#5 正直者の道化師は秘め事を抱えて街を彷徨う

5-1

 フロート市の宿泊施設の半数以上がひしめくといわれる一街区の、入口に当たる道端に、昨晩から停車したままのカーキ色の手動車両。その中では窓越しに注ぎ込む早朝の爽やかな日差しを手で遮りながら、限界まで倒された運転席の背凭れにぐったりと身体を横たえるトビーの姿があった。

「……ったく、ひと晩かけて綺麗に空振りかよ」

 助手席のアイリンは相変わらずの鉄面皮を保ってはいるものの、さすがに両の目の下には隈が浮き上がっている。

「この星が犯罪者御用達ということが、よくわかった」

「ああ?」

 アイリンが漏らしたひと言に、トビーが煩げに訊き返す。

「宿泊者名簿どころか受付映像すら保存してない宿まであるとは、さすがに予想外だった」

「この星の宿が、そんな名簿なんかつけるわけがねえだろう」

「前時代的とは聞いていたが、まだまだ私の認識が甘かったということか」

 そう言ってアイリンは、疲労を振り払うように首を振った。

 エンデラは文明的な生活を送るには何もかもが不足した星だが、中でも情報インフラは壊滅的だ。辛うじて通信端末は通じるが、都市を効率的に運用するための公的なネットワークやデータベースは皆無に近い。

 ゲンプシーあたりならばあるいは、彼のグループ独自のネットワークを築いているかもしれないが、無論アイリンが使用出来るわけがない。

「やむを得ん。一度休息を取って、今夜また残りの宿を当たろう」

 夜半を狙うのは、その時間帯の方が在室の可能性が高いからだ。だが再び夜を徹して宿に聞き込み――というよりも実態は夜討ちをかけ続けるのは、トビーとしては勘弁願いたかった。これ以上この女につき合わされるのは、堪ったものではない。

 トビーは舌打ちしながら運転席の背凭れを起こすと、仕方なしといった口調で告げた。

「マテルディ・ルバイクは知らねえが、そいつに近しいんじゃねえかって奴には心当たりがある」

 額の火傷痕を掻きながらトビーが口にした言葉に、アイリンの黒目がちの目が俄に見開かれる。

「……近しい奴、だと?」

「実際のところは知らねえ。だがお前から聞いた、そのマテルディ・ルバイクの経歴によく似た男が、このエンデラにいるんだよ」

 するとアイリンは初めて見せる驚愕の表情と共に、トビーのフライトジャケットの衿を乱暴につかみ寄せた。

「貴様、どうして最初にその情報を教えなかった」

「そいつは本部長――タヴァネズの子飼いだぜ。そう簡単に手を出せるわけじゃねえ」

 胸倉をつかまれてもびくともせずに、トビーが目の端でアイリンの顔を見返す。思わせぶりな表情の裏で、彼は己が大嘘をついていることを自覚していた。タヴァネズが、あの野郎を庇うわけがない。アイリンが奴の首を差し出せと言えば、喜んで突き出すだろう。

 では今までその情報を伏せていた、その真の理由を問われれば決まっている。初対面からいきなり人に無茶を強いるような女に、誰が好き好んで協力するものか。

 それ以上に二日連続で夜通し引っ張り回される方が最悪と考えて、今ここでそれらしく切り出したに過ぎない。

「そいつの居場所はわかるのか」

 徹夜明けの疲労のせいだろう。冷静が綻び始めたように見えるアイリンに、トビーは薄い唇の片端だけを吊り上げてみせた。

「抜かりはねえよ。奴にはちゃんと『首輪』を嵌めてある」


 ◆◆◆


 目覚めると既に陽が高いのはいつものこと。寝苦しさに半分剥いだ状態のシーツを、足下に向かって乱暴に投げつける。タンクトップに下着一枚という格好のまま、しばらく寝ぼけ眼でベッドの上に胡座をかいていたデミルは、やがて枕元に投げ出されていたポータブル端末に手を伸ばした。

 端末にのろのろと指で触れると、ホログラム・スクリーンが空中に音もなく展開される。ちょうど映し出されたのは、連日の龍の出現を告げるニュース映像であった。

「……軌道エレベーター塔、そして先日はゲンプシー商会の鉱山に出現したという巨大生物・龍。ここしばらく姿を見せていなかった龍の立て続けの出現に、住民たちは不安に怯える日々を過ごしております……」

 いかにも心配そうに眉をひそめるキャスターの顔を見て、よく言うよとデミルは声に出さず独りごちる。

 エンデラに報道機関と呼べるものはたったひとつ、それも骨の髄までゲンプシーの支配下に浸かっている。取り上げられるニュースといったら、龍が出現した時分にはもうそれ以外何もない。それどころか龍が現れなければ、バララト本国から連絡船通信で届く映像をひたすら垂れ流すだけといった状態もざらだ。

 今回はゲンプシーの鉱山に被害が出ているのだから、彼らにしてみれば久々の大仕事だろう。キャスターがしょっちゅう噛みながら原稿を読み上げるのも、普段どれほど仕事から遠ざかっているかの裏返しである。

 その拙い報道によれば、龍が鉱山から姿を消して後、北西に向かって微弱な地震の発生が記録されたという。

「北西っていうと……」

 まだ櫛も入れてない、寝癖だらけのくすんだ金髪を掻き上げながら、デミルは再び端末に指を走らせた。するとニュース映像の右隣に、もうひとつのホログラム・スクリーンが現れる。

 新たに表示されたのは、軌道エレベーター塔やフロート市がひしめく海上のメガフロート群から、海を隔てた向こうに広がる陸地の様子までを一枚に収めた地図だ。

 デミルはしばらく地図を凝視しながら、おもむろに画面の右下隅を指差した。

「トビーが最初にレーザーをぶっ放した、海底火山群がここ」

 メガフロート群から見て南東方向にある、地図上はただの海を示す以外何もない地点に、赤い印がつく。

「でもって龍が現れたのがここと、ここ」

 左上へとスクリーン上を滑るデミルの指先が指し示したのは、まずメガフロート群の軌道エレベーター区画と、そして海を渡った陸地の鉱山地帯――中でも比較的海に近い位置にある一点。それぞれに赤い印が灯ったのを確かめて、デミルはさらに地図を左上にスクロールさせる。

「で、さらに北西に向かってるらしいとなると……」

 鉱山を含む荒野は広い。彼女の指先が最終的に指し示したのは、一般人には立入禁止区域とされている火山連峰であった。

「海底火山から、ほとんどまっすぐに火山連峰を目指してるってことか」

 そう呟いたデミルの右目の義眼が、微かに光る。

 龍は地中を掘り進みながら、マグマ溜まりを渡り歩く。だがいかに桁違いのあの巨体でも、というよりは巨大過ぎるからというべきか、延々と地中に潜り続けられるわけではないらしい。マグマ溜まりを求めて移動する途中で、龍は時折り地盤の弱い部分から地表に顔を出す。

 そのことを経験上知るのは、この星で龍を追い回し続けてきたトビー以外にはもうひとり、デミルだけだ。

「あの馬鹿の予測が当たったみたいだね」

 龍が次に出現するであろうポイントとしてデミルが目星をつけたのは、火山連峰と荒野のほぼ境目の辺り。やはりゲンプシーが所有する、既に廃鉱とされている鉱山であった。そもそも鉱山地帯の資源採掘坑は地中に向かって穿たれたものばかりだから、当然ながら周囲に比べて地盤が弱い。もともと火山連峰に次いで龍が出現しやすい地域なのである。

 デミルは龍の一連の動きに彼女の推測を加味すると、今日の日付をタイトルにつけたデータファイルとして保存した。

 スクリーンいっぱいにずらりと並ぶデータの山は、いずれもトビーが龍の動きを分析するための材料として溜め込んできたものだ。その膨大な量を見るにつけ、デミルの顔はいつもげんなりした表情になる。目に入る範囲内で最も古い日付は、二年前のものだ。スクロールさせればこの何倍ものデータが連なって現れるだろう。

 いったい彼女はいつまで、こうしてデータを溜め続けなければいけないのか。

「いい加減、そろそろ終いにしてほしいもんだわ」

 ため息混じりの台詞と同時に、ホログラム・スクリーンが掻き消える。それからデミルは初めてベッドの上で大きく伸びをしてから、やがてのそのそと床に脚を下ろすと、気怠い雰囲気をまとったままにシャワールームへと向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る