第20話 理系のチカラ

 二日後。鏡は満を持して部室に登場した。携えた資料を長机に置き、いつものように神楽の隣に座ろうとして、俺を一瞥し動きを止める。

「僕としたことがここまで調べるのに二日もかかってしまった」

 軽めの自慢はスルーでよいとして。俺としては別に隣に座ろうが気にしないけれど、鏡は事情を知られているからそうはいかないらしい。恥じらいか焦りか、いずれにせよ今更感漂うが、あえて口出しはしない。

 鏡は思いついたかのようにホワイトボードを引きずって長机に寄せた。立ったまま話す。それが選んだ最善策で、鏡は資料の一番上に載せられた「同好会設立申請書」を示す。

「高階たちが書いた申請書を見させてもらった。努力は認める。だが、結論を言おう。これじゃただインタビューを書き出しただけだ」

 厳しい言葉と共に、鏡は申請書を指で弾く。

「特にだ。この設立理由の項目。まさかとは思うがこのままいくつもりか?」

「そりゃ、ちょっと拒まれそうな気もしないでもないけど……事実だし。アタシは野沢のいった事実を丁寧に言い直したつもり」

「だからといって、『家業のために黒タイツを観察する』をまんま採用するなんて……正気の沙汰とは思えない。家業から黒タイツ観察は跳躍しすぎだろう。論理の飛躍が甚だしい」

 神楽は「でも」というが、鏡はそうさせない。

「それに感情面の問題がある」

「感情に訴えることのどこが悪いの?」

「月璃は自分の感情に響くように書きすぎだ。大事なのは承認者の感情だろ。これじゃ独善的にすぎる」

「それは……そうね。研一郎に珍しく反論できない」

 月璃は負けを認めたようだった。小説のような架空の物語にレトリックは大いに貢献する。が、申請書となると透徹した論理が必要になる。鏡の独擅場である。

「さらに、ここからが重要だ。真の問題点は――そうだな、これくらいか」

 そういって鏡はホワイトボードに書き出していく。速記された乱雑な字を解読すると、そこには①顧問、②署名、③内申、④比較と書いてあった。

 鏡は俺たちとはまるで違ったアプローチをしてきた。より現実的というか。やはり鏡を加えたのは正解に思う。

「顧問の交渉はどうなってる?」

「交渉って」

 神楽が聞き返す。

「野沢は誰にお願いしようと考えてるんだ」

「そんなのないわよ。ぜーんぶアタシたちに丸投げ」

 鏡は口を開けて、

「……ってことは何も考えていないわけか」

「しょうがないじゃない。他にやるべきことがあったんだから。顧問なんて最後に考えることでしょうよ」

「それじゃ遅い。顧問あっての部活や同好会だ。順番が転倒してる」

「んー、なら……そうよ。暇そうな先生を見つければいいじゃない! ウチは先生百人くらいいるでしょ。そのなかの誰か。首根っこ引っ張ってでも一人くらい捕まえれば――」

「乱暴だな。問題を起こす気か。ああ見えて教師は大変なんだよ。仕事量を増やさないように配慮しなきゃならない。仕事が増えると想像されたらどんなに生徒思いの教師でも断られるのがオチだろう」

 すると神楽は目を細くして、鏡をジーッと。

「何がおかしい」

「研一郎も人間の心があったんだって」

「ほっとけ。とにかくここは譲歩して、名義貸しだけでもと頼む方向性で――」

 そこで俺は割り込んだ。

「直接はマズいんじゃないか。名義貸しをお願いしますっていったら印象が悪いだろう。悪い大人みたいだ」

「否定するなら対案を出せよ」

 そうはいっても案はなかった。日頃のコミュニケーション不足が祟って、顧問になってくれそうな先生に心当たりはないのである。あえて言えば担任くらいしか……。

 黙っているのを解なしと判断した鏡は、ホワイトボードに「保留」の文字を書く。

「では、水を差した高階くんに質問だ。二点目。同好会設立のための署名。これはどうやって解決するつもりだ。ぜひ、お聞かせ願いたいものだな」

「それならあてはあるぞ」

 俺は生徒手帳を開く。設立には六人の署名が必要と書いてあった。俺たちが書けば解決だ。俺、鏡、神楽、野沢。そして姫乃樹と美竹を説得できれば確保できる。最後の二人に関しては親しい鏡と神楽が説得してくれると楽観視していた。

 しかし鏡は芳しい回答が得られなかったようで、しかめ面。

「さては高階、但し書きを読んでないな。続きを見てみろ」

 言われた通り先を読むと、少し離れた場所に記された文は酷いものだった。

「規則には『但し、客観性を担保するために申請者は除く』とある。つまり仮に姫乃樹と美竹を取り込めたとしてもまだ一人足りないわけだ。野沢の票は含められないからな」

「じゃあさ……他の人に頼むのは? 無関係な人でいいんでしょ。活動はしなくていいし」

 神楽がいった。

「誰が好きこのんでタイツ同好会にサインするか。メンバーなら嬉々としてするだろうが、顧問といい、生徒といい諸手を挙げて協力してくれるとは思えない。常に最悪のケースを想定しないと」

 鏡は無慈悲にも再び「保留」と書き、俺たちはまたしても沈黙した。

 「保留」の文字が二個も続くとさすがに焦った。期限は今月中だし、課題は次々と出てくる。鏡の指摘で気づけたからいいものの、俺たちはかなり大事なことを見落としていたようだった。

 一方では朗報もあった。三点目の内申である。鏡によると申請者の人となりは重要だという。鏡調べによると成績や生活態度は短い期間であったけれど、いずれも問題なしとのことだった。それにしても鏡はどうやって調べたのだろう。もしかしたら探偵の素質があるのかもしれない。

「成績はいい。校則も守ってる。友だちからの評判も良好だ。唯一の汚点はタイツくらいか。ま、人は見かけによらないということだな――月璃」

「っさいわね……。アタシへの当てつけのつもり?」

 俺がこの和やかな喧嘩を見つめる視線に気づいたのか、鏡は急に笑顔を引っ込める。その裏のやり取りには気づかない神楽は、

「まあいいわ。研一郎、この三つ目は何なの。比較だけじゃ分からないわ」

「――あ、ああ。これは各同好会の比較検討だ。第一に類似する同好会があるか。それがあれば設立の必要はないから、野沢にいって解決。第二に他の同好会の現況だ。人員や活動内容、参考にするところはかなりある。さらにいうと、設立の経緯が分かればそれを活かせる。俺たちの文章に落とし込めばいい」

「お前……頭良いな」

「ようやく分かったか」

 鏡は満足そうな顔。イラッとさせられるけど、これも月璃への恋愛感情を思い出せば虚勢を張っていると打ち消せる。

「少しばかり、これに関して調べてみた」

 鏡はいった。

「まず、類似する同好会はなかった。これは幸運だったな。次に、学内にどのような同好会があるか。数学研究会や料理研究会、日本舞踊研究会、クイズ研究会、生物同好会等、色々許される感じだ。平均人数は五~十人。ジオラマ同好会やお掃除好きクラブといったユニークなクラブもあるけれど、ここで問題が一つ浮上した」

「なんだ」

「名称。黒タイツ同好会は直球過ぎる。名称は再考の必要があるな。てことで、これが保留三個目」

 その後も議論は続き、文を組み立てたのはさらに三十分経った頃だった。何回も書き直すことを想定して、申請書のフォーマットは複数枚コピーしていた。

 鏡がチームタイツに(今決めた)加わったことで問題点が詳らかになった。そしてやっとの思いで、文章のなかの論理と感情が手を繋ぐ。これが幼なじみパワーとでもいうのだろうか。説得を感情面と論理から行おうとする試みは一見成功しているように見えた。しかしインタビューでいっていた設立理由や活動目的をいくらアレンジして工夫しても限界があるのも事実だ。もっと根本的な改造が必要だと思う。さらにいうと、文章自体も粒単位の精密さが必要だ。自分が受理する側だったらどう思うか。その視点が欠如しているように見受けられた。今のところ解決したのは申請者の心証だけ。ほとんどは保留である。文章の細部と保留部分。どうしたら改善できるだろう。

 と、ペン回しをしていると文芸部の外に人影。

 俺が戸を開けると、そこには美竹がいた。

「美竹……どうして」

「僕が呼んだんだ。部室に来てみろ。楽しいことが待ってるぞって、な」

 鏡は胸を反らし、得意気な顔をしていった。

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