第6話「2014 左目 9/10 23時 ~ 2014 右目 9/10 夜」

 ――2014 左目 9/10 23時


 ヒトが死ぬ。

 それもこうもあっさりと。

 数時間前仕事で見たばかりの光景が。

 クジャクは信じられずにいた。

 それを知っているのは裏通りにいる自分達だけで。

 ここからオフィスビルを隔てたメインストリートには。

 今も何も知らないヒト達でひしめいている。

 そんな事実が信じられなかった。


 「何をそんな驚いた顔をしているのですか、お父様。」


 ハンナ・Hが誰かを殺した。

 今更な事実が信じられなかった。


 「ワタクシが誰かを殺すのはこれで二回目だとご存知でしょうに。」


 聞いた、確かに聞いた。

 だから信じたくなかった。


 「……あいつの時はお前の意志じゃなかった筈だ、なんで命宿を。」

 「邪魔でしたから、目の前にいて。」


 さも当然、むしろ伝わらないのが不思議という視線。

 それから説明不足だったかと一人納得したように。

 ぱんと両手を叩く。

 一瞬点滅した街灯は笑んだままの彼女を照らす。


 「そうですものね。お父様は未来でワタクシが産まれるという保証だけでは満たされませんでしたし、納得していただくには一からその身体に教え込む必要があるようです。」

 「何を言って――。」

 「何ってお父様の抱える衝動、生殖本能の手助けに決まってますわ。」


 彼女は胸に手を宛てだからもう悩まなくていいと。

 それが雄の身体ワタクシの存在意義に成るからと言う。


 「分かったんです、一年前屋敷でワタクシが出会った動物の孔雀がなんだったのか。あれはまだ動物だった頃のお父様から【テクスチャ】の輝きを奪い、成り代わったセルリアンですわ。」

 「【テクスチャ】……?」

 「正確には描画が合っているんでしょうけども、【テクスチャ】の方がお父様好みと思いまして。要するに姿や形に関わる情報ですわ、それを奪われた存在は当然誰からも見ることが叶わなく成ります。けれど画面上に描画されないだけで彼というデータが消えた訳ではありません、見えないのにそこに存在するという概念。だからそれをたヒトはこう補った、――動物の孔雀でないならそれはフレンズのクジャクだと。」

 「それが、俺だって言うのか。」

 「サンドスターを介することなく生まれ、観測者たるヒトが繁栄した地球上何処にでも行けるイマジナリーフレンズ……。けれどだから雄の本能はフィルタリングされることなく、トランスジェンダーと呼ばれることと成った。その結果普通のアニマルガールならただの飾りで認識いえ刷り込まれる尾の飾り羽を、本来の役割である雄の象徴であり求愛即ち生殖本能に由来すると思い出してしまった。一時的にしか生えなかった動物の頃と違い、今はその姿が標準である以上切っても切れなかった衝動の正体です。」


 どれもが知りたかった答えだった。

 どうしてこんな自分が生まれたのかに対する。

 なのに与えられた納得が受け付けなかった。

 彼女の与える現実は受け留められる物ではなくて。


 「だから命宿さんの件も性転換手術がいらなかったから、と説明した方がよろしかったですね。だって子供が作れなく成ってしまったら、生殖本能を満たしてあげられませんもの。」

 「……ハンナ、お前は何をする気なんだ。」

 「……うふふ、もうお父様ったらこの期に及んでそんなことを言うなんて実に愛らしくて理解出来ないこと。」


 背筋を蛇に這いずられるような感覚。

 そんなこと分かっていた。

 分かって目を逸らした。

 スカート越しに彼女のあそこが勃っていた。


 「だから理解の範疇に落とし込むんですわ、嫌いだと言いながらワタクシの出生の責任を感じるなんて可笑しなこともう口にしなくていいように。」


 ハンナの性は俺のせい――。

 言った、だからこう成ったと言うならそれは全部。


 「お父様を種付けしてさしあげます、それでお互いにまれて来た性の役割を果たせますでしょう?」


 唇を重ねた夜よりも紅潮した恍惚。

 呼応するように両袖から背中からスカートから。

 欠けた蛇の尾の代わりを果たすように無数の触手。

 完成した彼女を生み出したのは紛れもなく自分だった。


 「――全部、俺のせいなのか。」


 命宿が死んだのも彼女に殺させたのも。

 彼女は聞く耳を持たない。

 文面通りにしか受け取れない彼女を。

 受け入れる程の強さがなかった。


 「俺の、せいなのか……!」


 吐き出すように拳銃を二発。

 二人だけと成った裏通りに響く破裂音は。

 彼女の驚きも動きも誘えず触手で軽くあしらわれる。

 銃弾を防いでなんら破裂ダメージもなく。

 触手はすぐさま射手の手足の拘束へ狙いを定める。

 対応を迫られた自分はナイフをもう片手に。

 襲い掛かる束縛の手を切り落とし捌く。

 けれど無数あるそれは背後からも迫り。


 「くっ――。」


 ヒトなら避けようがない攻撃だった。

 なのにハンナの感じた手応えは軽く。


 「お父様の帽子……。」


 触手が貫いたのは黒スーツとセットの筈のハット帽。

 見上げれば頭の羽を曝したクジャクがいた。


 「ふふ、逃がしませんわお父様。」


 ここはビルの谷間、両手のビル群へ触手を張る。

 空へ逃げるなら外壁を伝って追うだけ。

 星のない東京の暗天を背に飛ぶ彼が表情を苦ませる。

 引き続き触手を相手にする切羽せっぱ感から?

 羽搏はばたきをよく見ればフレンズ特有の発光が彼にはない。

 サンドスターで構成された存在じゃない現実を。

 彼に否応なく突き付けていた。

 カチ、牽制の拳銃の弾切れを合図に均衡が崩れる。

 背を向けて逃げ切りを図る彼。

 振り切れない追っ手をナイフ一本対処するが。

 切れたのはハット帽を刺した触手だった。

 帽子の影に忍ばせたもう一本が彼の片足を捉える。


 「捕まえましたわ!」


 待機させた残りも広げ確実に包囲する。

 だけど振り返ったクジャクは向ける。

 丁度弾倉を交換し終えた拳銃をハンナに。

 彼女の身を守る触手は包囲網に割かれてもうない。


 「狙い通り……!」


 引き金を引く、よりも彼女の判断が早かった。

 ……包囲網はまだ出来ていない、なら。

 足を掴んで離さなかった触手が横薙ぎに。

 そのまま真横のオフィスビルまで自分は投げ飛ばされる。


 「ぐっ――。」


 窓硝子を突き破る衝撃に備える。

 なんとか受け身を取れたのも束の間。

 突き破られた窓硝子から触手が自分目掛け飛び込む。

 立ち上がって逃げるのが精一杯だった。

 けれど逃げるたって終業後無人のオフィス内の何処に?

 巡らせた脳と視界が端のエレベーターを見付ける。

 開閉ボタンを撃ち抜きひらけドア!

 消灯したオフィスにエレベーターの照明が差し込み。


 「――こうでしょうか?」


 ぱんと消される。

 言っておくが拳銃で照明を割って等いない。

 窓際を振り返れば物は試しと両手を叩いた彼女。

 ……原理不明、確かなことは。

 セルリアンは電気系統に干渉出来あれが彼女の合図。

 分かった所で状況は変わらない。

 変わってない、まだ脱出口は残されている。

 足を留めずエレベータードアの上枠に跳び掴まり。

 勢いそのまま天井ハッチを蹴り上げシャフト内に侵入。

 窓際の彼女からはシャフトを飛ぶ自分は死角。

 触手もハッチから追尾するが空を掻いて。

 そうして捕まえたワイヤーを強く引っ張り出した。


 「は?」


 反射的に空中停止ホバリングしていた。

 ギシリとシャフト全体が軋んでいた。

 狙いは最初からワイヤー、それを吊るす滑車……。

 彼女の力を見誤っていた。

 過重に耐え切れずワイヤー巻上機が壊れる。

 たわんでうねりながら降り注ぐワイヤー。

 ①引き返さなければ命はない。

 ②落下したエレベーターの後追いをしても逃げ場はない。

 ③元いたフロアのドアは開かれたまま。

 そこで触手を広げた彼女が待ち構える。

 ――選んだのは三択目、ドアを目指し逆さま急降下。

 彼女と目線が合った瞬間スマホをライトオン。


 「――ッ。」


 暗闇のシャフトから突然の光で目眩ませ。

 強引に触手を突破して再びオフィスへ。

 この時ばかりは発光しない自分の身体に感謝する。

 何故かスマホをオフ出来なかった原理不明にも。

 ……理屈ではなく感覚的に力を振るう姿に。

 見た対象だけに干渉するのではと賭けに勝った形だが。


 「……はぁ、はぁ。」


 デスク裏に隠れられただけの一時凌ぎ。

 オフィスの出入り口は既に彼女が塞いでいる。

 怪力乱神に脊髄反射の即応性。

 事実先程の突破時も瞬く間に防御態勢へ切り替えた。

 今の武装ではどれだけ不意を突こうと打つ手なし。

 ……手元の非武装にスマホ、110に繋ぐ。


 「……こちらメインストリートに面するオフィスビル。」


 オペレーターの声を無視して一方的に告げる。

 いたずらと思われて無視される心配はなかった。


 「発砲事件――!」


 すぐ後ろまで迫った彼女に振り向き発砲。

 電話越しへ向けた自作自演の銃声と共に飛び立つ。

 身体に鞭打ちふらめきながらも助走済ませ。

 デスク上すれすれ低空飛行の敢行。

 入って来た時とは逆のメインストリート側の窓へ一直線。

 追って来る触手にいちいち構ってられない。

 背面飛行で天井照明を乱射して硝子の雨を降らせ。

 撃ち切ったあとは無抵抗、抵抗を削り最高速への到達。

 ……今度は自分の意志で。

 窓を突き破って東京の街に飛び出た。

 普通なら落下死判定の高さを羽で勢いを殺しながら。

 硝子の破片と共に往来の交差点へ転がり落ちる。

 騒然とする雑踏は何事かと周りに集まる。

 大丈夫かいと心配する声。

 スマホを向ける好奇の目。

 ――一様にその首が飛んだ。


 「まさか、お父様はヒトゴミに逃げればワタクシが追って来れないと考えたんですか?」


 首を失くした死体ヒトゴミに代わり彼女が立っていた。

 きっと邪魔だからと触手で横薙ぎした返り血浴びて。


 「本当に、お優しいんですから。」


 瞬間メインストリート中に鳴り響くサイレン。

 ……先程の110で駆け付けたパトカーの。

 彼女が気を取られた隙に再装填、防がれる前提で撃つ。

 逃げ惑う群集に紛れる時間は稼げる。

 追い掛けようとする彼女に留まりなさいと警官の警告。

 でも今の彼女はそんなことじゃ留まらない。

 見渡す限りの街並みが停電する。

 交差点から耳を塞ぎたく成る警官の阿鼻叫喚。


 「……クソ。」


 走る自分は口走る。

 無関係なヒトを巻き込んだことを。


 「クソ、クソッ。」


 その軽率さ。

 彼女のことを信じた自分に。


 「クソクソクソクソクソクソクソクソ、クソ……!」


 変わらず逃げている自分に。





 「まぁ、まんまと逃げられてしまいましたわ。」


 両手を離したハンナは溜め息。

 見渡すの街並みを停電させ。

 邪魔しに来た警官を一方的に皆殺したのにこれでは。

 と思った矢先それを見付けて不敵に笑んだ。

 横転したパトカーのサイレンが照らした暗闇に。

 首をね損ねた生存者達を。


 「でもお父様はお優しいですから、見捨てられませんわよね?」


 するように触手を伸ばした。





 ――2014 右目 9/10 夜


 ハンナ・Hは森の中を一人歩いていた。

 溶けて崩れ掛かった身体を引き摺りながら。


 「わたし……、わたくしは。」


 そうまでして何処に行こうと。

 彼を探しているのか。

 彼から逃げているのか。

 矛盾した愛が自然と口から歩き出す。


 「お父様に成りたい……。」


 同じ場所を永遠に。

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