第32話 外の世界はいつだって残酷だ
ルーナと分かれ、部屋のベットで天井を見上げていたチーニの耳が、小さなノックの音を捉える。昼時を過ぎ、太陽の位置がずれたせいで部屋の中は薄暗い。チーニは体を起こし、ドアに視線を向けた。
「だれ?」
声をかけても応答はなく、チーニはナイフを手の内側に隠しながらドアに近づく。体をドアに密着させ、外の気配を探る。と、足先を何かが掠め、チーニは視線を下に落とした。
「紙?」
外に何の気配もないことを確認してから、チーニはドアと床の間に挟まった紙をそっと引く。ざらついた手触りのそれは、いつもチーニたち学院生が使っているノートの物だ。ドアを開け外を確認しても、送り主の姿は既にない。
首を傾げながらチーニは紙を開き、そこに並んでいる見知った文字に、体の力を抜いた。
「ディアの字だ」
部屋のドアを閉め、ベットに腰かけてチーニは書かれた文章に目を通す。
『出かけてくる。明日の夕方には戻ります』
チーニは二度読み返して、首をひねった。行き先はなく、宛名どころか差出人の名前もない。いつも丁寧なディアにしては、乱暴な手紙だった。
「どうしたんだろう」
不自然な様子に心配になったチーニは、部屋を出て隣室のドアを叩く。随分前に渡された合鍵を手の中でぎゅっと握りしめ、中に向かって声をかけた。
「ディア?」
部屋の中はシンと静まり返っている。声が返ってくることも、室内の人の気配もない。チーニは首を傾げたが、結局手に持った合鍵を使うことなく、自分の部屋に戻った。
翌朝の食堂にはディアだけでなく、ルーナの姿もない。チーニは久しぶりに一人で朝食をとった。食事を終えてルーナの部屋を訪ねたが、既に中に人はいなかった。
明確な校則違反になるような、今までとは程度の違う嫌がらせ。昨日、チーニがエリムに叩きつけた証拠。昨晩には決まったであろうエリムの退学。ぐるぐると嫌な想像がチーニの頭に浮かんでは消える。
はじかれるように駆け出し、チーニはしらみつぶしに、学院の中を走り回った。
人目につきにくい場所、鍵をかけられる部屋、人を入れてしまえる大きさのロッカー。一通り探しきって、それでもルーナと合流することはできず、チーニは深く思考に沈みながら足を進めた。
(どこに行ったんだろう。普通に寝坊かな。それとも、まだ探してない場所がある?)
適当に進んでいたはずが、いつの間にかチーニは図書室にたどり着いていた。チーニは本棚をぼんやりと眺めながら、部屋の奥へと進む。
「ですが、お父様」
不意に、ルーナの声が聞こえた。チーニは足を止め、本の間から隣の棚を覗き見る。こちらに背を向けて立っているのは、ルーナと同じ栗色の髪を持った中肉中背の男だった。
「お前の意志など関係ない。お前はただ、私の指示に従っていればいい。分かるな? グルナ」
男の奥でルーナがか細く言葉を吐きだす。
「まってください、お父様。私には、とても、そんなこと……それに彼の殺害は、陛下によって禁じられているのではないのですか?」
男は苛立った様子でルーナの頬を叩いた。
「あぁ、そうだ。我々は陛下のお気持ちを汲んで、今日まで奴を生かしてきた。でも、事情が変わったのだ」
「事情?」
「あいつは、あの怪物は、あろうことか王位を継ぐと言い出した。分かるか? この神聖な素晴らしい国の王座に、あの悪魔が座ろうとしているのだぞ」
チーニは息をのんだ。思わず口から飛び出そうになった声を飲み込んで、口元を手で覆う。
(そうか。昨日のディアの学院長への用事は王城への外出許可だったんだ。ディアが王族の一員であることは極秘事項。この学校じゃ、僕とルーナと学院長しか知らないから。だから、ディアは一人で学院長に会いに行ったんだ。そして、陛下に王位を継ぐと宣言した)
絶対にひいてはいけないトリガーが引かれ、世界が絶望に向かって加速したのが分かった。男の上ずった声は続く。
「我々の慈悲で生かされている分際で、我々の王になる? そんな無礼は許されない」
男はルーナの肩に強く両手を置いた。
「殺せ。お前が殺すのだ」
強く、低い声で、男は言葉を重ねる。
「いいな? 入学時からお前を奴の傍に置いたのもこの時のため。常に近くに居るのだ。殺す機会などいくらでもあるだろう」
男はルーナの耳元に口を寄せた。
「この休みの間に殺せなければ、お前を家に連れて帰る。いいな」
男の背中越しに、チーニとルーナの視線が絡む。ルーナの目が見開かれ、ゆるく細められる。男がルーナから体を離し、また彼女の顔が見えなくなる。膝から崩れ落ちるように、静かに、チーニはその場に座り込んだ。
「承知しました。お父様」
か細く震えたルーナの声が、チーニの鼓膜を揺らした。
(どうする、どうする、どうする)
混乱する頭をチーニは必死に働かせる。
(どうすればいい。ディアの殺しに失敗すれば、ルーナが家に戻される。戻すのか、あんな場所に?)
チーニの頭にルーナから聞いたラクリア家の様子が浮かぶ。道具のように扱われながら、決して死なない量の激痛と毒を与えられる日々。頭を振って、想像上の痛みを追い出し、チーニは思考に集中する。
(どこだ。どこなら逃げられる。……地下街、はだめだ。裏社会で懸賞金をかけられたら、逃げ切れない)
可能性を一つずつ浮かべては、つぶす。幸せに逃げ切れる場所を求めて、必死に脳を動かす。
不意に、チーニの頭に幼いころの記憶がひらめく。
(そうだ、中で逃げられないなら、外にいけばいい。国を囲む森に食べられるものと、警ら隊を振り切れるだけの広さがあれば、逃げられる。番人は僕ならどうにでもなるんだ。大丈夫、逃げられる)
チーニは素早く立ち上がって、図書室を飛び出した。
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