第3話 秘密の部屋

 ······秋が更にその歩みを進め、森の木々はその葉を鮮やかな紅い色に染めていた。ラウェイは魔女の家の中を箒で掃除していた。


 そして箒の先がある部屋の扉に触れる。その部屋の中を掃除する事は家主のカリーナに禁じられていた。


 否。その部屋に入る事を堅く禁じられていると言うのが正解だった。魔女の話では、その部屋は野草を薬に変える研究室だと言う。


 カリーナは外出中であり、家の中は静寂に包まれていた。ラウェイは研究室のドアノブを掴む。


 鍵はかけられていなかった。ラウェイは手を離し、掃き掃除を再開した。カリーナが帰宅したのはそれから暫くしてからだった。


「······俺は軍の訓練中にこの森に落ちて来たんだ」


 何時もの夕食。何時もの晩酌。普段より酒量が多かったラウェイは、心地良い酔いに任せて自身の事を魔女に語っていた。


「あら。出会って一ヶ月。ようやく貴方の事を教えてくれるのかしら?」


 カリーナはワインの入った瓶を空になったラウェイのグラスに傾け、赤い液体を注ぐ。ラウェイはその光景を静かに眺める。


 飛行船の外壁修理の訓練中、ラウェイは足を踏み外した。運悪く命綱の縄が切れ、ラウェイは地上に落下して行った。


 背の高い木々がラウェイの身体を受け止め、奇跡的に軽い打ち身で済んだ。ラウェイはその後森を彷徨い、カリーナのこの住処に辿り着いた。


「私が貴方の事を脱走兵と言った時「半分当たり」と言ったわ。それはつまり、貴方には軍に戻る意志が無いと言う事?」


 カリーナは皿に盛られた三種のチーズに手を伸ばしながら質問する。ラウェイは軍服の胸のポケットから小さい黒い石を取り出した。


「······この魔法石に魔力を込めれば、船の魔力探査網に引っかかり発見される可能性もあっただろう。だがそんな気にもなれなかった」


「このまま軍を抜けるの? ラウェイ」


「······どうかな。俺は施設育ちで軍に多額の借金がある。逃げても借金は無くなる訳でもないしな。捕まれば重罪。このまま死亡扱いにしてくれれば幸いなんだが」


 ラウェイは自分でも何を言いたいのか分からなかった。ただ一つ分かっている事は、今の自分は八方塞がりだという事だった。


「ラウェイ。人は魔法を使う事は出来なくなっても、その内に秘める魔力を失った訳では無いわ。現に、貴方達軍人の多くはその魔力を魔法石を通じて増幅し、兵器の動力源にしているのだから」


 カリーナの表情が急に真剣な物に変わった。だが、酔いに支配されつつあるラウェイの思考は、魔女のその変化に反応しなかった。


「······ああ。古今東西。誰でも魔力を有している訳ではない。今は軍の魔力測定機で直ぐにそれが分かる。魔力があったお陰で俺は軍隊に入れた。これは神に感謝すべき事かな」


「ラウェイ。そうじゃないわ。魔力を持つと言う事はとても貴重で尊い事よ。それは、必ず何か意味を持っていると私は思っているわ」


 カリーナの何時になく熱の込もった言葉は、ラウェイの心の琴線に触れなかった。魔力を持つ人間は、所詮兵器を運用する道具でしか無いと黒髪の若者は考えていた。


 酒の毒がラウェイの歩んだ人生を不幸の色で染めていく。その沈んだ気分を紛らわせる為の代償行為が、男の欲望に転化されるまでさほど時間を要さなかった。


 勢い良く椅子から立ち上がったラウェイは、カリーナを抱き抱えベットのある部屋に駆け込んだ。


 ベットが軋む音が部屋に響く。カリーナの肢体に覆いかぶさったラウェイは、口から酒毒の息を漏らしながら魔女の顔を見つめる。


「······脱走兵と孤独な魔女。寂しさを紛らわせるにはお互い格好の相手だと思わないか? カリーナ」

 

「······孤独の魔女ね。ラウェイ。貴方の言う通りかもしれないわ。私は話し相手が欲しくて貴方をここに留まらせたのかもしれない」


 ラウェイはカリーナのその言葉を合意と解釈し、僅かに残った細い理性の糸を今まさに切ろうとした。


「······でもね。ラウェイ。貴方は私の正体を知っても。それでも抱く気になれるかしら?」


「······知っているさ。この森の魔女だろう?」


 ラウェイは欲望の獣を解き放ち、カリーナの白く細い首筋に自らの舌を這わせる。


「······死者を甦らせようとしている魔女。それが私の正体よ」


 生気が通っていない様なカリーナのその声

に、ラウェイは金縛りにあったように固まった。


 カリーナはゆっくりとベットから立ち上がり、放心するラウェイの手を引きある部屋の前に立った。


「この部屋は薬を作る部屋と言ったけど違うわ。本当の目的はさっき言った通りよ」


 カリーナは部屋のドアを開いた。そのドアの軋む音が、ラウェイには不吉な響きに聞こえた。


 ラウェイはカリーナに招かれるがままにその部屋に入る。その部屋は、何かの薬品と血の匂いが充満していた。

 

 部屋の壁には大小様々なガラス瓶が置かれていた。その中には、獣と思われる臓器が液体に浸されていた。


 カリーナは部屋の中央に置かれた古びた机の上にある本を手にした。黒い背表紙のボロボロその本を、カリーナは両目を細めて見つめる。


「······かつて、人間達が魔法を極めようとした時代、その向上心を負の方向へ向けた者達がいたわ。その者達が生み出した魔法を人々は忌み嫌いこう言った」


 カリーナはそう言いながら本を開く。魔女のその冷たい声に、ラウェイは体温が下がった様な気がした。


「禁じられた呪文。禁呪と」

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