3-2

「あんた、確かソリオとかいう」

 デミルにベープ管の先を突きつけられて、ソリオは頭を掻きながら喜色を浮かべた。

「おっ、名前を覚えててくれたんだ。嬉しいねえ」

「そりゃあ覚えてるよ。昨夜、トビーが散々愚痴ってたからね」

 ベープ管を手にしたまま両腕を抱えるような格好で、デミルは身体ごとソリオに向き直る。青年を見返す視線は、義眼の嵌まった右目も生身の左目も等しく冷ややかだ。

「現場ではちっとも役に立たず、あろうことか店の女を連れて逃げ出したって。あれは相当腹に据えかねてるよ」

「いやあ、そいつは誤解だよ、デミル」

 広げた両手を前に突き出しながら、ソリオはそのままカウンターに両肘をついた。

「だいたい、この俺があんな暴力沙汰をどうこう出来ると思う方が間違ってる。それをトビーは、いきなり暴れ回る野郎の前に蹴り出したんだぜ」

「まあ、あいつならそうするだろうね」

 ソリオの言う野郎――ザックが違法ベープ中毒者であることは、トビーならひと目見てわかっただろう。中毒者は一定時間暴れ回れさせておけば、やがてゼンマイが切れたように崩れ落ちる。

 トビーのことだ。おおかた麻痺銃パラライザの消費を惜しんで、ソリオ相手にもうひと暴れさせれば自滅すると期待していたに違いない。

「あんたがとっとと逃げ出したから、余計な弾を使う羽目になったってぶつくさ言ってたよ。後で弾代を請求されるだろうから、覚悟しておきな」

「そりゃ、いくらなんでもあんまりだなあ」

 カウンター席に腰掛けたソリオは、眉をひそめて大きく首を振った。

「これでも俺は、俺なりに出来ることをしたつもりなのに」

「出来ることって、女を連れ出して逃げることかい?」

「逃げるなんて人聞きが悪い。あの野郎に狙われてる女性を、危険な場所から引き離して保護してあげたのさ」

 そう言うソリオは少しも悪びれもせず、それどころか自慢げですらある。デミルは呆れる代わりにベープ管をいっぱいに吸い込むと、おもむろに開いた口から彼の顔に向けて白煙の塊を吐き出した。

「そのついでにひと晩よろしくやってたって?」

 煙に驚いて目をしばたたかせるソリオの首元を、ベープ管の先が指し示す。そこにうっすらと痣が浮かぶのを確かめて、デミルは今度こそ呆れ果てた顔で言った。

「よくもまあ、いけしゃあしゃあとそんなことが言えるもんだ」

「こいつはほら、恐怖に震える彼女を慰めている内に、自然の流れって奴だよ」

 軽蔑の視線を浴びながら、そこで爽やかな笑顔を返す神経が、デミルには理解しがたい。

「まあ、あんたが後でトビーにどやされようが、私には関係ない話だけどね」

 実際のところ、デミルはソリオに大した関心があるわけではなかった。多少の見目の良さを割り引いても、彼女にとってはせいぜい胡散臭い客のひとりに過ぎない。

「それで。こんな早くから、うちになんの用だい」

 およそ客商売とは思えない素っ気ない態度に、ソリオは小さく肩をすくめた。

「早くもなんともないだろう。開店は十時って、表に出てるぜ」

「あれはトビーが勝手に入り込んでくる時間だよ」

「そう、そのトビーさ。ここは彼の事務所代わりなんだろう? そんでもって俺にはしばらく彼と組めって指示が出てるんだから、つまりこの店は俺の職場でもある」

 昨夜の騒ぎから途中で行方をくらましておきながら、翌日にはぬけぬけとトビーと顔を合わせることに躊躇しないとは。こう見えて肝が太いのか、それとも単なる無神経なのか、おそらく後者に違いない。

「だからこうして店に顔を出したんだけど……」

 ソリオは広くもない店内を見渡して、彼とデミル以外に人影がいないことを確かめてから尋ねた。

「あのおっさん、いないのかい?」

「店には来ていたらしいけどね。途中であいつが飛び出すような用件といったら、だいたい見当はつくよ」

 そう言ってデミルが壁に嵌め込まれたモニタに触れると、今度は天井の一角にホロヴィジョンが浮かび上がった。

 二十インチほどの大きさのホログラム映像の中に浮かび上がったのは、どうやら荒野に穿たれた巨大な採掘場であった。右上には中継中というテロップが乗っているから、ちょうど今現在ドローン・カメラが捉えている映像なのだろう。

 殺風景な岩肌に覆われた大地の一部が突然現れた直線に切り落とされて、いくつもの方形が無秩序に掘り起こしたとしか思えない不格好な穴。自然の雄大さとも人の手による美しさともどっちつかずな、感慨を呼び起こすには中途半端な光景に、だがソリオの若草色の瞳は釘付けになっていた。

 中継カメラは今、大きく歪な穴をほぼ真上から映し出している。奥底が見えないというほどでもないが、十分過ぎる深さを持ったその穴の底には、カメラ越しにも見紛うことのない存在があった。

 穴の全景を捉えるほどの高さにあるカメラからも、蠢く様が十分に視認出来るほど大きなそれ・・は――

「……あれ、もしかして、龍?」

 ホロヴィジョンを指差しながらのソリオの問いに、デミルは再び白煙を吐き出しながら頷いた。

「こんなこったろうと思ったよ」

 穴底を埋め尽くしそうな長大な身体をずるりずるりと動かしながら、どうやら龍は壁をよじ登ろうとする。だがその途端、画面の端から突如現れた光の矢が、ごつごつした溶岩のような龍の鼻先に突き刺さった。

 さすがに痛みを感じるのだろうか、龍は穴底で巨体をよじらせて、頑丈な身体を壁に叩きつける度に衝撃で岩石がばらばらと崩落していく。地表から穴底に向かって下ろされた壁面沿いの大型建設機械が、ホロヴィジョンでもわかるほどぐらぐらと揺れる。

「あの馬鹿。あんな小出力のレーザーじゃ、龍が暴れるだけじゃない」

 しかめ面で映像を眺めていたデミルが、そう言って舌打ちした。

「せっかく龍が身動き出来ないんだから、採掘坑ごと焼き尽くせばいいのに」

「怖いこと言うなあ。少しずつ削ってくとかじゃ駄目なのか」

「あの化け物は一部でも身体が残ってれば、そっから再生するんだよ。だからトビーも今まで仕留められないでいる」

「そいつはまた、生命力の権化みたいな奴だな」

 龍という巨大生物が見た目以上に化け物じみていることに、ソリオが驚きを通り越して感心を口にした。

「つまりトビーは、あいつを相手するのに呼び出されたってことか」

「あの化け物の真っ向正面に飛び出そうとする馬鹿は、この星でもあいつだけだからね」

 これ以上興味はないとばかりにデミルが壁のモニタに手を伸ばして、ホロヴィジョンが掻き消された。何もなくなってしまった天井の隅からデミルへと視線を戻したソリオの瞳には、もはや呆れるほかないといった表情が浮かんでいる。

「この星じゃ、あんなのがあっちこっちに顔を出すのが日常茶飯事なのかい?」

「いくらなんでもそこまで物騒じゃないよ。こう立て続けに現れるのは、多分――」

 そこまで言いかけて、デミルは口をつぐんだ。それはその先に口にする内容を言い淀んだというわけではなく、目の前のソリオが懐から取り出した自前のベープ管を吸い始めたからであった。

「あんたねえ。ここに居座るつもりなら、なんかひとつぐらい注文しな」

「ああ、そりゃそうだ。じゃあコーヒーを一杯もらおうかな」

「ベープを吸うくせに、ベープ・バーで頼むのがコーヒーかい」

 現像機プリンターのモニタに指先を伸ばすデミルの背中に向かって、ソリオは彼女が言いかけた言葉の次を促す。

「それで、立て続けに現れるのは、なんだって?」

 するとデミルは現像機プリンターの受取口から取り出したコーヒーカップを、ソリオの前にぞんざいに置きながら答えた。

「ここんとこ龍が暴れ回るのは、多分トビーのせいだね」

 カップを持ち上げたソリオの目が、軽く見開かれる。

「トビーの? でも、彼は龍を退治しようとしてるんだろう?」

「あいつはまあ、そのつもりなんだろうけど」

 臙脂色のベープ管の先を小さく振り回しながら、ソリオを見返すデミルの瞳は、嘲りとも憐れみともつかない微妙な笑みに覆われていた。

「やってることははただ、寝た子を起こしちゃ殴り倒す、もぐら叩きに興じているだけさ」

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