Round 5


***Round 5***


 結局貨物列車が終着駅らしき駅につくまで鉄道の職員にばれることもなく、小一時間の無賃乗車鉄道の旅は終わった。

 貨車から降りるときに職員に見つかってちょっとした鬼ごっこをする羽目になったものの、なんとか捕まることもなく初めて見る、どことも知れない街に降り立つ。

 少し街を歩いてみて分かったのは、ここが以前いた町の隣の県にある、ちょっとした街だという事。

 街の名前は、聞いたことはあるかどこなのかは知らないようなものだったので、まあ大きくもなく小さくもなく、といった規模なのだろう。前居た街とそう違うようには思えない。

 できれば屋根のあるところで泊まりたかったので、着いてすぐに部屋探しに移った。

 二人で話し合った結果、条件は、安くて、三階以上で、できれば最上階。そして、住人は少ないほうがいい。

 安いところがいいのは金がないからで、三階以上がいいのは窓から入りにくいから。そして、最後のがミソ。欲を言えば貸し切りたいくらいなんだけど、それには金が足りない。

 まあ、部屋探しといっても、不動産屋を巡ったり、引っ越しサイトを漁ったわけではない。というか、そもそも探す、というのが不適切かもしれない。街を少し彷徨っているうちに丁度いい感じの安そうなアパートを見つけたので、そのアパートの大家を探すのがメインだった。

 二時間ほどかけて大家を探し、幸運にも今日にでも入れる、とのことだったので、中を見せてもらうことにする。この街も前の街と同じように、このあたりはざっくりなのだろう。

 少し待っていてくれ、とのことだったので、近くのコンビニのイートインで時間をつぶすことにする。

 コーヒーを飲み、アイスを食べて、そろそろ店員の視線が痛くなってきたころ、アパートのところへ来てくれと電話が来た。

 店員の追い出すような視線に背中を刺されつつ店を出て、五分ほど歩いてマンションへ向かう。

 大家らしき小太りのおばさんは建物の入り口のまえで待っていた。

 私達が「よろしくお願いします」というと、大家さんは開口一番、

「あら珍しい。若い二人連れなんて。駆け落ちでもしてきたのかしら?」

 冗談のつもりなのだろうけど、微妙に通づるところがあるので苦笑い。

「ところで、このマンションってどこの部屋が空いてるんですか?」

「ほぼ選びたい放題よ。今埋まってるのは一階の一部屋だけだからね」

 まじですか。ぼろいなとは思ってたけどそこまでとは。

「ひょっとしてこれ、事故物件とかですか?」

 ソウが恐る恐るといった感じで聞く。

 大家は手をひらひらひながら、

「いやぁ、別に事故物件じゃないんだけどね。いかんせんぼろい上に立地もよくないから、そろそろ取り壊そうかと迷ってたくらいだから、不動産サイトとかにも出してなかったからね。あんたらから電話が来たときはびっくりしたよ」

「は、はあ……」

 それを大家が言っていいものなのか。

「じゃあ、一番上も開いてますよね」

「四部屋あるけど全部空いてるよ。好きなとこを選びな」

 どうやらエレベーターもないようで、えっちらおっちらと階段を上がる大家の後ろについて四階まで両脇を壁に挟まれた踊り場付きの階段を上がりながら、細かい説明を聞く。

「ここが一番上だね。一応屋上もあるけど、柵も何にもなくて危ないから出ない方がいいわよ」

 登り切ると階段と直角に廊下があり、その廊下の両側に二部屋づつ部屋がある。

「どこにする?私は南側がいいけど」

「俺も南側だな。あと、できれば奥の方がいい」

「404号室ね。今嗅ぎ出すからちょっと待って」

 大家がそう言いながら鞄をごそごそと漁る。どうやら4という数字を避けるつもりはないらしい。もし9階建てだったり1フロアに9部屋あったとしても、迷いなく904号室だとか409号室だとかつけるのだろう。一周まわって潔い。

 大家の後に続いて部屋に入ると、中は以外にも狭くはなかった。

「こんな感じだけど、どうする?こんな建物だし、やっぱりやめとくって言うなら止めやしないけど」

「いえ、ここをお借りします」

 正直面食らいはしたけれど、住人が少ないのは好都合。

 その場で契約書にサインをして、鍵を受け取る。もちろん名義は適当な偽名で。昔から、名前の違う身分証明書も何枚か持ち歩いていたので、手続きはスムーズにいった。

「ありがとねー」

 体形のせいか、軽快、とまではいかないけれど心軽やかとも思える足取りで去っていく大家を見送ってから、部屋に向き直る。

「さて、日が暮れる前に必要なもの買いに行くわよ」



 近くのホームセンターや家電量販店、アウトレットを巡って、夕食時あたりまでには一通りの、最低限必要なものを買いそろえた。

 大物で言うと、電子レンジ、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、掃除機、などなど。結局中古品店をフル活用したので、思ったほど金は掛からなかった。

 どうやって運ぶかが問題だったけれど、ホームセンターで布団を二枚買った時に軽トラを借りることができたので、それに荷物をあらかた積み込む。もちろん免許は偽物しか持っていないけれど、運転は出来るので問題ない。

 時間が時間だったので、買い物ついでに外で夕食を取り、暗くなってからアパートに戻った。

 小一時間かけて買ったものを設置していく。

「そういや、ここからの脱出経路ってどうするの?」

 冷蔵庫の中に買ってきた食料品を詰めながら、ソウが言う。

「この前と同じよ。ロープをベランダと屋上に置いておく。テレポートできるわけでもなければ空を飛べるわけでもないんだし、それで降りるしかないでしょ」

「まじかよ。ここ四階なんだけど」

「仕方ないじゃない、それしかないんだから」

 テレビに電源とアンテナのケーブルをつないで、額に浮いた汗をぬぐう。

「さすがにこの部屋で二人動くと暑いわね。冷房つけるわよ」

「動くのか、それ」

「さあね」

 時代を感じる黄ばんだリモコンをエアコンに向け、ボタンを押した。

 ピピっという音とともに想像の倍くらい大きな音を立ててエアコンが動き出す。

 リモコンを部屋の端の椅子にぽいっと放ってから、ひょっとして、と思い至る。

「ねえソウ、エアコンって確か放置してると埃がたまるわよね」

 いやな予感がして二人してエアコンの方を向き直るとほぼ同時に、エアコンが私たちの顔面目掛けて埃っぽい空気を噴き出した。

 いったい何年放置されていたのか、目で見えるくらいには埃が舞った。

 反射的に服の胸元で鼻と口を覆う。

「ちょっと、エアコン止めてっ」

「分かってるわよ」

 慌てて電源を止めたけれど、先ほど掃除機をかけた床の上にはすでにうっすらと白いものが積もっている。

 ソウが無言のまま掃除機を持ってくる。

「今日は窓開けといて、明日エアコンの掃除をしましょ」

「……だな。まさかここまでとは思わなかった」

「下手したら、前に動いてたの数年前どころじゃ済まないかもね」

 夏になって本格的に暑くなる前にちゃんと動くか確かめないと、と思ってから、ここに夏までいられると自然に思っていた自分に少し驚く。

 まあいいか。せっかくここまでしたんだ、それくらい夢見たっていいだろう。

 角部屋なので窓を開けると風が通って少し涼しくなった。

「そうだ、一通り設置も済んだし、列車で言ってたやつを仕掛けに行くわよ」

 少し夜風にあたって汗を乾かしてから、お茶を飲んでいたソウを呼ぶ。

 鞄から例の物を取り出し、ソウにも渡す。

「私も詳しいわけじゃないから良く分からないけど、できるだけ均等に目立たないところに置いてって」

「了解。誤作動とかしないよな、これ」

「多分大丈夫なんじゃない。保証は出来ないけどね」

 ガムテープ片手に部屋を出る。人がいないので、こういうことをしても不審がられないのがいい。

 まずは二人で建物の中を巡って、よさげな場所をさがしていく。気づかれては意味がないので、目立たない場所を選んでいく。

 しばらくそうした後で、二手に分かれて、それをあちこちに設置していく。廊下の物陰。階段の裏。さっき場所を決めたとはいえ、それほど厳密である必要もないので少しづつ思い付きで場所も変える。ピッキングであっさりと鍵が開いたので、空き部屋の中にも置いておいた。少し余ったので、屋上に上がって階段入り口の周りにも設置しておく。

 途中でソウはピッキングができないという事に思い至って手伝いに行き、30分ほどですべて設置が終わった。

「これで、最低限の準備は終わったかしらね」

「これが役に立つ日が来ないことを祈るよ」

 私達の部屋の前に最後の一つをおいて、私達の新居に戻る。

 部屋に戻って椅子に座ると、もう何もする気が起きなかった。

 まだやることは少しあるにはあるのだが、おそらくここ数日で一番疲れただけあり、体が重い。最低限やるだけやったという事もあり、気力がこれ以上わかない。

 結局、昨日寝不足だった代わりとでもいうように、部屋の両端にできる限り離して敷いた布団に飛び込んで、そのまま二人して風呂も入ってないのに寝落ちした。




 それからは、あの数日間、いや、この何年かが嘘のように、平和な生活だった。

 血を見たのは紙で指を切ったときだけだったし、拳銃の安全装置を外すこともなかった。

 朝起きて、近所の商店街にバイトをしに行って、帰ったらご飯を食べて、遊んで、寝る。

 いつからか、拳銃は持ち歩かなくなっていた。それからしばらくして、護身用に持ち歩いていたナイフも置いていくようになった。

 何年かぶりに、面と向かって、おやすみ、というあいさつをした。

 朝ごはんできたよ、と起こされたのは小学校に通っていたころ以来だろうか。

 週末には、近くにあるらしい観光地に足を延ばしたりもした。

 家事は当番制だった。

 帰ったら家に人がいて、ご飯が作ってある。一体いつぶりの事だろう。

 二日に一回は私がご飯を作る番だった。

 二人前のご飯なんて作るのは初めてで、最初のうちは少し慣れなかった。

 人に食べさせる、なんて言うのは、もしかしたら人生で初めてだったかもしれない。

 明日仕事がないときは、朝までゲームをして遊んだりもした。

 掃除の当番はどっちだとか、些細なことで喧嘩したりもした。

 ただひたすら家でダラダラした日もあった。

 家に居て何もしていない時間に、たわいもないことを話す相手がいる、というのは、どこか新鮮だった。

 何度か、安い店で外食したりもした。

 バイト先の店のおばさんに気に入られて、ご飯を頂いたこともあった。

 同じ店でバイトしていた女の子に誘われて、一緒に買い物に行ったりもした。

 彼女にも妙に気に入られたようで、たまに一緒に出掛ける程度の仲にもなった。

 彼女の横で、見よう見まねで値切り合戦をしようとしてあえなく一蹴されたりもした。

 ソウと一緒に買い物に行った帰りを目撃されて、「ひょっとして彼氏ですか?同棲ですか?」とえらく騒がれたりもした。

 前者はともかく後者については外れてはいないので、ごまかすのには苦労した。

 初めて、両親以外に食べ物の好き嫌いについて教えた。

 人の好き嫌いを初めて知った。

 初めのうちは分けていた洗濯物も、すぐに面倒くさくなって二人分一緒にするようになった。

 ソウに誘われて屋上で星を見たりもした。

 少し遠出してシネコンに映画を見に行ったりもした。

 ソウも誘ってバイト先の女の子とお菓子を食べに出掛けたりもした。

 やっぱり彼女はどこか勘違いしているようで、終始にやにやしていた。

 二人そろって寝坊してバイト先のおばさんに呆れられたりもした。

 色々あってお腹を壊して、看病、とまではいかないもののご飯を代わりに作ってくれたりする人がいることのありがたみを痛感した。

 信じられないほど、幸せな時間だった。

 途中からは、殺し屋稼業の事や、追手のことなどはほとんど頭の中にはなかった。

 拳銃を手に硝煙の匂いのする仕事をしている間中、夢見ていたような生活だった。

 きっと、あの薄暗い世界に足を踏み入れずに済んでいれば、こんな生活が待っていたのだろう、と思えるような毎日だった。

 あの時、引き金を引く直前にソウが目を覚ましていてよかったと、心から思った。

 これでもう悔いはない。そういえるのではないかと思うほど、満ち足りた毎日だった。

 そして、この毎日に慣れて何も感じなくなってしまうのが、途方もなく怖かった。

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