第31話 冷たい反省房に届いた凶報。


 壁に頭を打ち付けた後からしばらく記憶がなかった。


 私が目が覚ますと、そこは密室だった。

 冷たく殺風景なコンクリづくりの正方形の部屋。粗末な寝台に、モニター付きの勉強机、他には一畳ほどのスペース。そして隅の方には目隠しのついた便器がある。

 窓はない。空調はエアコンで管理されているようだ。唯一外につながる扉は強固な鉄の扉で、食事を受け渡しする小さな窓が付いている。外の風景は一切見えず、空調はエアコンでコントロールしているらしい。


 静かだ。音が一切入ってこない。私自身が発する音だけしかしない。

 ……まるで、刑務所の独房である。生徒たちが嫌がる反省房に入れられてしまったのかと私は愕然とした。

 ズキズキと頭が痛む。そうだ、私は頭を打ち付けられてそれ以降の記憶がない…気絶していたんだなきっと。頭を擦りながら壁伝いに扉に近づく。コンクリづくりの壁はなめらかそうに見えたが、手のひらにはザラザラに感じた。

 壁を観察すると、なにか鋭いもので引っ掻いた痕がある。目を眇めてそれを注視すると、文字が書かれているようであった。


【出して】


 そこにはそう書かれていた。

 …前にここに入れられていた生徒が書いたものか? よく見たら扉部分もベコベコに凹んでいる。私の前に入った生徒が脱出を試みたのだろうか……ダメ元でドアノブを回したが、当然ながら鍵がかかっている。

 シーン…とした静寂なのに、耳が痛い。


 聞いたことがある。人が無音空間に置かれると、自分が発する音しか感じることができなくなって、いずれ精神に異常をきたすって。



 こんな牢屋みたいな場所に閉じ込められている場合じゃない。沙羅ちゃんが大変だっていうのに…! どういうつもりだあの中等部校長!

 沙羅ちゃんを見捨てるつもりか!!


「ピッ!」

「ピッピ! あんたも一緒に来てたの?」


 ぴょこっと現れた水色のセキセイインコの姿に私は嬉しくなった。そしてハッとあることを思い出す。


「……ピッピ、ここからこっそり出て、小鳥遊さんにこのことを伝えてくれる? 日色君に沙羅ちゃんが危ないって伝言してって」


 動物の言葉がわかる小鳥遊さんに伝言を頼めば、そこから日色君に伝わるはずだ。沙羅ちゃんのことを知らせているのは日色君だけだ。今は彼だけが頼りになる存在である。日色君に救いを求めるしかない。

 

 食事を差し入れる小さなドアをそっと開けて、ピッピを逃すと静かに見送った。ピッピの羽ばたく音が徐々に遠ざかっていく。

 頼む、どうか沙羅ちゃんを救ってくれ…!


 自分も鳥になれたら良いのに。そしたらこんな場所から簡単に出られるはずなのに……

 まさかあの中等部校長がこのような手に出てくるとは思っていなかった。校長室のある場所は職員塔だ。誰にも見つからなかったのだろうか。どうやってここまで気絶した私を運び出せたんだ…?


 しくじった……

 私は悔しくてだしっと地面を蹴りつける。コンクリートの床を蹴りつけた音が部屋に虚しく反響するだけだった。



 ベッドに座る気になれず、壁に背中を付けて地べたの上で体育座りをして待機していた。

 暴行罪で反省房に入れておけって中等部校長は言っていた。……そのようにクラスメイトにも罪名が伝わるのであろうか……冤罪なのに。

 慣れた風だったから、もしかしたら私の他にも同じように冤罪でここに入れられた人もいるんじゃないかな…


『──お目覚めかな?』


 私がぼんやり宙を眺めていると、耳障りの悪いネットリした声が耳に入ってきた。その声は正方形のこの部屋に反響して、私の身体に絡みつくように響いてくる。

 とても不快である。


 その音源は目の前にあるモニターだ。画面には机に肘をついてこちらを見ている中等部校長の姿が映っていた。…まるで悪の親玉みたいな映り方である。腹が立つ。

 どこかにカメラが設置されているのかと部屋の周りを見渡すと、斜め上に設置されていた。

 先程のピッピとのやり取りを見られていたのだろうか…それなら拙い……いや、大丈夫かな。この人はピッピの賢さを知らないだろうし。


『悪く思わないでほしい。……君は運が悪かったんだ』


 ニヤニヤとこちらを見下ろすように意地悪く嘲笑う中等部校長。私は黙ってモニター越しに睨みつけた。


『沙羅は少々気が弱く、力を使うとすぐに倒れる。何も初めてじゃないんだよ。…彼女は自分の力をコントロールするのが未だに下手くそなんだ……仕方のないこと』


 そのつぶやきに私はカッとなった。

 散々利用して苦しめていた張本人が何を言うのか。今、目の前にこいつがいたら私は間違いなく手を上げていただろう。


『私はただ、人助けをしているだけなのだ。未成年である沙羅の代理で水を受け渡しているだけ』

「……沙羅ちゃんの能力を悪用して金儲けしているだけでしょ。……そんな事してたらいつかバレるってわからなかったの?」


 命を助ける行為だけど、見返りにお金を受け取る。そして能力者を酷使するやり方はどっちにせよアウトだと思うんだ。

 それを表で沙羅ちゃんが堂々と正規のルートを使って行っているならまだわかるけど、誰も知らない裏でコソコソと……それに水を売買する相手も選んでるんでしょ?

 中等部校長の言葉には全く説得力がない。そんな言葉であっさり信じるアホだと思われているのだろうか。私の視線はつい胡乱なものになってしまう。


 モニターの向こうの中等部校長はこちらを小馬鹿にするように目を細め、ふん、と鼻を鳴らしていた。


『──君は誤解しているようだが、沙羅はしっかり見返りを受け取っているんだよ? 学生が手に入れられないような高価なカバンや宝石、それに洋服を渡している。…言葉は悪いが、私と沙羅は共犯なんだよ』

「……口止めの代わりに渡していただけなんじゃないですか?」


 沙羅ちゃんがそれらを喜んだかは不明だが、受け取っていくうちに麻痺していったのは自然の流れだろう。だけど今の沙羅ちゃんは罪悪感を感じている。

 想像だけど、中等部校長を皮切りに利用しようとする大人たちに言いくるめられてきたんだろうな。沙羅ちゃんは気が弱いところもあるし…そこを見抜かれていたのだろう。


『そうとも言えるな』


 そう言うと、相手は大きな椅子の背もたれに寄りかかった。


『もうちょっと利用できるかと思ったが…あの娘はもう駄目か』


 ペロッと本音を漏らしやがった。

 沙羅ちゃんが今どんな状況かわかった上での発言か? …この、クズ…!


『沙羅は緊急治療室に運ばれた。重症の能力枯渇で意識がない』

「!」


 その情報に私は前のめりになった。だが、モニターに映る中等部校長はつまらない話をするかのように、芋虫のようにぶよぶよした指で頬をがりがり掻いていた。

 

『医者の話では衰弱がひどいらしくてな、危ない状態らしい』


 ──なぜ、モニター越しのこいつは平然としているのだろうか。


『この学校に入ったばかりの一生徒の言うことを誰が信じるだろうな?』

「…は?」

『超能力の行使はあくまで能力者の意志だ。沙羅が自らの意志で命の水を作り出しただけだろう。誰を責められる?』


 その言葉に私は呆然とした。


『沙羅がこのまま死んだら、証言者は君しかいなくなる。君の訴えに耳を貸す者は果たしているかな? …しかも沙羅は見返りを受け取っていた。強欲で身を滅ぼしたと判断されると思うが、違うかね?』


 ……それは、沙羅ちゃんを見捨てるということか。

 散々利用して、沙羅ちゃんの弱さにつけ込んで利用した大人の、教職者の言うことか…!


 私は衝動的に備え付けのベッドにあった枕を掴んで、投げようとした。


『あぁ、やめたほうが良い。壊したら弁償だよ。一般クラスの君には痛い出費になることだろう。君はこれからもこの箱庭で生活しなきゃならないんだ。……沙羅のことは忘れて、大人しく学生生活を送ると良い』


 言い逃げのようにぷつっとモニターの電源は落ちた。外部から操作できるようになっているみたいだ。

 私は掴んだままの枕を壁に向かって投げつけた。綿が詰まっているだけのそれはボフンと音を立ててコロンと床に落ちるだけであった。


 私は無力だ。

 友達一人助けられない。悪い大人にもこうして言いくるめられて押さえつけられる始末。嵌められて反省房に閉じ込められてまったく役に立っていない。

 …沙羅ちゃんは生死の淵をさまよっているというのに…空回りして私は馬鹿じゃないのか…!? 信じたくない、沙羅ちゃんが死んじゃいそうなんて。…信じるものか!


「ふざけんな!!」


 拳を握って鉄製の扉を殴りつけたが、ゴンッと鈍い音を立てるだけ。

 ただ私の指が痛いだけだった。


 だけどそれよりも心のほうが痛くて、苦しかった。

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