第17話 【夢】

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 それは夢だった。

 果てない地平線、色のない世界。俺は一人立っていた。

「高梨くん」

 耳を撫でる声。振り返ると先輩がいつものようにそこにいる。

「これは夢よ」

「それは分かってます。今日は何を見せてくれるんですか」

「墓地よ」

 先輩が向こうを指すとそれまで何もなかった地面が大きく揺れた。しかし、音はなくて無声映画のような奇妙な感覚だった。支えるものもないから俺は大股でその震動が収まるのを待つ。その間にも地面からタケノコのように墓が生えていく。

「気をつけて」

「うわっ」

 視線が一段低くなったのは立っていた地面がへこんだからだった。俺はその場から急いで這い出て墓の方へ走る。先輩はそんな天変地異を意に介さず緩やかに着いてくる。墓の前まで来てさっきの場所を見ると、窪みは大きな蟻地獄と化していた。

「これは、一体……なんですか」

 尻餅をついた俺は立ち上がり、頭を左右に振る。周囲には大小様々な無数の墓があった。手前にあるものほど新しく、奥にいくほど古びている。

「言葉たちよ……」

 先輩は近くにあった墓碑に触れる。エピタフを指でなぞって、砂を丁寧に払い落とすと、文字が浮かび上がった。

 

 ――「タピる」 タピオカティーが復活することを願って (2018-2019)


「ここには言葉たちが眠っている。言葉の墓よ」

「使われなくなった言葉たちですか」

「そう言えるわね。このお墓の数が眠っている言葉の数よ」

「死んでいるのではなく?」

「ええ。眠っているだけ。深い呼吸をしているのが聞こえない?」

 先輩は悼むように言った。

 確かに流行語が多いと感じた。短い期間に消費され役割を終える言葉たち。インパクトのある言葉はそれ故朽ちていくのも早いのだろうか。

 ふと、遠くで砂が盛り上がっているところを見つけた。

「あれはなんですか」

「あれは蘇ろうとしている言葉。私はその手伝いをしている」

 先輩は砂を掻き分ける。自分の手が汚れるのを気にせずに。

「どうしてそんなことを。たかが言葉じゃないですか」 

「まだ分からないのね。言葉は人間が生みだした営みよ。私はそれを死んだと決めつけたくない。眠っている言葉を目覚めさせたいの」

「俺にはよく分かりません」

「そう……。じゃあ、今日もさよならね。――お仕置きが必要だわ」

 先輩が指を鳴らすと、また地面が揺れた。

「先輩、待っ――」

 姿を掴もうと伸ばした腕は先輩の上半身を真っ二つに切り裂く。先輩は人型の煙だった。煙は大気に溶けきって、一方では大きな蟻地獄が拡大していく。どうやら今回はあれに飲み込まれるらしい。

 両足が砂に掴まれる。膝の位置まで来たとき圧迫されるような感覚にたじろいだ。数ある先輩との夢のなかでもこんなのは今まで経験したことがない。

「せ、先輩、溺れそうです」

「溺れないと苦しみは分からないでしょ」

「どういうことですか」

 首元に砂が来たとき、それがただの砂ではないことが分かった。それは小さな言葉だった。ページから滑り落ちた文字たちだった。明朝体の畝の部分が顔をつついて痛い。俺は言葉の海で言葉まみれになっていた。もがいて言葉の束を掴むけれど、そのどれもが指をすり抜けていく。出られない。俺は諦めて身を任せた。どうせこれは夢なのだから。すると一つの言葉だけが手のひらの真ん中にくっついているのを見た。

 

 ――『真実』だった。


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