第11話 折れた翼



 後ろ手に拘束されたスガヤは、書類だらけの執務室に通された。


 そこには深い緑色の髪を整髪料でガチガチに固めた神経質そうな眼鏡の男が座っていた。座っていたというより、書類に埋もれていた。


 スガヤはしばらく男の様子を見ていたが、男は書類作成に時間を費やしてばかりで、スガヤと対峙しようとしない。


(なぜ私はここに通された?)


 すっかり暗くなった窓の外を見るでもなく見ながら、スガヤは軽くうつらうつらと微睡み始めた。


「おい、こんな状況で居眠りとはいい度胸だな」


 不意に声をかけられ、ハッと顔を上げる。


 さんざん放置しておいて、少し微睡むと檄が飛ぶというのはいかがなものかとスガヤは憮然とした。

 だが眼鏡の男は意に介する様子もなく、顔も上げずに二の句を継げた。


「時間が惜しい。不法入国の理由を端的に言え。」


(今までの時間の方が無駄なのではないのか?)


 とは思ったが、口に出さずに、素直に理由を話すべきか一旦自問してみる。だが、さんざん待たされた分、やはりスガヤも時間は惜しいと考えていたため、


「私の男を取り返しに来た」


 素直に話した。


 眼鏡の男は一瞬面食らったように顔を上げ細い目を見開いたが、微かに口角を持ち上げて、なるほどと呟いた。


「単身敵国に乗り込む無謀な馬鹿は、やはり理由も馬鹿馬鹿しいな。」

「なんだと?」

「面白い。理由の崇高さには歴然とした差があるが、目的は我々と同じだな」

「・・・どういう意味だ?」

「お前を、コロル首都ペルティナーキアにある第一大隊近衛部隊管轄のコロル軍地下牢へと送還する。手の枷を外すから書類にサインしろ。」


 その言葉を聞いていたのか、スガヤの背後の執務室のドアがガチャリと開いて、あの赤髪の将校が現れた。

 入室するなり赤髪の将校は速やかにスガヤの手枷を外すべく鍵を取り出す。


「いやぁ、黒猫さん、大暴れして来てくださいよぉ」


 そして手枷を外しながら赤髪の将校はニヤけて言った。


「サンディークス!無駄口を叩くな!」


 だが即座に眼鏡の男に怒鳴られ肩を竦める。


 訳もわからず、書類と高そうな万年筆を渡され、スガヤは憮然としたままそれに記名した。


     ・・・


 有翼人対策が主な任務の第二大隊情報部隊所属ウィリデ少佐から、第一大隊近衛部隊所属カエルラ中佐のもとへ囚人移送の書簡が届いたのは、軍事パレード一週間前のことだった。


「ウィリデは、僕の立場を理解してないのか、僕を失脚させようとしているのか、どちらにせよ、本当に僕のことが嫌いなようだな。」


 カエルラは、ウィリデからの書簡の中にあった、公式文書以外の紙を灰皿の上で燃やしながら苦笑混じりに独りごちた。



 翌日、コロル首都ペルティナーキアに囚人を乗せた馬車が到着した。


 荷台から降りた囚人は、黒い髪を編み込んだ若い女性で、伏し目がちのその瞳も確かに黒い。

 黒目黒髪が珍しいこの国において、漆黒の有翼人が現れた後に黒い髪の囚人が現れた。こうも揃うと不吉な予兆ではないかと、年配の兵士ほど噂した。



「この女はルーベンにおいて我が国の兵士を余多手にかけたA級戦犯だ。僕が直接牢へ収監しよう。」

「了解いたしました!よろしくお願いします!」


 カエルラは、移送してきた兵士から囚人の手錠と腰紐を繋ぐ鎖を受け取ると、一人そのまま地下牢へと連行した。



「少し、寄り道してもいいですか?」


 地下牢へ続く階段を下りながら、カエルラは背後の囚人スガヤに声をかける。

 しかしスガヤは何も言わない。言わないどころか、先程からカエルラが盗み見る度に黒い瞳がギラギラと鋭く光った。背中に殺意がバシバシ刺さってくる。


「・・・やれやれ」


 ウィリデは、この囚人に何の説明もせずにここへ寄越したんだなと、カエルラはこっそり嘆息した。


     ・・・


 カエルラと名乗った将校が連れてきたのは、地下牢最奥の、光も当たらない真っ暗な牢屋だった。


「ここは?」


 スガヤの問いには答えず、カエルラが持っていたカンテラを牢に向けて翳す。すると、牢の中の黒い塊が僅かに照らされて、スガヤは小さく息を飲んだ。


「・・・嘘だろ、」


 そして悲痛に顔が歪む。


 スガヤはふらふらと牢に近づき、


「・・・く、黒?」


 消え入りそうな声でその名を呼んだ。


 だが、影はぴくりとも動かない。


「黒、・・・嘘だろ、」


 僅かな光に照らされた黒は、こちらに背中を向け、朽ちたように横たわっていた。


 その背中の翼の片方が、歪にひん曲がっている。


「お前、・・・そんな羽根では、もう、・・・飛べないじゃないか・・・」


 スガヤの目からは、涙が幾つも溢れては落ちる。


「黒!黒!!」


 震える声が地下牢に反響してより大きく響いたが、黒がこちらを向くこともなければ、身動ぐことさえなかった。


 スガヤは砕けるようにその場にへたり込み、「嘘だろ、嘘だろ、」と嗚咽混じりに泣いた。


「この有翼人はもう人とのコンタクトが取れなくなっているんだ。君ならなんとか反応するかと思ったが、やはり無理なようだね。」


 カエルラはスガヤの脇を支えるように立たせると、スガヤを収監する牢へと誘っていった。



 石の上に、ゴザだけ敷かれた底冷えのする牢の中で、スガヤは声を殺すこともなく、黒の名を呼びながら、ずっと泣いていた。


     ・・・


 意識の深いところで、名を呼ばれた気がして振り返る。


 するとそこには、あの奴隷の少女が立っていた。


「ニグレド、ニグレド、」


 少女は小さな声で何度も呼ぶ。


(いや、違う。それは俺の名ではない。俺の名は、・・・俺の名は、)


 だが何も思い出せない。


「ニグレド、もう諦めましょう。あなたがその気になれば、この世をもう一度無に帰することなど差異ないこと。私はそのために、この少女を依り代に、この世に舞い戻ったのですから、」


 少女は聖母の微笑みをたたえ、その白い手を差し伸ばす。


「さあ、同志を集め、混沌を呼び起こすのです。」


(くだらん。一度生まれた赤子を殺すような真似はできん。)


「その赤子に、無体な仕打ちを受けたとしても?」


(くどい。)


「・・・。なぜいつも執拗に拒むのですか。私を、この私を、」


(俺が求めているのはお前ではない。)


「・・・。では、虫けらのように無下に朽ちていくあなたを、私は術もなくただ見届けましょう。」


 憂いなのか憎しみなのか、少女は儚く笑って遠退いていった。


 

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