君のコエが聞こえる

天地海

気になる声

1

 夏休みを来週に控え、期末テストが終わった学校の中は、穏やかな空気に包まれていた。

 この時期、たいていのクラスでは夏休みの予定なんかが話題になっているのだけれど……。

 一つだけ別の話題で盛り上がっているクラスがあった。

「ねぇ、マコちゃん。例の噂、聞いた?」

 そう話しかけられた少女は、長い黒髪を揺すらせながらうんざりと答えた。

「直接は聞いてないけど、噂の内容だったら知ってるわよ」

「へぇ~。で、どうするの?」

「どうするって言われても……」

 長い黒髪の少女こと大崎真琴は、噂話の主役の一人だった。

 噂話の内容は、ある男子が真琴のことを好きだというたわいのないもの。その手の話は、学校のような所だといくらでもあるが、真琴が主役にされたのは初めてだった。もちろん、告白なんか生まれてこの方、一度もしたこともなければされたこともない。

 どちらかというと、真琴は噂が流れるような目立つタイプの人ではないと自負していた。にもかかわらず、今回噂話が流れた原因は相手の男子にあった。

 例の「ある男子」の名は、神田勇壱。

 背が高く、切れ長の目に吸い込まれるような瞳の彼は、校内の女子を二分するほど人気の高い男子だった。

 しかも、入学以来数多の先輩や同級生に告白され、その全てをばっさり振ってきたことで女嫌いとして有名になっていた。

 一部の生徒の間では、彼は同性愛者なんじゃないかとまで言われている。

 でも、真琴は神田君に違う印象を持っていた。

 なぜなら、唯一の例外を知っていたから。

 ほぼ全ての女子を拒絶していながら、真琴とだけは男子と同じ様に接していた。

 だから神田君が女嫌いだとか、同性愛者とか言われてもいまいち納得できなかった。

 もっと一般的な男子だと思っていた。

 結局、真琴にとっては彼もその他大勢の男子と同じ存在でしかない。

 噂が本当だったとしても、結論はもう出てる。

「うわっ、まさか……振っちゃうの?」

 真琴の憂鬱な表情を見て取ったのか、真琴に直接噂話をしようとした勇気ある小さな少女は呆れた声でそう聞いた。

 背の低いその少女は、高柳美希。

 彼女の名前を知らないものは、少なくともこの校内には存在しない。

 美希の父親は、一代にして日本経済界のトップに躍り出た高柳グループの会長。

 そして、この学校の経営にも関わっている。

 これらのことはこの学校に入学する者や先輩たちの間で、美希が入学する前から話題になっていたらしいんだけど……。

 真琴だけがつい最近まで知らなかった。

 まあ、その事実を知っても知らなくても、美希が真琴にとって高校でできた唯一の友達だってことは変わらない。

「あのさあ、美希。それ、ただの噂でしょ? 告白されたわけでもないのに、勝手に答えを推理しないでよ」

「じゃあ、噂が本当だったら付き合うの?」

「え……それは……さぁ……」

 先に答えを当てられていた手前、口ごもっていると。

「ほら! やっぱり!」

 美希は得意げに、特徴的な少し鼻にかかった甲高い声ではっきりそう言った。

「じゃあ、美希だったら好きでもない男子と付き合えるの?」

「その理屈はわからないでもないけどさ。……神田君が相手なのに『好きでもない男子』……ね。そのセリフ、私以外にはあまり言わない方が良いと思うわよ」

「え、どうして?」

「どうしてって……」

「無駄よ、美希さん。真琴ってその手の話には超が付くほど鈍感だもの」

 癒されるような美しい声で、きついことを言いながら真琴たちの間に眼鏡をかけた少女が入ってきた。

「ちょっ……由紀子。それじゃ私がただの世間知らずの馬鹿みたいじゃない」

「実際、そうじゃない? 十年以上も真琴とつき合ってきた私の目から見ても、やっぱり恋愛関係の話には疎いと思うわよ」

 こういう時、幼なじみが相手だと分が悪い。

 由紀子とは家が隣で、物心が付く前からのつき合い。

 お互いに相手のことで知らないことがないくらい、長く深くつき合ってきた。

 ――親友。

 由紀子は全てを見透かしたような目で、ほほ笑んだ。

 ばつが悪かった真琴は、由紀子から目を逸らして話を続けた。

「知らないわけじゃないわよ。神田君が女子に人気があるってことくらいは。でもさ、私にとってはどうでもいいその他大勢の男子と変わらないのよ」

「マコちゃん……いつか神田君のファンに刺されるわよ」

 呆れて美希はそうつぶやいた。

「その心配は必要ないんじゃない? 私は神田君のことを特別どうとも想ってないって言ってるんだから。もし噂が本当だったとしても、私とつき合う可能性はなくなるでしょ? 神田君を好きな人たちにとっては、今のままの私の方が、都合がいいんじゃない?」

 真琴はあえて教室内にいる他の女子に聞こえるように言った。

 ただでさえ女子に嫌われているのに、くだらない噂話で余計な敵は作りたくなかったから。

 そう、いつからかは覚えてないけれど、真琴は女子の大半から嫌われていた。

 入学したての頃は、皆右も左もわからないから、とりあえず近くにいる生徒と話をしたりお昼を食べたりする。

 真琴も積極的ではなかったけど、その輪に加わっていたはずだった。

 でも、いつの間にか真琴と話をするのは由紀子と美希だけになっていた。

 なんとなくクラスの女子に避けられているかな、と思ってはいたけどそれ以上深くは考えていなかった。

 だから自分が嫌われていることになかなか気づかなかった。

 そんな状況に置かれているにもかかわらず、いじめられたりしなかったのはたぶん、唯一の友達である二人の影響が大きいと思う。

 由紀子は物腰の柔らかい性格のせいか、同姓から好かれやすく友達が多い。

 美希は言わずもがな、高柳グループの令嬢。

 ある意味、無敵の組み合わせだ。

 恥ずかしいから伝えたことはなかったけど、二人には感謝していた。

 ちなみに、嫌われるようになった理由は、いまだにはっきりとはよくわからない。

 嫌われていることに気づいた時は、皆とのわだかまりを解くべきなんだろうと思ったけど……。

 本音を言えば、上辺だけのつき合いしかできない人たちと友達でいても疲れるだけだし、関係が切れてかえってさっぱりした。

 そうは言っても、これ以上敵を増やすのは面倒だと思っていた真琴にとって、この新しい噂には早く終息してもらいたかった。

「っていうか、そもそもその噂って信憑性高いの?」

 何気なく言った真琴の言葉を聞いて、由紀子と美希は顔を見合わせた。

 そして、二人はそろって同情するような目で真琴を見ながら、由紀子が口を開いた。

「しょせんは噂だから、真相は本人にしかわからないわよ。……でも、私は信憑性高いと思ってるわ」

「ど、どうして!?」

 由紀子の言葉に何か根拠のようなものを感じて動揺した真琴を尻目に、今度は美希が答えた。

「これだからマコちゃんは鈍いって言われるんだよ。神田君ってさ、私とかユキちゃんが相手でもまともに話したりしないんだよ? でもマコちゃんだけは違うじゃない。あれだけ女子を毛嫌いしてる神田君が唯一、マコちゃんだけはフツーに話してる。これって、何か特別な感情があると思えない?」

「思えない。だって話してても特別私を意識してるようには見えないもの。神田君にとって私は男子と変わらないのよ。ほら、私の性格もどっちかって言うと男子に近いし」

「そうじゃなくて、神田君とそういう関係になれるってことが、もうすでに特別扱いされてるんじゃないの?」

 言われてみれば、確かに不自然なことはあった。

 神田君が女子に人気があるのは知っていたけど、実際に女子と話してる姿を見たことがなかった。

 それでも真琴とは普通に接していたから気にしたことはなかったんだ。

 そうして考えてみると、自分がいかに淡白な人間か思い知らされる。

 興味のないこと、興味のない人。一度そういう分類をしてしまうと、それらのことを何も考えなくなるらしい。

 神田君が真琴以外の女子と話している時、どういう様子だったのかまったく知らなかった。同じクラスで、もう三ヶ月も一緒に勉強しているというのに。

 急に自分の意見に自信がなくなってきた真琴は、恐る恐る同じ質問を繰り返した。

「……それじゃあ、噂は本当ってこと?」

 由紀子と美希はうなづきながら同じ言葉をつぶやいた。

『たぶん』

 真琴は視線を落とし、深くため息をついた。

「何? 真琴。その意味深なため息は? 噂が本当だと何か困ることでもあるのかしら」

「そりゃ、あるわよ。相手が神田君じゃなおさらね」

「告白されたら困るってわけじゃないのよね? マコちゃん、もう答え決まってるみたいだし」

「まあね。私が心配してるのは外野の反応。そういう話題で注目浴びたくないのよ。目立たず平和に静かに過ごしたいのに」

「だから、神田君だと困るのね? クラスとか学年に関係なく、彼のことを好きな人が多いから」

 冷静に分析してみせた由紀子が、真琴に気の毒そうな顔を向けた。

「そういうことよ」

「なーんだ、そんなこと? たぶん大丈夫じゃない。だってほら、もうすぐ夏休みだし。人の噂も七十五日ってね」

 ウィンク一つ、美希は人ごとのようにそう言った。

 何だかこの状況を楽しんでいるみたい。

(いや、楽しんでいるのか……)

 そもそも美希はこの話題を真琴の所に持ってきたのだ。

 外野から当事者の反応を間近に見るっていうのは、確かに面白そう。

 あまり、いい趣味とは言えないけれど。

 個人的には、真琴はそういう女子が苦手だった。

 一学期の前半、毎日のように他人の恋愛関係の噂話で騒ぎ立てていたクラスの女子たちには、うんざりさせられていた。

 文句の一つでも言いたかったのだが、思っていることを素直に表現することが苦手だったのと、やはり目立ちたくなかったので黙っていた。

 その真琴の心を代弁するかのように美希は言ったのだ。

 他人の噂話で勝手に盛り上がるクラスメイトたちにたった一言、「うるさいっ!」と。

 お蔭で美希がクラスにいる時だけは静かに過ごせた。

 彼女に逆らおうとする生徒はいなかったから。

 その後、結局は噂話自体が飽きられて、自然とクラスメイトたちが騒ぎ立てることはなくなった。

 けれど、美希の一言はそういう流れを作る、いいきっかけにはなったと思う。

いつだったか、美希にどうして真琴が思っていたことを言ってくれたのか聞いたら、一笑にふされて「私も同じように思っていただけよ」と言われた。

 ちなみに、それが美希と友達になった最初のきっかけだった。

 だから、美希はこの手の話題には興味がないのだと勝手に思っていた。

 でもあの時とは状況が違う。

 ただのクラスメイトから友達になった。

 友達が噂の中心にいたら、気にはなるのかもしれないと思った。

(……人の噂も七十五日……か……)

 それは、確かにそうかもしれない。

 初めてのことだからよくはわからないが、噂なんて柳に風で受け流すのが一番なのだろう。自ら噂話をかき回すような馬鹿なまねはしたくない。

 そう考えていながら、真琴がとったのは正反対の行動だった。

 これ以上噂が広まるのを止めるには、夏休み前に決着をつける必要があったから。

 何より、夏休みの間に勝手なことを想像されるのは嫌だった。

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