第41話 なんてことだ、私はくちびる泥棒だ。


 理由なき能力の行使をするのは子供といえど懲罰の対象だ。悪質なケースの場合はあの反省房へいれられてしまう。

 あそこに入れられてしまった、日色君ファンの2年生女子たちと廊下ですれ違った時、彼女たちは足早に通り過ぎていった。反省房がトラウマ=私もトラウマになってしまったのであろうか。


 私も出来れば二度とあそこには入りたくないから気持ちはわかるが、この場合、被害者は私だ。あの後心無い人からパンツの色をからかわれたんだからな。ピンクの何が悪いのか。ちくしょう。


「あ」

「大武さん」

「や、やぁ」


 体育館の前でばったり日色君と遭遇した。私はこれからS組のPSI実技で戌井の補助をするのだが…そうなれば短時間といえど日色君と顔を合わせることになるのだ。

 私は未だにパンツ事件のことを引きずっており、日色君と会うたびに恥ずかしい記憶を思い出してしまってはもじもじしていた。


「どしたの藤っち、隆の顔見てもじもじしちゃって」

「なんでもない…」


 不審に思った澤口さんに問われたが、私は首を横に振った。

 周りからしてみたら、高校1年にもなってパンツ見られたくらいで騒ぐなと笑われるかもしれないが、私は恥ずかしかった。

 相手が日色君であることが問題なんだ…!


「じゃあ戌井君と大武さんはグラウンドに出ようか」


 いつものように監督の先生と体育館を出る。

 私はホッとした。日色君がそばにいたらうまく能力が扱えない気がしていたから。

 


「隆一郎と喧嘩したのか?」


 隣を歩いていた戌井に問いかけられて私はぐむっと口を閉ざした。だけど何も言わないままなのは喧嘩していることを肯定しているみたいだから否定はちゃんとしておく。


「してないよ」


 私の返事に戌井は「そか」と短く返事をして、それ以上は突っ込んでこなかった。

 しかしあの戌井がこうして周りのことに気が配れるようになったのはすごい成長だな。そこは純粋に感動する。

 戌井は自分の能力をちょっとずつ操れるようになってからは、クラスメイトとも少しずつ歩み寄れるようになったみたいだ。飼っている保護犬がドッグランでお友達が出来たみたいで私はとても感動している。


 SPI実技はいつものように……と行きたかったが、今日は私の調子が狂っていて、無駄に能力を放出しすぎてしまったみたいだ。

 戌井や先生の前では平然を装っていたが、実は能力の使いすぎでくらくらしていた。7時間目の授業が終わったらその後は帰りのHRだ。着替えてHRに参加したらそのまま女子寮に帰れる。部屋で少し寝たら回復するはずだと思っていたのだけど、授業が終わった直後から気が抜けたように足が立たなくなってしまった。

 体育館裏の水道前でしゃがみこんで、クラクラ感を耐えていた。今立ち上がったらきっと倒れる自信がある。

 ──キーンコーンカーンコーン…

 どこかでチャイムが鳴る。あぁHRが始まってしまう。周りに不審に思われてしまうじゃないか……


「大武さん……? どうしたの?」

「!」


 背後から掛けられた心配そうな声に私はビクッとした。もしかしなくてもこの吸い込まれそうな心地よい声は日色君ではないか。

 Sクラスの生徒は皆更衣室に向かったと思ったのに彼はまだここに居たのか。


「なんか様子がおかしかったから…体調悪いの?」


 私のもとに小走りで近寄ってきた日色君。また彼に心配をかけさせてしまうと思った私は元気アピールをしようと思って勢いよく立ち上がった。


「げんきげんき! 靴紐が解けていたから結び直していただけ!!」


 しかしそれが良くなかった。

 ぐらんと頭が振動して気が遠くなる。私はぐらりと前のめりに倒れそうになった。


「あぶな…!」


 力強い腕が私を抱きとめようとしたのがわかった。だけど私は貧血に似た症状で視界が一瞬真っ黒になっていたのだ。数秒気絶していたかもしれない……


 もごもご、と口を動かすとなんか変な感触がした。柔らかくて生暖かい感触。

 キーンと痛む頭。このまま寝てしまいたい衝動を抑えて目をゆっくり開けると、目の前に人の目が現れた。

 目だ。なぜここに人の目が……。

 ぼんやりしていた私はしばらくぼーっとそれを眺めていた。どうやら倒れ込んで日色君を下敷きにしてしまったらしい。

 ひとつひとつ現状確認していた私はようやく柔らかい生暖かい物体の正体に気づいた。


「──っ! ごごご、ごめん! 唇を奪うつもりはなかったの!」


 私は倒れ込んだついでに日色君と事故チューをしていたのだ。なんだよこのラッキースケベは!

 私が勢いよく起き上がってシュバッと離れると、日色君はゆっくりと体を起こした。


「いや、僕は平気。…あの、大武さんの方がショックなんじゃ…」


 女の子だし…とこちらのことを気遣う日色君ジェントルマン。君はこんなときまで相手のことを考えて…! でも被害者は君なんだ、怒っても良いんだよ!?

 私はジャージの袖を持ち上げて、彼の唇を拭った。


「いいんだよ、私はファーストキスじゃないから気にしないで!」


 彼が気に病まぬように言ったのだが、日色君は私の手首を掴んで止めると、微妙な顔でこちらを凝視してきた。


「…誰と?」

「えっ? ……私のファーストキスの相手のこと聞いてるの? 中学の時に付き合ってた元彼だけど…」


 なに、急に恋バナしたくなったとか…?

 だけどそんないい話じゃないんだよ? なんとなくいい雰囲気になってキスしたはいいけど、身体目的なのが丸わかりだったのですぐに別れたんだ。カップルらしいデートとか一切せずに、3日で別れたからね…よく考えなくとも、あれって付き合っているというのだろうか……


「すぐに別れたから大して思い出ないけどね」


 日色君も彼女が欲しくなってきて、興味が出てきたのかな? だけど私はワクワクするようなネタがあまりないんだよ。ごめんね…


「…ふーん…そっか…」


 なんだか日色君は不機嫌な顔になってしまっていた。もしかしてファーストキスだったのだろうか。

 冷静になって、くちびるを奪われたことにお怒りなのであろう。


 私は掴まれていない方の腕を持ち上げると、日色君の唇をジャージの袖でゴシゴシ拭った。


「んっ! ちょ、大武さ…」

「これは事故だよ! カウントしなければ、ファーストキスにはならない! ごめんね! 大事に取っておいたんだよね!」


 日色君は目を白黒させていた。

 可哀想に、動揺しているのだろう。

 本当にごめん。体調悪いのをごまかそうと立ち上がった自分が悪い。


「あっ水で洗ったほうが良いかな!?」

「お、大武さん、大丈夫、大丈夫だから」


 そういえば水道があるぞと彼の腕を引こうとしたら、それを止められた。

 日色君は自分の唇を手で隠して、そっと目をそらしていた。体育館裏は薄暗いので、彼の顔色は確認できなかったが、少なくとも多大なショックを与えてしまったのだ。

 だが弁解させて欲しい。わざとじゃないんだ。


 何度かごめんねごめんねと謝ってみたが、日色君は口数少なく。微妙な雰囲気で別れてしまった。



■□■



「あ」

「……大武さん」


 次の日以降、今度は私が日色君から目をそらされるようになった。

 それに私はショックを受けた。やっぱり事故とはいえ、唇を奪われたのが悔しかったのだろう。優しい日色君といえど、きっと耐え難い屈辱。彼のプライドがずたずたなのだろう。


「あ、あの…ごめ」

「謝らないで」


 私が泣きそうな顔で謝ろうとすると、それを途中で遮られた。

 …日色君は私と目を合わせてくれない。


「ごめん、ちょっと生徒会に用があるからもう行くね」

「日色君……」


 逃げるように日色君はその場から去っていってしまった。まるで私を避けるように。

 廊下に取り残された私は涙目でそれを見送っていた。


「やっぱ喧嘩してんじゃねーか」


 それを見ていたらしい戌井に指摘されるが、私は返事する余裕がなくて何も言えなかった。


「ばっかだねぇ。駆はまだまだおこちゃまなんだからー」


 それに反論するのは何もかもわかってますと言わんばかりの発言をする澤口さんである。


「え、どういうこと?」


 彼女に答えを求めようとすると、澤口さんは苦笑いしていた。


「だめだよぉ、これは藤っちと隆が自覚しなきゃいけない話だからぁ」


 彼女は肩をすくめると、「じゃあねぇ」と言ってクラスに戻ってしまった。

 再び取り残された私はそこにいた戌井を見上げて、「どういうこと?」と尋ねたが、戌井にもよくわからなかったみたいで首を傾げていた。

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