第22話 それぞれの事情

 さて、その後も議論は紛糾した。全ての項目について全員の意見を聴取し、総意を一致させた。無駄な部分をそぎ落とし、必要な部分が響くように加工した。大変な作業だった。神楽はレトリックを強引にねじ込もうとするし、鏡は論理論理とうるさい。姫乃樹も伝わりづらい語彙をしばしば提案するし、美竹は嘘を許さない。それでもなんとか調整できた。

 そして――。

「できたぁ!」

 神楽がゴール直後のマラソン選手のようなやりきった顔でいった。

「長かったな。ようやく……黒タイツから解放される」

 鏡も持っていたペンを投げるように置いた。

「これで残ったのは清書だけだね」

「肝心かなめですね。高階さんっ、お願いします!」

 姫乃樹が小さくおじぎをする。

 仕上げを任された俺は下書きを参照しながら清書を進めた。悪筆と罵られれないように丁寧さを心掛ける。今回は神楽じゃなくて自分で書くことにした。その方が責任感を感じられていい。……のだが、悲しいかな。字が汚くて見栄えが悪い。

 美竹が現代アートでも鑑賞するかのような目をしている。これはあれだ。人の目があるから緊張しているのだ。おい、そんなに凝視するもんじゃないだろう。大人しく四人でテーブルゲームでもしててくれよ、という願いも伝わらず。

 設立理由の欄でペンを止める。俺は気になっていたことを聞いた。

「同好会設立ついでに聞くんだけど、なんでみんなは文芸部に入ったんだ? たまたま神楽のは聞く機会があった。でも他のみんなは……」

 すっかり打ち上げお菓子パーティーに突入した女子ではなく、反応したのは鏡だ。

「なんだ。そんなことか。僕は知っての通り理系だろ。だから論文や理系の文章を上手く書くために入部した。知らなかったのか」

 さも当然のようにいった鏡の言葉は俺にとって青天の霹靂に等しかった。

「いや。まったく知らなかった……。てっきり小説が書きたくて入部したのかと」

「文章は小説だけじゃないだろ? それは一元的だ」

 俺が驚いているとサイドからいじらしいソプラノボイス。

「わたしは言葉集めのためです。あとは賑やかな環境が苦手なのと、ちょっぴりの圧力ですね。わたしみたいな弱っぽい女子は何かに所属していないと保てないのです」

「言葉集めっていうのはどういう」

「はい。新しい言葉や古い言葉、迷子の言葉を見つけ出す作業をわたしはそう呼んでいます」

 姫乃樹はおやつカルパスをいじいじする。姫乃樹さん、子供っぽいと言われなくなかったらそういうのは止めた方が――とは言えず。

「集めてどうするんですか」

「集めて? うーん。本当は使いたいんですけど日常会話のなかだと言葉が浮いてしまって。ですから今はそっと保管しています。それで気持ちを落ち着けたいとき観察するんです。男の子だと昆虫採集が分かりやすいですかね。そんな感覚で、たとえばこーいうカードを作ってます」

 真面目なトーンでいって、リングに連なった単語カードを自分の辞書の上に置いた。俺は差し出されたカードを数枚捲る。和語、流行語、カタカナ語……無造作に集められていた。この感じだとたぶん家にもある。さらっといったけど結構とんでもないことだと思う。言葉に関する説明のとき、姫乃樹は俺よりずっと大人びる。そしてそのこだわりは人並みを超えている。

 最後に残った美竹は何も言わなかった。

「美竹は?」

「貸してみて」

 美竹は申請書を取り上げて、ペンを滑らせると、そこにはまるでパソコンの印字のようなフォントが形成されていた。

「美竹、は……これ。フォントか。美術の時間の」

「うん」

「驚いた。印刷したみたいだ」

 明朝体の次はゴシック体。流れるような手さばきで綴っていく。

「ありがと。私がここに入ったのはフォントデザインのため」

 話しながらさらには丸文字を連ねていく。それぞれの単語でフォントが違うから脅迫状みたいだった。そのミスマッチを脇に置いても、フォント形成能力は卓越していた。

「美術部じゃなくて、なんであえて文芸部に?」

「美術部は違うよ。文にかかわることなら文芸部でしょ。あとね、他にも興味あったし。装丁とかそっち系。もちろん漫画、アニメ、映画、ゲームも。美術部にこんなにたくさん好きなこと持ち込めないよね。その点文芸部は自由度高そうだし」

 美竹の挙げた入部理由に本や小説はなかった。それどころか鏡にも姫乃樹にも。文芸部といえば本大好き人間たちの巣窟かと思っていた。そしてそこで小説を創りあげるのだと。

「私別に本好きじゃないよ」

 美竹はさらに重要な発言を、簡単な挨拶みたいな感覚でする。

「マジか」

「私だけじゃない。鏡と姫ちゃんもそこまで本にべったりじゃないでしょ」

 美竹は二人に問いかける。

「僕は論文ばかりだ。フィクションは好まない主義でね」

「えっと、わたしは好きな方だけど……月璃ちゃんとか文彩先輩に比べたら読書経験まだまだだよ。成長が止まっちゃってる。あ、身長の方じゃないからね!」

「これで分かったでしょ。みんな色んな事情があるんだよ。ここに入った理由も、高階が前に聞いてきた私達が書かない理由も、ね」

 よく分かった。俺は大きな勘違いをしていた。さらに悪いことにその勘違いを土台にして部員たちを見下しまでしていたのだ。自分ができないことを棚に上げて、文芸しない文芸部と揶揄していたのだから。

 文芸部は小説を書くだけじゃない。論文の書き方を学ぶのも、知らない言葉を集めるのも、読みやすい字体を考えるのも文芸部の範疇にして何が悪いのか。美竹の言葉にはそんな「言外のニュアンス」が含まれていた。

 神楽にしても、美竹にしても、どうして俺はそこまで想像が及ばなかったのだろう。少し考えれば分かったかもしれない。分からなかったとしても聞き方を考えるとか、やりようはあったはずだ。もっと人の気持ちを推し量って発言すべきだった。みんなちゃんと部活していたんだ。ちゃんと部活していなかったのは――俺だけだった。

「俺、馬鹿だったよ。完全に間違ってた。偏った見方でみんなを見ていた。ごめん」

 俺は謝罪した。遅いかもしれないけれど謝らないよりはずっといい。みんなの真意を聞いて変わった気持ちを伝えたかった。

 許されないかもしれなかった。でも美竹は怒っていなくて、ただ一回だけ頷いた。

「謝罪を受け容れるよ。っていっても、気にしてなかったけどね。それより高階が気にすべきことは霜門先輩が怒っている理由な気がする」

「理由?」

「そう。霜門先輩は――ううん。やっぱり私からは言えない。見当はずれかもしれないし、正しかったとしても、それは高階が自力で気づくべきことだからさ」

 理由。そっちの方は皆目見当がつかなかった。

 野沢が現れ、俺がそれに協力すると申し出たとき先輩はいい気持ちがしなかっただろう。きたるスピーチのために熱心に指導していた生徒が前触れなく鞍替えしたのだから、その感情は当然だ。

 でも、美竹が言いたいことはそういうことじゃないかもしれない。あの場に美竹はいなかった。だからここで示しているのは今よりずっと前のこと。俺が文芸部へ訪れて、面接して、訓練して……。ひょっとすると先輩は最初から怒っていたのかもしれない。じゃなければ初対面からあんな態度を取られることはなかったはずだ。

 けれど、俺もそれどころじゃなかったんだ。文章の苦手意識、スピーチの準備、極めつけは先輩が過去のトラウマと接続されて怒りの感情がぐるぐる渦巻いていた。焦りや混乱に埋もれていて、文彩先輩の感情の機微に気づく余裕なんてなかった。

 でも今は――。申請書が一段落ついたし、部員全員と和解できた。スピーチが残っているけれど、心のゆとりは不思議と、ある。

 だから、気になる。どうして先輩は怒っていたのだろうかと。願わくは、その理由を先輩に問いただしたいと。

「ああ。考えてみるよ」

 俺は美竹に率直に思いの丈を伝えた。

「うん。高階ならきっとたどりつけるよ」

 呼応するように美竹は穏やかにいった。

 清書はすぐに終わった。最終的には美竹の美しい字体を採用することになった。先生受けのいい優等生的な印象を与えられたらよいとの考えだった。採用されなかった俺の字について姫乃樹が「健やかな字体ですね」といったのが地味に傷ついた。

 それはそうと、神楽はさっきからずっとうずうずしている。まるでアドレナリンを常時注射されているみたいだ。

「どうした神楽」

「デコれないかなって?」

「デコるって。申請書に、か?」

「うん」

「それは不要だろ。POPじゃあるまいし」

「あぁーデコりたいデコりたい。アタシこういう無味乾燥としたの大嫌いなのよね。字がダメならせめて欄外にちょろちょろっと、色を加えたいくらいよ」

 神楽は全身に口がついているみたいに喋りきり、じだんだする。それをスルーする美竹もなかなかの強者だが「お菓子でも食べて」とズレた落ち着かせ方を試みる姫乃樹もまた面白い。

 そんなやり取りを横目に俺はびっしりと文字が敷き詰められた申請書を手に取る。

 よくできていた。自画自賛するわけではないがいいと思った。美竹の字がかなり演出に役立っていた。

 表情が緩んでいたことに気づき辺りを見やる。幸い、見られてはいないらしい。引き続き神楽と姫乃樹はお菓子を食べておしゃべりしているし、校則を心配していた美竹だって、二人に誘惑され「少しくらいなら」と言い始めている。

 しかし、なんてことだ……。うすうす勘づいていたけれど、俺は楽しんでいた。五人が集まって、みんなの知恵を振り絞って協力する行為を心から楽しんでいた。ここに来るまでそんなこと思いもよらなかった。神楽のお願いを受けて渋々協力したのに、いつしか主体的に取り組むように意識が変わっていたのだ。

 いけるかもしれない。俺は手応えを感じる。

 署名は一人欠けていたけれど、その他の部分は解決していた。

 きっと通る。通るに違いない。高揚感を胸に、担任の元に向かうのだった。

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