Round 0 (1/3)


***Round 0 ***


 私は、自分のことを優秀な部類の殺し屋だと思っている。主に精神的な面で。

 もちろん、腕に関してもそれなりに自信があるが、こちらはせいぜい中堅がいいところ。もっと腕がたつ連中はゴロゴロいる。

 けれど、そういう腕の立つ者の多くは、この仕事を本気で楽しんでいる節がある。

 楽しんでいるから腕がたつのか、腕がたつから楽しんでいるのか、それは分からないけれど、実際そういう傾向があるのは事実だ。

 そして彼らのように、仕事としてよりも、己の趣味としてこの業界にいるものは、たいてい長くは続かない。

 中堅でもこなせるような仕事なら、仕事より楽しさを追求し、その上高い対価を要求するような人間に頼むわけがない。そして大抵の仕事はわざわざ彼らに頼むほどのものではないので、彼らに回る仕事は決して多くない。

 なにより、そういう輩は、じきに依頼なんか待たずに気の向くまま他人を狩り、「表」からも「裏」からも外れた、シリアルキラーになる。

 その点、私がこの仕事を続けているのは、あくまで生活の糧として。

 そこの線引きは、しっかりとしている。

 この業界に入ったのだって、当時の私の年齢で十分な稼ぎを得られる仕事がこれくらいしかなかったから。

 依頼には忠実に仕事をしているし、人を殺めるという行為を楽しいとは思わない。腕だって普通の依頼ではまず失敗しない程度にはある。確実に、忠実に、働く。そうやって信頼を築いてきたし、そうするつもりだった。

 仕事ならば、人を殺めることに躊躇はしなかった。狙われるものには、相応の理由がある。それで殺しを正当化するわけではないけれど、自分を納得させてきていた。それが私の考えで、やりかただった。

 けれど。

 初めて、依頼を見て、躊躇してしまった。



 私には、昔から一つ、譲らないと決めているルールがある。

 私が今の仕事をしているのは、あくまでも生活のため。

 だから、自分の人生を、こちら側に沈めきることは、決してしない。

 もう限りなくこちら側に沈み込んでいる私だが、それでも、近所には私を見かけて声をかけてくれる八百屋もおばさんもいれば、顔なじみのスーパーの店員もいる。

 近所の人は、私のことを不定期のバイトで食いつないでる普通の少女だと思っているし、私もそのように接している。

 この、一欠片だけ、表の世界に生き残っている私を消すことだけは、絶対にしない。したくない。だから、この「表の私」は、何があっても守り切る。

 休日のルールもこれと同じこと。自分の中で、休日だけは表の、普通の少女として過ごすと決めている。私の「表」が、「裏」に浸食されないよう、守るための小さなルール。休日という、小さな聖域。

 ここまでこちら側にどっぷりと浸かっておいて、表の人間としての面を持ち続けたいなんて言うのは虫のいい話だとも分かっている。

 それでも、これは譲らないと決めている。我儘のようなものだ。

 そして、私の「表側」で最も親しくしている――とはいってもたまにどうでもいい会話をする程度だが――が、この、少年だった。



 問題は簡単。この少年を殺すか、殺さないかの二択だ。

 殺せば、今まで通り仕事は続く。

 私の日常の大多数を占める「裏」での生活も、変わらず続くだろう。

 その代わり、私は自分の手で、自分で守ると決めていた自分の「表」を、壊すことになる。

 もちろん、少年を殺したところで八百屋のおばさんや顔なじみの店員は変わらず接してくれるだろうし、近所の人が私が殺し屋だと気づくこともない。

 それでも、私の中に、自分で自分が譲らないと決めていたものの一部を、それも決して小さくはない部分を壊したという事実は残る。

 殺さなければ、私のルールは守られる。

 けれども、今まで築いてきた信頼は失われるだろう。

 それだけではない。あいにく、私の代わりはごまんといる。

 そのうえ、築いてきた信用のおかげか、それなりに上についての情報を持ってしまっている。暇な同業者を腐るほど抱えている上のことだ、間違いなく黙って去らせてはくれないだろう。

 つまり、我儘を押し通して生活基盤を失ったうえ終われる身となるか、我儘を諦めて生活基盤を維持するか。

 基本的に、一般人を殺せ、という依頼は、特別な理由がない限り回ってこない。

 そのせいで、幸か不幸か、今までこの仕事をしてきて、この二つ、自分の我儘じみたルールと裏での仕事がぶつかることはなかった。だから、なかなか思い切れない。

もちろん、合理的に考えれば後者の方が、この仕事をいつものように済ませるのが正しいのは分かっている。

 昔組んでいたスナイパーをしている先輩の言葉だったか。「この業界でやっていきたかったら、必要な時には何にだって目をつぶれるようにならないと」

 昔といっても、一年ほど前の話だが。

 彼女の言葉を借りれば、今がその「必要な時」なのだろう。

 自分の我儘を諦めるか、生活基盤と今の生活のすべてを失うか。

 どちらが賢明かは馬鹿でもわかる。

 けれども、決心がつかない。この業界に入ったとき、いや、こちら側の世界に足を踏み入れた時から、決めていたルールだ。そう簡単にはいそうですかとは折れない。


――あー、もうやめだ――


 せっかくの休日なんだ。これは明日考えよう。

 無理やりメールのことを思考の外に追い出す。

 ふと思い出して電子レンジを開けると、温めたはずのおかずは既にぬるくなっていた。


***


 結局昨日は何をするにしても集中できず、いつものようにテレビを見ることもネットニュースを漁ることも、本を読むことさえもなく、異様に早く寝た。

 おかげさまで体の方は憎らしいほどに極めて快調だが、一晩寝ても考えはまとまらない。

 メールが昨日来ていたという事は、今日中には済まさなければいけない仕事のはずだ。あんまりのんびりとはしていられない。

 どうしたものか。決心がつかない事には何もできない。

 昨日の今日なのに全く懲りず、いつもの癖で何となく携帯を開くと、メッセージの通知があった。例の、昔組んでいたスナイパーからだ。内容は、ただ、今日飲みに行かないか、というもの。今も一応未成年の飲酒は違法だが、この辺で律義にそれを守っている人はめったにいない。私だって、たまに飲む。

 一行にも満たないそのメッセージを眺めているうち、別にいいのではないかという気がしてきた。考えるのに疲れてきたせいもあるだろう。

 この場合、賢明な選択肢はおとなしく仕事をすることだし、裏の方にだって彼女のような飲みに行く程度の友人はいる。あの少年が私の「表」のすべてではないし、気晴らしの会話相手程度なら別に彼である必要性も特段思いつかない。

 今日は仕事があるから明日、と返すと、すぐに「けがするなよー」と返信が来た。

 怪我することはないだろう。相手は一般人だ。



 机の引き出しから愛用の拳銃を取り出す。マガジンを差し込んでからホルスターに入れて、腰につける。いつもなら予定にないことがあってもいいよう、予備のマガジンも持っていくところなのだが、今日の仕事場はすぐここ、勝手知ったる自宅マンション。そう弾を使いそうにもない上、すぐ家に戻れるのでいらないだろう。

 家から出る前に、腰の拳銃を隠すように薄手のパーカーを羽織り、身支度完了。

 暑くなってくる時期なので長ズボンはやめて、短めのズボンにする。

 扉から出ると、春の終わりの心地よい風がマンションの通路を通り過ぎた。風に舞った髪の毛が目に入りそうなのを、左手で払う。

 少年の部屋は一つ階が下とはいえ、そこまで数十秒もかからない。

 腰の拳銃に意識をやりながら歩いて、少年の部屋のドアの前に立つ。

 一度深呼吸をしてから、立ってチャイムを押した。

 押した後、出かけていたら探すもが面倒だなと思ったが、幸いにもしばらくしたら少年は出てきた。

 彼は扉の前に立っている私を見て少し驚いたような顔をして、

「えっと、何か用?」

 ここで黙って腰の拳銃を抜けば、今日の仕事は終わりだろう。警戒すらしてない一般人を撃つことなんて、それこそ赤子の手をひねる様なものだ。

けれど、いや、だからこそだろうか。

「ちょっと話が合って。あがってもいい?」

 私は、そうすることができなかった。

 

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