第9話 育みの小屋

 ミリエルとリトは森との境界に沿って小屋へと馬を進めた。

 ちょうど沈みかかった夕陽に向かって進んでいるので二人は手を額にかざして眩しさを和らげながら進んだ。

 森の木々は谷との境界にきれいに並んで立っており森と谷には明確な境界があるように見て取れた。


 やがて二人は、森から突き出すように立っている木々を回り込むように進んで小屋の正面側に辿り着いた。


「やっと着いたな、〘育みの小屋〙とやらに」

 リトが大きく息を吐きながら言った。

「ああ、そうだな」

 ミリエルも周囲をぐるりと見回しながら言った。


 小屋と馬小屋兼倉庫は数本の木に囲まれており、それを除けば谷の見える範囲には樹木はなかった。


 小屋は森を背にして谷のふちに建っており、平屋ではあるが小屋と言う呼び名から受ける印象よりもずいぶん大きい建物で、少し離れたところに馬小屋兼倉庫らしき小屋もあった。


「想像していたよりずっと大きいな。部屋もいくつがありそうだ。」

 馬を降りたミリエルが小屋を見回して言った。


 リトも馬を降りて引きながらミリエルに並んだ。

ひと家族でも余裕だな……まあ先々のことを考えればいいかもなぁ……」

 後半は独り言のように言うリト。ミリエルには聞こえなかったようだ。


「それにしても小綺麗な小屋だな」

 ミリエルはそう言いながら馬小屋に馬を引いていった。

「俺たちのために誰かが管理してくれていたとか?」

 リトもミリエルの後から馬を引いていきながら疑問を口にした。

「さあな。とりあえずは掃除から取りかかることになるだろう」

「うへぇぇ、やっぱ掃除かぁ」

「当然だろう」


 手綱を横木にくくりつけ、二人は馬小屋を出て小屋へと向かった。


 すると小屋の正面の扉が開いた。

「「?!」」


 もしかしたら、とミリエルもリトも多少は予想はしていたが、おそらくは無人だろうと思っていたところに扉が開いたものだから、二人とも少なからず驚いた。


 そして開いたドアから出てきたのは一般的な農家の女性が着るような質素なスカートとブラウスを身につけた金髪の、おそらくは白金色なのだろうが、夕陽を受けて燃えるような赤金色の長い髪の美しい女性だった。

 女性は穏やかな微笑みを浮かべてミリエルとリトを見た。


「あ、あの、私たち…」

 驚きから立ち直ったミリエルが話しかけようとしたが、彼女にして珍しく言葉に詰まってしまった。

 一方リトはといえば、口を開いて呆けた表情で女性に見惚れてしまっていた。


 そんな二人を優しい表情で見ていた女性が口を開いた。


「いらっしゃい」

 そう笑顔で言った。


(この声……!)

 ミリエルはこの声に聞き覚えがあった。

 そう、温泉でリトとじゃれあうように喧嘩したときにミリエルを諌めた謎の女性の声だった。


 一歩遅れて驚きから立ち直ったリトは持ち前の愛想の良さ全開で女性に歩み寄って行った。

「こんちわぁ。えっと、ここが育みの小屋ってとこですかねぇ?」


 緊張のあまりまともに挨拶もできなかったミリエルは、リトの馴れ馴れしい態度に、

「リト!」

 と後ろから彼の腕を掴んだ。


「ん、なんだ?」

 腕を掴まれたリトは肩越しに振り返ってミリエルを見た。


「もう少し目上の人に対する態度というものを考えたらどうだ」

 ミリエルが諌めた。


「目上の人?この人が?」

 リトが疑問を口にした。


(そうだった、声の感じから私たちよりずっと年長で高い身分の人だと勝手に思ってしまっていたが…)


 意表をつく、というか最もなリトの疑問にミリエルも答えに窮していると、

「あの、オレはリト19歳、で、こっちがミリエル18歳。で、あなたは何歳ですか?」

 とリトが女性に不躾極まりないとんでも質問をしていた。


 ミリエルはすぐさま反応した。

 両手に魔力を充填した。

 無言で。


『手加減はしてあげるのよ』

 ミリエルの頭の中に声が聞えた。

『少しだけね』

 女性はそうミリエルに声を送りながらウインクした。

『はい』

 女性に思念を返しながらミリエルは両掌をリトに向けた。


「ん?ミリエルどうし…」

「風!」

 リトに最後まで言わせずにミリエルは魔力を発動した。


 以前荒野で放った風の魔術は突風でリトを吹き飛ばしたが、今度は風を渦のようにリトの周りに放った。


「ぐあァァァーーーーー!」

 リトは悲鳴を上げながらきりもみ状にぐるぐる回りながらはるか上空に打ち上げられた。


「案外高く上がるものだな」

 ミリエルが空に舞い上がったリトを見上げながら冷静に分析していると、


「なんじゃなんじゃ、やけに騒々しいのう」

 小屋の中から男性の声が聞こえ、農民が着るようなチュニックにズボン姿の白髪頭の老爺が出てきた。

 短く刈った白髪に顔に刻まれた深い皺から老爺との印象をミリエルは抱いたが、体格はリトとほぼ同じ、背筋も足腰もしっかりしており今ひとつ年齢を推し量るのが難しかった。

 そして何よりもその目だ。

 落ち着いた老人の目というよりも好奇心に満ち溢れたいたずら小僧のそれであった。


 老爺は額に手をかざして上空を見上げた。

「うぎゃあぁぁぁーー」

 ミリエルの風に切り揉まれてリトが絶叫している。


「おーおー、こりゃまた高く上がったもんじゃのう。どれ」


 そう言いながら男性は軽く手を振った。

 すると、それまでリトを切りもんでいた風がピタリと止まった。

 そして、当然の成り行きとしてリトは地面に向かって落下を始めた。


「わあぁぁぁぁーーーー!」

 絶叫とともに手足をジタバタさせながらリトが落下してくる。


 すると老爺は軽く膝を曲げて構えると、驚くほどの勢いで飛び上がり、落下するリトに向かっていった。


(はっ!)

 大騒ぎしながら落下していたリトが一直線に自分に向かってくる何者かを感知して視線を向けた。

 その一瞬後、歯をむき出して笑いながら右拳を打ち込もうとしている老爺と目が合った。


 それまでの半狂乱状態が嘘のようにリトは素早く反応した。

 瞬時に右拳に魔力を充填し突き出された老爺の拳に合わせにいった。


 カッッッッ!!


 二人の拳の激突とともに周囲は目映い閃光に包まれた。


 激突の衝撃に跳ね返されたリトは回転しながら体制を立て直し、片膝を付くようにして着地した。


 一方の老爺はゆっくりと、まるで宙に浮いているかのように、柔らかく着地した。


「一体全体なんのつもりだ、爺さん」

 リトにしては珍しく落ち着いた様子だった。


「ガッハッハッハァー」

 老爺は腰に手をあててのけぞるようにして大笑いした。

「なかなかやるのぉ。さすがは勇者といったところかの」

 ニヤニヤしながら老爺が言った。


「何言ってやがる、この……」

 と言いかけてリトは言葉を止めた。

(この声、どこかで……)


「うほぉぉー、あんたがミリエルちゃんかのう、いやぁ、べっぴんさんじゃべっぴんさんじゃぁー」

 既にミリエルの横に立っている老爺はそう言いながらミリエルの手を両手で包みこむように握っていた。


「ああぁぁぁぁー、その声、たまに聞こえてくるおっさんの声じゃねえかぁ!」


 老爺はリトに向かってニヤリと笑いかけ、ミリエルにはウインクをした。

 もちろん彼女の手を握ったままで。

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