第11話 リハビリ開始!

 翌々週、部室でのことだ。

 俺は文彩先輩の前に立っている。手を体の前に合わせて反省ポーズを最大限に表現する。さながら教師と生徒のような関係だった。お説教タイム、スタートだ。

「これは何」

「日記です」

「日記……? 欲しいものリストじゃなくて」

 文彩先輩は俺の書いた日記をゆっくりと捲る。

 日記を持ってこいと言われたのは昨日だった。急に言われたものだから断ろうかと思った。でもよく考えるとやましいことは何一つないのだ。書けと言われた書いた。それだけの話。内容に関しては指示されていない。だから学校に持ってきた。

 なのに先輩は酷い言い草だ。頑張って頑張って白目を剥きながらよく書いた。むしろ褒めてほしい。先輩がいった通りに日記を書いたのだから、馬鹿にされるいわれはない。俺はやっただけだ。しかも肝心の日記は役に立たなかったと思う。まあ確かに観察力が少しはついたし、吐き気は少なくなったけれど。でもこれは日記のおかげとは思わない。日記に免疫されたというより俺の忍耐力の向上の証だろう。

「これはどこまで本気なの」文彩先輩の目つきが鋭くなった。

「全部、本気です!」

「私を軽んじているの」

「いえ、そんなことは……。見ての通り、これが俺の限界なんです」

「お粗末ね」

「見られるとは思ってなかったので」

「宿題を課した時点で予測できたと思ったけれど」

 文彩先輩はため息をついた。

「先輩が、何でもよいと、いったので…………」

「そう、確かにいったわね。でも物には限度というものがあるでしょう。そして高階くんはその限度を超えているわ。自由にも暗黙の了解があるでしょ。私が渡した本は読んだ?」

「……はい。読みました」

 読んでなかった。さすがに見抜かれた。でも全く何もしなかったのではない。一冊の三ページ目を読んでいる途中に意識を失っただけだ。

「いいわ。日記は止めましょう」

 文彩先輩があっけなく日記を俺に返す。俺はほっとした表情でリュックにしまう。

「困ったわ。どうしたものかしら」

 文彩先輩はぐるりと部室を見回す。神楽を見て、美竹を見る。たまたま目が合ったのは姫乃樹だった。姫乃樹は目をぱちくりさせている。

「姫乃樹さん、何かないかしら」

「何か……そうですね……。読書感想文はどうですか」

「感想文」

「はい。童話でも漫画でも構わないので、思ったことを書いてもらうんです」

「なるほど。読書感想文なら、小学生のときにでも一度は書いているはずだからいいかもしれないわね。題材も無理がない。姫乃樹さん、お手柄よ」

「ありがとうございますっ」

 姫乃樹はグーの形で喜びを表す。

 だが、この展開はまずかった。感想文は絶対ダメだ。だってトラウマがあるからな。というかトラウマそのものだ。俺は二人の会話に割り込んだ。そして大切なことは隠して、伝えなければ。

「実はさっき言わなかったんですが、読書感想文も俺の文章嫌いの一因で」

「感想文も?」文彩先輩はいった。「それは初耳ね。感想文……」

 そのまま文彩先輩は黙ってしまった。どうしてだろう。

「文彩先輩?」

「いえ、なんでもないわ」文彩先輩はいった。

「高階さんも色々と訳ありなんですね……」姫乃樹は小声でいった。「すみません。傷を抉ってしまって」

「いえ、俺が言わなかったのが悪いんです。姫乃樹さんは悪くないですよ」

「でも、そうするとかなり限られますね。助けてあげたいんですけど、わたしの頭じゃ……あっ、星來ちゃんはどう思う?」

「どうして私?」

「ううん。他意はないんだけど、このなかだと星來ちゃんが一番理解してくれるかもって」

 姫乃樹は手をブンブン振って、焦る。

 美竹は「あー……そういうことか」と呟き、

「脚本はどうでしょう。会話中心の簡単なものなら初心者の高階でもできると思います。面白くなくても日常を書き起こす感じに取り組んでもらえれば上出来です」

 ハキハキした口調でいった。

 そういうこと、がなんなのか不明だけれど脚本も無理だと思った。そんなノウハウあるはずない。それとも、これから身につけろとでもいうのか。

「すみません。ルールが分からない、です」

 俺がいうと、神楽が首を捻った。

「んーと、難しいな。高階がそこまで嫌うのは、文章量が多いからってこと?」

「たぶん……そうだと思う。文の量が多ければ多いほど苦しいんだ」

「そっかぁ」神楽はいった。「……高階、ホントに苦手なんだね。正直、なめてたよ」

「ああ、俺のことは小学生、いや、小学生未満だと思ってくれ」

 分かりやすいくらいの愛想笑いを、神楽は浮かべた。


 その後、色々な提案が出た。言葉を使った創作はこんなにあるのかと驚く一方、提案の全てが女子からで鏡はずっと頭の後ろで手を組んでいたことが内心腹立たしかった。

「歌詞は?」

「たぶんセンスないです」

「俳句なんかどう」

「季語が分からないです」

 言葉が尻すぼみになっていく。なんだか自分の体が小さくなっていく気がした。せっかくの提案をどれも断ってしまった。怠けているのではない。ただ、文章を書くと意気込むとあのトラウマが鮮明に蘇ってしまうのだ。それに文章を書かなさすぎて、自分の書いた文はどんな文でも気持ち悪い文に感じてしまうようになった。

「あれもダメこれもダメ。文句ばっかり垂れている」

 鏡がいった。――でもここは我慢だ。

「小説にしましょう」

 そのとき、本棚の前にいた文彩先輩がいった。俺のために考えてくれていたのだろうか。と思ったのは自分中心の都合のいい勘違い。文彩先輩は一冊の本を開いて指で押さえていた。それは小説らしき文庫本だった。先輩はわずか数十秒の間も無駄な時間は作らず、読書タイムに当てていた。俺にしてみれば驚異的だった。……いや、今はこんなことを考えている場合じゃない。小説? どれくらいマジでいっているのか。先輩は小説を現在読んでいるから、思いつきで小説の感想を課題にしようとしている。なんてことだ。

「そんな無理です! 読書感想文がトラウマって言いましたよね。小説って文字いっぱいですよね? 小説の感想なんて無理ですよ」

「感想じゃないわ。本編の方」

「ますます無理ですって。先輩聞いてましたか。日記でも三日が限界だったのに。俺は文才ゼロ、いやもはや文才マイナスなんです」

 俺は徹底的に狼狽えた。小説? 誰が作家志望なんていったんだ。

「書かなきゃ何も始まらないから」

「書かなきゃって……。どうしてこう遠回りさせるんですか。俺はスピーチを助けて欲しいんです。小説を書くつもりは毛頭ありません」

「いい? 高階くん」文彩先輩はいった。「スピーチにだってストーリーは不可欠よ。あなたの文章力は見たわ。これを向上させるには書いて、書いて、書くしかないのよ」

 もう倒れる直前だった。それを必死に繋ぎとめているのは、ただ一つ。プライドだった。

「書くの? 書かないの?」

「書きます……」

「そう。いい答えが聞けて安心したわ」

 先輩がいった。

「じゃあ、高階くんが普段読まない漫画のジャンルを教えて」

「ラブコメ系ですかね」

「ならコンセプトは恋愛ね」

 先輩、どうして、俺をいじめるんですか。

 そうして俺は恋愛小説を書くことになったのだった。


◆◆◆

 さて――閑話休題。

 これこそ、文章嫌いの俺が文芸部で小説を書いている理由だった。スピーチを書くために、日記を経て、小説を書く。端から見たら意味不明な理由。もちろん俺から見ても理解不能な理由。文句をいわず、リライトに次ぐリライトを重ねても我慢してきた。これで恥をかかない、と思えば頑張れた。

 でも。

「ちょっと、高階どうしたの」

 神楽が話しかける。

 俺は先輩が書いた紙から目を離す。先輩の珠玉の一行目が威風堂々としていて、どんなもんだ? と語りかけてくる。

「ずっと固まってたけど、その文に何か言いたいことがあるの」

「いや、別にそういうんじゃ」

「凄いよねぇ、その文章。さすが文彩先輩でしょ」

「ああ……うん」

 神楽は、俺が文彩先輩の文章に見とれていると勘違いしていた。

 文彩先輩がまたパソコンの前に座る。

「高階くんのリハビリの方向性は決まったわね。じゃあ、早速」

「文彩先輩!」

「なに?」

 はっきりと告げなければならなかった。この文章には実がない、と。俺にはそう感じられてしまった、と。

 しかし、直前で躊躇われた。不快な思いをさせるだけでなく、文彩先輩を傷つけてしまうと思ったからだ。それに、無知な俺の発言にどれほど価値があるのだろう。

「ええと、その……。この方向性で進める前に、他の人の例を見たいです。皆さん文芸部ですよね。お手本を見せて欲しいです。一年はまだ書いてないかもしれないけど、過去の習作はあるんじゃないですか。後学のためにも読んでみたいです」

 いいと思った。先輩への反逆からこっちに切り替えたのは、本当に興味があったからでもあった。

 しかし、なぜか誰も答えなかった。みんな顔を見合わせ様子を窺っているように見えた。最悪のセリフは回避したつもりだったのに、場は破壊されていた。

「ここにはないよ」

 自分の発言の影響がいよいよ気になり始めたとき、美竹がいった。

「ない?」

「この部にはパソコンが一台しかないからね」

 そうなんだ、とは言えなかった。それは理由になるだろうか。パソコンがなければ、ノートや原稿用紙、スマホに書けるだろう。俺には美竹が誰かを庇っているように聞こえた。

「パソコン以外では書いてないんですか」

「今はあんまりそんな人いないよ。パソコンじゃないと、訂正とか書き足しが大変だから」

 いったのはまた美竹だった。さっきからずっと美竹しか話していない。鏡も神楽も姫乃樹も口ごもる。威勢のよかった文彩先輩は無口キャラになっていた。

「皆さん文芸部ですよね。どうして書かないんですか。ひょっとして、文芸しない文芸部なんですか」

 だから美竹以外に向かって話した。冗談をいったつもりなのに、真実を言い当てた雰囲気が漂っていた。俺は焦って取り繕った。

「本当にないんですか。もったいぶってるだけですよね」

「事情があるのよ」

 やっと、文彩先輩がいった。

 でも歯切れの悪い回答だ。

 みんなは俺の作品に対して好き勝手いっていた。だから手本が見たかった。そのくらいの権利はあると思った。でもその手本はなかった。部員たちは物語理論や文章作法を語るだけで、実作品は存在しなかったのだ。

 どうして文芸部に入ったんだよ。言わなかったその問いはずっと宙ぶらりんになっていた。

「今日はもう終わりにしましょう」

 文彩先輩はそういってお開きにした。

 後味の悪い結末だった。

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