逃げるように、顔をそっぽに向けた。


「嫌いですよ」


 囁くように吐き出されたチーニの言葉に、ラウネは声を上げて笑う。チーニは更に顔を背けて、口をへの字に曲げた。

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