最終節⑫ 旅人と旅人

 あの後、改めて願いを聞かれたが、代わりの願いなんて思いつくはずもなく、とっさに出たのは、故郷までの旅に同行してもらう、だった。

 もしミナが生き返っていたら、きっと故郷に帰りたいと言うだろう。そこに彼女が愛した村があるから。

 せめて形だけでもと考えたのかはわからない。きっと理屈ではない。呪い師が言うように人の心は複雑なんだと思う。自分の事ですらわからないのだから。


 二人の旅は悪くなかったが、それもここで終わりだ。

 ゴウ、と強い風が吹き抜けた。とっさに飛ばされそうになった彼女の帽子を押さえる。


「ありがとう。それで、どうするの?」

「ああ、旅は終わりだ」

「じゃあ、さよならね。これからは――」

「あの、もしかして、ギル、のわけないですよね」


 言葉を遮ったのは大きなかごを持った村娘。不思議な事に話しかけられたのは私ではなく呪い師だった。


「なぜ私をギルと思ったのかしら。見ての通り女だし、ギルはそっちよ」


 呪い師が指差す私に、娘は勢いよく話し始めた。


「あ、私、ハリエットと言います。ハリエット・ギルソン。すぐそこに住んでます。突然ですけど家に来てくれませんか? ギルという名の、つば広帽の旅人が訪れたら、ある物を渡せと言われてて」


 なるほど。私は何も被っていない。つば広帽はヴァルターに斬られて駄目になったから。


「誰に? 何を?」

「どっちもわかりません」


 呪い師の差し金を疑ったが、彼女は肩をすくめるだけだった。

 となると何が待っているのか気になる。


「わかった。案内してほしい」


 ハリエットの話によると、子供の頃、家の納屋でそれを見つけたらしい。

 家族の誰も知らない箱で、みんなは開けようとしたが、頑なに反対したせいで諦めたそうだ。

 ずっと気になっていたと言う彼女に聞いてみた。


「なぜ開けなかった? 中が知りたいのだろう?」

「んー。中身より箱が役目を果たした時に何が起こるか、の方が気になって。開けちゃったら、それが見られなくなりそうだし」

「違いない」


 強い好奇心を持っているだけに、次から次へと旅の話を聞かれた。答えるたびに表情がころころ変わるので、私まで楽しくなった。

 そんな私たちの後ろを呪い師はついて歩く。口を挟まずに、私たちの会話に耳を傾けていた。

 ハリエットがポツンと建つ家を指差した。


「あれです」


 私の記憶では何もなかったところに娘の家はあった。私の家より随分と大きい。立派な、とはいえないが。

 彼女に導かれるまま中に入ると、座っていてと言い残して奥に消えていった。


「大家族みたいね。今は誰もいないけど」


 ミナが言うように大勢で住んでいるのだろう。家族で囲むテーブルはかなり大きく、椅子もたくさんあった。大体十五人といったところか。

 ミナは遠慮もなしに席につき、生活感あふれる室内を見回していた。部屋の隅にある小さい木剣と木彫りの人形から子供もいるのだろう。

 そういえばジェフも小さい頃は木剣を振り回して遊んでいた。調子にのったジェフに殴られて切れた傷痕に触れる。

 ここの子もジェフのように腕白らしい。壁や柱に傷がたくさんあるから間違いないだろう。それでも木剣を取り上げないところから仲睦まじい家族とわかった。

 そうしている内に娘が古い木箱を持って戻ってきた。


「お待たせしました。これです」


 その木箱には乱暴に文字が刻まれている。つば広帽のギルに渡せ、とあった。


「何かしらね。早く開けてみなさいよ」


 中が気になるようでミナが身を乗り出す。娘もやっと中が見られると期待しているようだった。

 開けようと思えばいつでもできる箱だったが律儀にも閉じたままで保管していたらしい。

 しばらくながめていたらミナに急かされたので開けてみた。

 中はブドウ酒と木彫りのコップ、そして古い手紙だった。


――父さんへ

 おかえり。やっぱり、つば広帽を被っていたな。予想通りすぎてつまらん。父さんが寝かせていたブトウ酒を残しておいた。楽しみにしてたんだろう? 向こうで感想を聞かせてくれ。

 ジェフ・ギルソンギルの子――


 記憶の中にいるジェフが色鮮やかに動きだした。

 ミナの腕の中で産声を上げていたジェフ。

 木剣を振り回していたジェフ。

 産まれたばかりのロイを恐る恐るを抱くジェフ。

 私の代わりに怒ってくれたジェフ。

 旅立つ私を力強く抱き締めてくれたジェフ。

 気がつけば私の顔は涙と鼻水まみれだった。見かねたのか、ハリエットの姿は見えない。

 ミナは立ち尽くす私の手を取り座らせるとコップにブドウ酒を注いだ。


「せっかくだし飲んだら?」


 促されるまま口をつけた。酸味と甘味を感じる。こうなると止まらない。一気に飲み干した。


「どう? 百年以上の重みは?」

「……鼻がつまって、よくわからない」

「なによ、それ」


 ミナは笑った。

 私は鼻をすすった。


「しかし、美味い。それはわかる」

「良かったわね。私にも飲まさせてちょうだい」


 コップを奪い取られたので注いでやった。そのまま二人で交互に注ぎあう。言葉を交わし杯を傾けるたびに落ち着きが戻ってきた。

 前々から感じていたが、歳を取るに従い感情の起伏が小さくなっている気がする。これが老練というものなのかはわからない。そもそも人は何百年も生きられない。このまま私の心も消えてしまうのだろうか? そう、つぶやくと肩を震わせて笑われた。


「何がおかしい」

「だってそうでしょう。もっと長生きしてる人がいるのにそんな事を言うのだもの」

「ミナは例外だろう。そもそも人じゃない」


 そう言うとコップを奪い取られた。紫の液体が跳ねてテーブルに雫が落ちる。


「失礼ね。確かに私は人ではない。でも知ってるでしょう? あなたより長生きで感情が豊かすぎる人を」


 脳裏に黒マントの吸血鬼が浮かんだ。高笑いしている先輩が。気にしていた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。


「先輩が特別なだけだろう?」

「そうかもしれないわね。怖いなら今すぐにでも呪いを解いてあげたいところだけどね」

「呪いを解くための条件を満たさなければならない。私の場合はミナを取り戻す、だったか?」

「そうよ。厳密にはあなたがそれを実感するだけでいいのだけど。ブルーノだってそう。民のために身を粉にする。とっくに達成してると思うけど本人が認めていないのではどうしようもないわ」


 ミナからコップを受け取るとついでくれた。一口含んでゆっくり味わう。


「まったく面倒くさい呪いをかけてくれたな。ミナの心を取り戻せると思った時点で解ける見込みが無くなったわけだ」

「恨んでくれてもいいのよ」


 そう言って呪い師は赤い本の縁を指でなぞった。

 それについてはもういい。不思議と怒る気にならなかった。受けた恩を返さなければならない人は大勢いる。その時間が持てたと思えばいい。そう思うとこの本に振り回されてきたのも悪くない……ちょっと待てよ。良い事を思いついた。


「ミナ、本を貸してくれないか?」

「何をする気?」


 呪い師はぱっと本を取り、私から守るように抱きしめた。まるで人の反応だ。本当にあの呪い師か疑いたくなる。


「心配しなくていい。手荒にはしない」

「もし何かしたら呪うわよ」


 笑えない冗談は無視した。初めて手にした赤い本は見た目以上に重く、表紙には何も書かれておらず、その中は見たこともない文字で埋め尽くされていた。

 まあ内容はどうでもいい。適当なところにジェフからの手紙を挟んだ。


「ちょっと何するのよ」


 身を乗り出してくる呪い師がおかしくて笑ってしまった。


「いいだろ、これぐらい。君の息子でもあるんだ。それに私が持っているとすぐに駄目にする。ミナが持っていてくれ」

「仕方ないわね」


 ほんのりと頬を赤くした呪い師は立ち上がると、私の髪をなで付けた。


「伝えるのを忘れていたわ。あなたの妻の言葉。彼女の最後の記憶。『あなたの隣にいられて幸せだった』」


 そうか。では私からも言葉を贈ろう。


「私は君が憎いし、許せそうもない。世界を巡らされた。多くの出会いと別れもしてきた。それは感謝している。あと、故郷に帰る二人旅も楽しかった」

「何が言いたいのかわからないわ」

「つまり、愛しているって事だ」


 彼女は声をあげて笑った。つられて私も笑う。


「やっぱり人は面白い。特にギルはね。私も愛しているわ」

「愛がわかるのか?」


 ミナはつば広帽を私に被せて私から離れた。扉を開けて振り返る。風が麦と土の匂いを運んできた。流される髪を押さえているミナの表情は逆光でよく見えないが穏やかな顔をしているだろう。


「わからないわ。だからこれからも人を見続ける。理解できるようになるまで、ずっと。それまで旅をしてみるわ。あなたみたいにね。また会いましょう。ギル。今度会った時は恋を教えてね」

「くくっ、勘弁してくれ。しかし、また会おう。ミナ。良い旅を」

「あなたもね」


 扉は閉じられミナは去った。私も、と席を立ち、真新しいつば広帽を深く被りなおす。

 扉を開けると懐かしい麦畑が土の香りでむ迎えてくれた。

 ゆっくり受けた恩を返していこう。

 今度は私が世界を癒す番だ。

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