【 ll 】インフェルト村の少女~I shall return~

インフェルト村の少女‐01(007)



【II】インフェルト村の少女~I shall return~




 春の陽気が心地よい街道を、とぼとぼと歩く1匹の猫の姿があった。


 とぼとぼと表現はしたが、猫は長旅で疲れていた訳ではない。上手く商人の馬車に忍び込み、林檎が入った木箱の裏で随分と楽をしていたのだが……先程運悪く見つかってしまい、降ろされたところだ。


 魔獣に気付いた馬が暴れるのは仕方がない。パトラッシュはため息をつく。


「ああ、ベーコンもありましたし、何か食べさせていただくべきでした。体の調子は随分良いのですが、やはり獲物を捕るのは苦労しますね」


 毛がふさふさで大きめの体、喋る猫……間違いない、元使い魔の魔獣猫、パトラッシュだ。野外に出ているにも関わらず毛並みが良いのは、時折人に見つけられて撫でられたり、良い食べ物を与えられているからだった。


 パトラッシュは亡き主の許で、人の心をどうやって惹きつけるかを学んでいた。


 いや、学ぶというほどの事でもない。要するに猫みたいに鳴き、猫みたいにすり寄り、猫みたいにゴロゴロと喉を鳴らせばいいのだ。


 首から鞄を下げていれば、誰かの飼い猫だと思われる。人々は付かず離れずの距離感で、可愛がってくれる。


 パトラッシュが馬車から降ろされたのは、幸いにも山岳地帯を抜けて麓の町に近付いた頃だった。あとパトラッシュの足で3時間も歩けば町に着くだろう。


 そんなパトラッシュが早く町で食べ物を見つけ、ゆっくりと休みたいと考えていた時、ふと目の前を1匹の黒い生き物が横切った。大きさはパトラッシュよりもやや小さいくらいだろうか。


 街道脇の草むらから現れ、そして反対へと渡ったその正体が何か、パトラッシュには分かったようだ。


「人里にも近いというのに、大丈夫でしょうか」


 黒い生き物はじっとパトラッシュの様子を窺っている。パトラッシュは周囲に誰もいない事を確認し、草むらに忍び寄った。


「ごきげんよう」


 黒い生き物はパトラッシュの呼びかけに驚いて飛び上がった。だが、パトラッシュに敵意が無い事を察すると、草を掻き分けて姿を現す。


 狐のような見た目だが、2本の牙が上顎から剥き出しで伸びている。パトラッシュよりも小型で毛は短い。尻尾は細長く鞭のようだ。明らかに普通の動物ではない。


「人族や魔族の言葉はお分かりになりますか?」


「ギギ! ウェパダラカム!」


「おや、古代魔族語ですか! なんと懐かしい言葉を」


 魔獣は幼子のような可愛い声でパトラッシュに話す。どうやら人族の言語で喋ることは出来ないらしい。


 パトラッシュも、主人に使い魔へと変えられる前は、古い魔族語を用いて会話していた。お前はどこから来たのかと問われたため、パトラッシュも魔族語を使って応じる。


「ノチュ、ノチュミレジダラカム」


「ミヌピプウェパチラ?」


「ミレジデシ」


 何を言っているのかさっぱり分からない。だが、パトラッシュは自分が来た方角を前足……もしくは前手で示しているので、おそらく何かの場所を伝えている。


 相手の魔獣は何かを尋ねながら舌なめずりしている。どうやら食べ物のありかを訊いているようだ。パトラッシュは魔獣にとても丁寧に答え、そして時折首を横に振る。


 少々意訳となるが、会話の内容はおおよそ以下のようなものだった。


「ミヌピプウェパチラ?」

(どこかで人族を見かけたか)


「ミレジデシ」

(この先の村で見ましたよ)


「イトゥピプラ?」

(人族を食べたい)


「ニェイトゥ」

(食べてはいけません)


「ニピ!? バトピプラ? リトラ?」

(えっ? 噛むだけならいい? 少しだけならいい?)


「ニェバト。ニェパリト。ユメピイトゥスラシュミト、ネチェリ?」

(いけません。少しでも駄目です。あなたは切り肉であれば食べることが出来ます。それでいかがでしょうか)


「ピポ?」

(人族のものか?)


「モーモスラシュミト」

(牛の切り肉です)


「ピプラ?」

(人族のものはあるか?)


「ニェ」

(ありません)


 魔獣は唸り、苛々して土を掻く。その場で時計回りに回った後、両前足で頭を抱えて蹲った。パトラッシュの答えでは納得できず、とても耐えがたいようだ。


「テシュリトラ? テシュ! ナネチェルピポ! ピポイトパパヤ!」

(舐めるだけなら? 舐めるだけ! 諦めきれない! 人族をたらふく食べたい!)


「ンー、ユメキャパイトゥワルニマウ、ロトニマウ」

(そうですね、あなたは何人かの人族ならば、食べる事ができるかもしれません)


「フィル! ムゥ……ピプリ、ピプリ……ウェキャパイトゥピプラ?」

(たくさん! ふむ、人族……どこで食べる事ができる?)


「……アチュモピダム、ユキャパイトゥアチュモピダムチ。メモンニャクチュピプリ」

(魔境なら食べられるかもしれません。魔族が人族たちを連れて行きましたよ)


「アチュモピダム……テチュ! パモトゥアチュモピダム!」

(魔境……有難う! 魔境に行くことにするよ!)


 魔獣は飛び上がって喜び、北へ向かって駆けていく。魔境に行けば本当に食べられるのかは分からない。だが少なくともこの辺りで魔獣が人を襲う可能性が減るなら有難い話だ。


「まったく、襲って食べるなんて時代遅れです。美味しいお肉を苦労せず手に入れる方法を教えて差し上げるべきでしたか」


 主に服従し、他人の前で少し猫真似をすれば、みな頼んでもいないのに食べ物をくれ、更に撫でてくれる。パトラッシュは使い魔となったおかげでしたたかに生きる知恵を学んだのだ。


「ちょっと猫の真似をしてすり寄るだけで食べるに困りません、と」


 おまけにパトラッシュはもう老猫……老魔獣だ。旅のスタート時よりは体の調子が良いとしても、間違いなく狩るより狩られる側になる。


「さあ、次の村が密猟だったり保護だったり、何かと熱心ではない事を願いましょう」


 更に歩き続ける事数時間。空に雲が掛かり始めた頃、パトラッシュはようやく1つの村に到着した。


 この付近は標高が1000メータ近い。到着したのは4000メータ級の山々の西の裾野に位置し、酪農や林業を生業とする静かな村だ。高原の風は爽やかで、東を見れば高い山々が遠くまで連なる。


 パトラッシュが人族の成人程の大きさであれば、その視線から万年雪の最高峰が見えたかもしれない。


 村の周囲の牧草地には牛や羊の姿がある。羊飼いが犬を連れて岩の上で休憩をし、牛や羊の乳を運ぶ荷車も見える。


 村を囲むのはやる気のなさそうな低い石垣、それに補修を途中で放り出したような木の柵。村の入り口には「ようこそインフェルトへ」とだけ書かれていた。


「ゆっくり過ごすにはちょうどいいですね。動物もたくさんですし、新鮮なお肉には困らない……新しいご主人様がお肉屋さんならこの上ないのですが」


 パトラッシュ本人……いや本猫? もとい本魔には飼われるというつもりがない。あくまでも自分は仕えるつもりである。


 パトラッシュは出来るだけ肉屋を経営していそうにない者を避けつつ、よく均された土の道を歩いていた。


「あっ、猫だわ!」


 姿勢を低くし、それらしい店がないか探しているうち、ふと女の子の声が聞こえ、パトラッシュの耳がピクリと動く。


 猫であるつもりはないが、気持ちとは無関係に反応してしまうらしい。むしろどちらかというと、猫呼ばわりはされたくない方だ。


 しかし耳が動き一瞬ビクッとしたことで、呼びかけが聞こえていることは悟られただろう。


 顔を向けずに様子を窺っていると、女の子が腰掛けていた民家の低い塀から飛び降りた。白い半袖のシャツに、赤いスカート。茶色い髪をおかっぱにして、靴は履いていない。


 肩から木製の小さな水筒を斜めに下げ、パトラッシュへと嬉しそうに細めた目を向けたまま近づいてくる。口の周りが白いのは、牛乳を飲んでいたようだ。


 歳は7、8歳くらいだろうか。子供に泣かれ、村の者達に悪印象を与えると後々困る事になる。パトラッシュは無視するのを諦めてちょこんと座った。


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