第8話 魂の震え

 ······それは、ラウェイ一等兵が眠りに落ちかけた時だった。自室のドアをノックする音にラウェイは安息の世界から引きずり戻された。


「······誰だ? こんな夜中に」


 ベットから半身を起こしたラウェイは、不機嫌さを隠さず部屋の外にいる来訪者に声をかけた。


「······ルイサ二等兵であります」


 その名は、今日昼間に肩を並べて戦場を共にした者の名だった。ルイサの震える声が尋常では無かったので、ラウェイは仕方無くベットから降りドアを開けた。


「······も、申し訳ございません。こんな夜分に」


 ルイサは白いシャツに紺のスラックス姿だった。小柄な少女の小さい肩が声と共に震えていた。


 黄色い前髪の下には、良好とは対極の蒼白な顔色と沈痛な瞳が揺れていた。


「······とにかく部屋に入れ」


 ラウェイは狭い部屋にルイサを招き入れた。ソファーなどの家具を置くスペースなど存在しなかった為に、一等兵は少女をベットに座らせた。


 ラウェイはベットの横に備え付けられたランタン置きの引き出しから小さな布袋を取り出した。


 袋の中には白い粉が入っていた。ラウェイはそれをグラスに少量入れ、水筒の水を入れて混ぜた。


「これを飲め。ルイサ。気分が落ち着く」


 ラウェイはグラスをルイサに差し出す。だが、ルイサは肩まで伸びた髪を揺らしそれを拒んだ。


「······薬物は飲みたくありません」


 ラウェイがグラスに入れた白い粉の正体をルイサは看破していた。一等兵は小さくため息をつきルイサの隣に座る。


「薬も使い方次第だ。量を間違えなければ依存する事も、廃人になる事もない」


 ラウェイは再度グラスを差し出すが、ルイサはそれを一瞥しただけで首を横に振る。


「······駄々をこねるようですいません。昼間の戦闘を終えてから、身体の震えが止まらなくて」


 ルイサは右手で左腕を掴みながら俯く。あの戦闘で、ルイサは敵方の人型石人形を一体撃破していた。


「······頭では理解していたつもりだったんです。でも敵を。人間を殺す事がこんなにも恐ろしい事だったなんて」


 ルイサは再び全身を震わす。その言葉は、誰かに自分の犯した罪を贖罪するような姿だった。


「······わ、私は兵士失格です。一度の戦闘でこんなショックを受けるなんて」


 ラウェイは再びため息をつき、グラスをランタンの横に置いた。


「······ルイサ。君は至って正常だ。正確には戦争と言うこの異常事態が狂っているんだ。君のその苦しみは真っ当な人間という証拠だ。何も自分を卑下する事なんて無い」


 ラウェイはゆっくりと。そして優しくルイサに諭すように声をかける。少女は驚いた様な表情になり一等兵を見つめる。


「······ラウェイ一等兵。今夜はここに居てもいいでしょうか? 一人では眠れそうにありません」


 ルイサはすがるような瞳でラウェイを見上げる。一等兵は直接返答せず、心の中で三度目のため息を漏らした。



 ······翌朝。ラウェイは何かを擦るような音で目を覚ました。薄目を開けると、透き通る様な白い肌の女が、一糸纏わぬその姿で片腕を忙しそうに動かしていた。


 ラウェイは薄く開けた視線を下に移す。全裸の女は、右手に持った手拭いで必死にベットのシーツを拭いていた。


「······ルイサ? 何をしている」


 ラウェイの問いかけに、ルイサは驚いたように一等兵の顔を見る。少女のその顔は、真っ赤に染まっていた。


「も、申し訳ございません。シーツを汚してしまって······」


 ルイサは困りきった様子で顔を俯ける。そのルイサの顔の下には、少女の顔色より濃い朱色がシーツの一部を染めていた。


「······気にする事は無い。それより体調はどうだ?身体では無く精神的な方だが」


 ラウェイの質問に、ルイサは我に帰り両手を自分の頬に当てる。熱を測る風邪患者の様なその仕草に、一等兵は小さく苦笑した。


 ラウェイとルイサは昨晩同様、ベットに並んで腰掛けていた。紅茶や珈琲を淹れる気の利いた道具がある筈も無く、二人は水の入ったグラスを口にしていた。


「······ルイサ。これから戦いを重ねて行くと、昨日君が感じた震えは嘘のように消えて行く。そして、その内に何も感じなくなって行く」


 ラウェイは自身の経験から、兵士の初陣からその後の末路を語り始める。


「だがルイサ。君には初めて感じたその震えを忘れないで欲しい。そうすれば。いや。そうしなければ俺達兵士はただの戦争の一部品に成り下がってしまう」


 ルイサはラウェイの言葉を真剣に聞き入っていた。少女のその生真面目な態度に感化されたか。


 また一夜を共にした相手だからか。一等兵は柄にも無く饒舌になっていた。


「人間らしい心を失わない。それが、この救いようが無い戦争への抵抗だ。唯一俺達兵士が出来る」


 ラウェイはルイサの茶色い瞳を見つめる。

少女はゆっくりと頷いた。


「······はい。ラウェイ一等兵。私は決して忘れません。この感じた震えを」


 ルイサは力強く宣言する。同時に少女は大きなクシャミをした。ラウェイは苦笑しながら丸まったルイサの背中に羽毛布団をかけた。


 ······その後、ルイサ二等兵は三度の戦闘を経験した。三度目の戦闘の後、ルイサは上官に呼ばれ転属を言い渡された。


「······何故二等兵の私が王都に転属なのでしょうか?」


 巡洋艦オーラルの下層にある食堂で、ルイサはテーブルに座りながら隣のラウェイに問いかけた。


「ルイサ。実は俺は上官の命令で今まで君の護衛をしていたんだ」


 ラウェイの意外な返答に、ルイサは目を丸くしていた。ラウェイ達兵士は、事前に身体に宿している魔力の量を測定されている。


 ルイサはその潜在魔力が高く測定されていた。一連の戦闘で、ルイサは将来有望と上官から判断されたのだった。


 王都に転属されれば、戦闘で命を落とす確率はかなり減る。ラウェイは食堂のカウンターから麦酒を手にし、ルイサの栄転を祝った。


「······ラウェイ一等兵にはまだ教えて頂きたい事が多くありました。とても残念です」


 麦酒を控えめに口にしたルイサは、小声でラウェイとの別れを惜しんだ。


「王都で出世して俺を呼び寄せてくれ。そうしたら何でも教えてやる」


 ラウェイの冗談混じりのその言葉に、ルイサは苦笑する。それは、ラウェイが初めて見るルイサの大人の表情だった。


 それから三日後。ルイサや傷病兵を乗せた輸送艦が巡洋艦オーラルに見送られ王都に向けて出立した。


 ラウェイは自室の窓からその光景を眺めていた。その時、一筋の光線が飛び立った輸送艦を貫通した。


 ラウェイは両手を壁に叩きつけ窓の外を凝視する。輸送艦の左舷が爆発炎上し、輸送艦は急激に高度を落として行った。


「······あの戦艦は! まさか!?」



 ラウェイは声を荒げ驚愕する。上空から現れたのは、長大な白い戦艦だった。戦艦ケロベロス。


 それは、ラウェイ達グルトリア軍から恐れられていた敵戦艦の名だった。


 


 

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