Round 0 (3/3)


***


 目の前に立った少女が拳銃を構えてこちらを見ている。

 先程までとは違い両手で拳銃を構えていて、銃口もピクリとも動かない。

 ふと気になって名前を聞いた。深い理由はなかった。

 彼女は「セイ」と名乗った。偽名らしい。

 殺し屋らしいな、と思った。聞いた以上はこちらも名乗るべきだろうと思ったが、依頼があってここにきているくらいなら知っているだろう、とそんなことを考えていたら、一応自分も名前を言ったつもりがほとんど声になっていなかった。

 そのあと少し、とは言っても数秒だろう。お互い何も言わず、動かない時間があった。

――撃つなら早く撃ってくれないかな――

 そんなことを思っていたら、彼女が少し動き、拳銃を構え直した。そしてきゅっとしまった唇が一瞬開き、独り言のように何かを言った。

 音は聞こえなかったが何と言ったのかはその動きから何となくわかった。

 そして、おそらくは、それは自分に向けられたものではないだろうという事も。

――一瞬で終わって欲しいな――

 そんなことを思いながら、

 引き金に掛けた少女の指が動くのを見て、

 なぜだか、引き金を引ききって、ワンテンポおいて少し緩んだ少女の顔まで、俺は見届けていた。

「……?」

 銃には詳しくないが、いわゆる不発弾という奴だろうか。

 特に助かっただとかいう感情はなかった。

 少女の持つ銃が少し下の方を向く。

 そして数秒おいて、その銃が跳ねた。

 音は聞こえていたのかもしれないが、わからなかった。

 腹部に熱を感じて視線を下げると、来ていた服が少しずつ赤黒く染まっていっていた。

 あれ、と思ったあたりで痛覚を感じ始め、そして何が起きたのかいまいち理解できないまま、意識が飛んだ。



 目が覚めると、見慣れた自分の部屋の天井だった。けれど、見える向きがいつもと違う。

 あれ、と思う間もなく、脇腹の鈍い痛みによって自分の置かれた状況を思い出す。

――なんで俺は生きてるんだ?――

 なんだか良く分からないが、腹のあたりを撃たれたという事だけは分かる。

 脇腹の痛みに耐えながら上体を起こすと、壁に寄りかかって寝ている少女が目に入った。その傍らには、彼女の持っていた拳銃。

 自分の脇腹に目を落とすと、服は赤黒く染まっているが、そのシミが大きくなる気配はない。不思議に思って服をめくると、お腹のあたりに包帯が巻いてあった。白い包帯だが脇腹のあたりに赤い染みがあり、どのあたりを撃たれたのか何となくわかる。

――痛くないようにって頼んだんだけどな――

 俺が起きた気配に気づいたのか、壁に寄りかかって寝ていた少女が身を起こした。

「あ、起きた?」

「ああ、起きた」

「傷はどう?」

「痛むよ。撃った張本人がなに言ってんだ」

「それもそうね」

 少女は床に転がっている拳銃を手にする気配はなく、それどころか立ち上がって冷蔵庫からお茶を出すと、勝手に飲み始める。

 状況がいまいちの見込めなかったので、まずは一番気になっていることを聞くことにした。

「で、なんで俺は生きてるんだ?」

 少女は二杯目のお茶を飲みながら、

「偶然私の撃った弾が遅発で、狙ってたとこじゃないとこにあたった。脇腹ね。それが幸運にも主要な臓器とか血管はあまり傷つけなかったみたいで今のとこ貴方は生きてる」

「そういう事じゃない。君は俺の殺害依頼を受けていて、一時間か二時間か知らないけど、俺はここで意識を失ってた。一発目がうまくいかなかったところで、もう一発撃って殺さない理由がない。まさか一発しか持ってないなんてわけないいだろうし」

「一発しか持ってなかったんじゃない」

 お茶を飲み終わった少女は冷凍庫をあさりながら答える。

 流石に嘘なのは分かった。

「……こっちも、いきなりやってきて殺しますよって言われて、はい分かりましたって言ったら撃つだけ撃たれて生きてるし、散々振り回されてるんだからそれくらい教えてもらってもいいと思うんだけど」

 すぐには返事はなかった。

 しばらく冷凍庫を漁って数日前に俺が買ったアイスを見つけた少女は、それ一口かじってから、

「……そうね。たまにはこういうことを話してみるのもいいかもしれないわね。」

先ほどまで寝てたのと同じ場所に寄りかかった。

「長い話になるわよ」

「教えてくれ」

 腕で体を引きずるようにして、少女とは向かいの壁に痛む上体を預ける。


「私はこういう仕事についてるけど、もちろん元から殺し屋なんてやってたわけじゃない。昔は貴方みたいな一般市民をやってたのよ。別の町でね。けど、色々あって、一般市民としては生きていけなくなった。経済的な理由でね。それで、まあ色々あって、何年か前はらはこんなことを始めた。賃金だけは高いのよ、この仕事。おかげさまでその歳の私でも食べていくには苦労しなかった」


 そこまで言ってから、もう一口、アイスを食べる。


「で、私はこの仕事をするうえで、一つだけルールを作ってたの。完全に、こっち側―つまり裏側の人間にはならないってルールをね。貴方には勘付かれてたみたいだけど、私はこの辺では普通の18歳の女の子として生活してる。これが、言うなれば私の「表側」なの」


 アイスが少しずつ溶けて少女の手の上に雫が落ちる。


「私のルールは、裏返せば私の「表側」は意地でも守る、自分で「表側」を壊すようなことはしないってこと。ここまで裏側に染まっておいて、子供の我儘みたいなルールだってことは分かってるんだけど、今までずっとこのルールは守ってきた」


 自分の手に口づけをするようにして手の甲のアイスを拭い、唇についたアイスをちろりと舐めとってから、もう一口かじりつく。


「それでね、貴方は私の「表面」のだったの。ただのご近所さんだけど、「表」の人たちと深いかかわりを作らないようにしてた私が、多分一番よく会話した相手じゃないかな」


 拭ったはずの手の甲に、またアイスのしずくが一滴、二滴とたれていく。


「でも、貴方を殺すように命令が来た。ルールと命令とを天秤にかけて、私は命令を選んだ。貴方が私の「表面」のすべてではないから。それで私はここに来た」


 残りのアイスをまとめて口に突っ込んでから、少女は続ける。


「けどね、引き金を引いた後、弾が出なかった瞬間、すこしほっとした。それで決めたの。そろそろ潮時なんだろうね。ここで貴方を見逃したら、多分上が私を消しにくる。裏切られるくらいなら消してしまえっていうのは合理的な判断だし、こんなに私情を挟んだんじゃ見逃してもらえる余地はないでしょうね。けど、こんな仕事しといて自分の信条だけは通そうってのも虫のいい話だけど、無理をしてこの生活を続けるより、多少の危険は冒すことになって、今ある仕事を失う事になっても、自分で決めたルールを尊重することにしたの」


 少女は立ち上がり、手の甲のアイスを拭いてから転がっていた拳銃を手に取り、


「だから、私は私のルールを通す。私の「表面」の一部な、貴方を殺すことはしないわ」


 思い出したようにアイスの棒をゴミ箱に捨ててから、拳銃を腰のホルスターに収めて、玄関の方へ向かった。



 なるほど。理解できたような、できないような。

「でも、君が俺を殺さなくても、また別の殺し屋がくるんだろ?」

 でも、こっちとしてはまだもう一つ、根本的な問題が残ってる。

「でしょうね。私より信頼されてて、腕の立つ人が。けど、それで貴方がどうなろうが、私には関係ない。どこかのだれかが貴方を殺しても、私が私のルールを破ったことにはならない。それに、私にはそれを止めることは出来ないわ。多分、私も狙われるから。死にたくなければここから逃げる事ね」

 やっぱり、今後も命を狙われ続けるのは変わらないのか。

「君はどうするつもり?」

「私は逃げるわ。誰かしら追手がくるだろうし、普通にやって撒ける相手でもない。正直ちゃんと逃げ切れる保証はどこにもないけど、私はこっちを選んだから」

 やっぱり逃げるのか。それならば、

「提案があるんだけど」

 こんなことを言うなんて、血が足りてないせいなのかもしれないけれど。

「……なに?」

 少なくとも、今はこれが最も合理的な選択に思えた。

「俺と君、二人で逃げないか?」


***


 もう殺すか逃げるか以外の選択肢はない。引き金を引いて、見逃した時点で、まだやってないだけで後で殺ります、という言い訳は使えなくなった。私には、標的を見逃したという前科が確定する。仕方ない。元からそんなつもりじゃなかったのだから。

 そんなことを考えながら、今後のことに考えを巡らせようとした、その時。

「俺と君、二人で逃げないか?」

 部屋の奥から、私に脇腹を撃ち抜かれた少年がそんな言葉を投げかけてきた。

 予想もしていなかった言葉に、一瞬足が止まる。

「俺としては、ここに残っても次の殺し屋に殺されるのを待つだけ。もとから、今ここでの生活にそこまで思い入れもない。本来ならもう君に殺されてるはずの身だ。君としても、もとから逃げるつもりみたいだし。どうせお互い狙われてる身だ。さっき言ってた通り勝算も大きくはないんだろう。だったら一緒に逃げるっていうのもありだと思うんだけど」

 そういうことか。でも、

「二つ聞いていいかしら」

 少年の方を振り返って、

「一つ、結果的に殺してないとはいっても、貴方を殺しに来て、貴方を撃った私が怖くはないのか。二つ、それで私に何のメリットがあるのか」

 特に二つ目の方は大事な問題だ。

「一つ目の答え。底が知れない人間は怖いけど、いくら深くても底が見える人間はそこまで怖くない。君の底は、少なくとも俺は見えたような気がしてる。それに、顔も知らない殺し屋が来るのを待つよりかは、一度でも見逃してくれた君の方がまだ安心できる」

 少年は壁にもたれたまま力なく答える。

「それと、二つ目。君の言う「上」がどんなものかは知らないけど、楽な相手じゃないんだろ。なら、人手があるってのは悪い事ばかりじゃないはずだ。どうあがいても一人じゃ手は二本しかないし、同時にできることの数も限られる。最悪、死なない程度にならお取りに使ってくれても構わない」

 返事はせずに、黙ってその目を見つめる。

 少年も自分の言っているメリットが弱いという事には気が付いているのだろう。絞りだすようにして言葉を続ける。

「追手から逃げながら細々暮らしていくって、君の言い方を借りるとまさしく「表側」がない、裏側の人間じゃないか?その点、一般人と二人で逃げればそうでもないんじゃないかな。それに、俺としても素人一人で逃げるのは心許ない」

 きっと少年もあわてて付け足したものの、大したことは言えてないことは分かっているのだろう。最後の方はもはやメリットの提示ですらなかったし、だめもとといった感じが全身からあふれ出している。

 それなのに、妙に彼の言うことに気を引かれたのはなぜだろう。

「それに、君のせいでこんな体になってるんだから多少手伝ってくれてもいいと思うんだけど」

 少年は重ねるように言う。

 九割九分、こちらが本音だろう。彼も隠すつもりはないようだ。

 しかしまあ、一応手当はしたとはいえ、私も冷血漢ではないのでそれを言われると断りにくい。というのは時分への言い訳なのかもしれない。実は彼が言わないよりまし、といった感じで言ったあの言葉のせいかもしれない。

「……わかったわ」

 けれど、ここだけは確実だ。

「お荷物になりそうなら容赦なく置いてくから」

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