二十四話 翠の国の二人・露店街

「お、あれはなんだ?こっちの店に置いてあるのは?」

「セレンさん、そっちじゃないですよ!」


 興味を惹かれるまま自由に歩き回るセレンをなんとか誘導しながら、マルカブは露店街から西側の樹上橋へ出る道を進んでいた。学校で子どもたちを相手にしている時のようだ、とマルカブは微笑みながら思う。


「セレンさんは翠の国に来るの、初めてなんですよね」

「おう、そうだぜ。人間は樹上でしか生活しないって本当……いや、マジだったんだな、実際に見ると面白え」

「はい、獣人族の方たちは地上で生活している種族もいますが、ヒトは樹上に住んでいるのがほとんどです」

「そうそう、獣人もこんなにたくさんいるの初めて見たぜ。ここはただの人間の方が少ないって本当なのか?」

「そうですね、ここには色んな種族の方々がいますから……」


 そうして話している間に、露店街の西側出口が見えてきた。ここを抜けたら右に進んでその後は……とマルカブが頭の中で道順を描いていると、道の先で怒鳴り声が上がった。


「おい!こんなモン並べるとはいい度胸じゃねぇか、ええ!?」

「や、やめてくれ!許可は取っているんだぞ!」


 商人の胸ぐらを掴んで怒りをぶつけているのは、茶色い体毛を全身に生やした獣人二人だった。相手の商人はただの人間だが、服装や露店に並んだ品物から玄の国から来たのだとマルカブには分かった。


「なんだ、揉め事か?」


 セレンは不愉快そうに顔を歪ませる。道の真ん中で揉め事を起こされていては、先に進むことができない。

 面倒だが仕方ない、マルカブなら遠回りして行く道も分かるだろう。溜め息を吐きながら隣にいるマルカブにそう提案しようとしたのだが。


「あっ?」


 セレンがそれを口に出す前に、マルカブは走り出していた。その先にいるのは今にも商人を殴り倒してしまいそうな獣人だ。

 振り上げた拳が商人の頭に直撃する前に、マルカブは必死な声で叫ぶ。


「やめてください!!」

「あァ?」


 獣人の握りしめられた拳が止まる。細められた目の中には暴力的な色が浮かんでいた。それがマルカブを捉えると、より嗜虐的なものへと変わる。


「なんだよ、玄んとこの小間使いじゃねェか。懲りずにまた俺たちと遊ぼうってのか?」


 ニヤニヤと口を歪ませて笑う。その挑発的な物言いに、マルカブは怒りを抑えたような顔で抗議する。


「その人から手を離して、暴力はやめてください!また警邏隊の方に連行されたいんですか!?」

「ふん、亜人もどきのくせに、玄の奴らが大好きだよなァ。……ほらよ」


 意外にもあっさりと、獣人は商人から手を離した。ぞんざいに放られた商人の男は、店先の台にぶつかって座り込む。マルカブは痛みに呻く商人に駆け寄り、安否を確かめた。


「だ、大丈夫ですか?怪我はありませんか?」

「あ、ああ……大丈夫だ」

「よかった……」


 マルカブは胸を撫で下ろす。獣人たちはまだ立ち去る気はないらしく、嘲笑うような表情でマルカブを見下ろしている。負けじと睨み返し、商人を庇うように立ち上がった。


「わ、わたしが気に入らないだけなら、他の人を巻き込まないでください!」

「何言ってんだ、玄の連中は誰であろうと穢れてやがる。お前は特にな。とっとと消え失せねェから、俺たちが教えてやってんだ」

「そんなの……間違っています!少なくとも、この人はあなたたちに何もしていないでしょう!?」


 獣人は鼻で笑い、両手の関節を鳴らし始めた。マルカブの体が強張る。それでも絶対に退くものかと正面から対峙した。


「だったらまずお前に消えてもらわねェとなッ!」


 振り上げられた拳に対し、マルカブは反射的に両腕を上げて防御しようとした。しかし降りかかってきたのは衝撃ではなく、何かが蹴り飛ばされたような音だった。


「えっ……?」


 目を開けると、獣人は道に倒れていた。もう一人が倒れた方を起こそうとしているが、気絶しているらしい。

 そしてその手前にはセレンが立っていた。

 マルカブが殴られる直前、セレンは集まり始めていた野次馬を払い除け、獣人に向かって飛び蹴りを食らわせた。こちらを全く警戒していなかった獣人は、思いもよらぬ方向からの衝撃にされるがまま飛ばされたのだった。

 マルカブはあわあわと、気絶している獣人とセレンを交互に見る。もう一人の獣人がセレンを睨み付けるが、セレンはマルカブの方を向き平然とした様子で言う。


「ギリギリだったな。当たらなかっただろ?」

「えっ、あの、はい……」

「あんまり目立つと困るんだ、もう行こうぜ」


 気絶した獣人の横を通り過ぎようとするセレンの前に、彼を睨み付けていた獣人が立ち塞がった。


「なに無視して行こうとしてんだこの野郎!」

「…………」


 セレンは黙ったまま、それを避けて行こうとした。だがそれを黙って見過ごすわけもなく、獣人はセレンの胸ぐらを掴む。


「人間風情が俺たちに盾突いてタダで済まされると思ってんのかッ!?」


 間近で怒鳴り散らされ、セレンは眉を寄せて不快そうに顔を逸らした。それが獣人の神経を逆撫でする。


「この、クソ野郎……ナメやがって……!」

「離せよ。お前も困るだろ、警邏隊に連行されるぞ」

「ッ!だったら……奴らが来る前に済ませちまえばいいだけだッ!!」


 獣人は胸ぐらを掴む力を強め、セレンの顔を殴った。拳はセレンの頬に当たり、鈍い音が鳴った。だが、その力加減はどう考えても全力のものではなかった。


「痛え……しくじった」


 全力でないにせよ、弱くはない力で殴られたセレンは痛みに口元を歪めた。反して全力を込めて殴ったはずの獣人は、不思議に思いながらももう一度殴りかかろうと腕を上げようとしたが。


「……あ?なんだ?体が……!?」


 体が思うように動かない。そのうえ妙に足が冷たい。恐る恐る足元に視線を向ける。


「な、なんだこれェ!?」


 獣人の足は氷に覆われていた。パキパキと音を立てながら、まるで植物が急速に成長するかのように氷は大きくなっていき、自由を奪っていく。もがいても氷は簡単に砕けてはくれない。


「テメェ!いつの間に術を……!」

「黙れ、そこで大人しくしてろ。ったく、人が楽しく観光してるところを邪魔しやがって……」


 セレンは自分を掴んでいた獣人の手を払い除けた。その一部始終を呆然と見ていたマルカブはハッと我に返って、慌ててセレンの怪我の手当をしようとした。口の端から血が出ている。


「セレンさん、今すぐ手当を……」


 とマルカブが手を伸ばす。しかしそれを遮るように。


「コラーッ!何をしとる貴様ら!」


 遠くからそんな声が迫って来る。振り返ると、警邏隊と思しき黒い毛並みを持った獣人が長い杖を持って、野次馬たちの向こうから走ってくるのが見えた。集まっていた野次馬の誰かが呼んだのだろう。

 セレンは先ほどまでとは打って変わり、慌てふためいた様子でマルカブの腕を掴んだ。


「おい、早く行くぞ!捕まるのは困る!」

「え、えぇ!?」


 そのままセレンはマルカブの手を引いて走り出した。引き止める者もなく、二人は西の樹上橋へと駆けて行く。始めはセレンが先導して道を進んでいたが、道から逸れそうになるとマルカブが正しい道順を教えていくうちに、順番は入れ替わっていた。

 空が枝葉に覆われて木漏れ日だけが照らしている。しばらく走り続けていた二人だが、マルカブは疲れてしまい橋の手すりにもたれかかった。セレンも立ち止まり、来た道を振り返る。


「……追いかけてこないな」

「あ……セレンさん」


 息を整えてマルカブはセレンの顔を見る。血の跡がまだ残っていた。マルカブは落ち込んだ表情になり、両手を胸の前で重ねる。


「あの、助けてくださってありがとうございます。怪我の手当を……」

「うん?ああ、ちょっと切れただけだ。大丈夫だろ」セレンは平気そうにしている。

「い、いえ!元はと言えばわたしが考え無しに動いたせいですから……治させてください」

「そうか?じゃあ頼む」


 特に強く断ることでもないので、セレンは了承した。マルカブは少しだけ微笑み、重ねていた手を組んで魔術陣を顕現させる。紫色の花のような紋様が、足下から花弁が開くように広がる。マルカブがセレンの顔に手をかざすと、瞬時に光が傷を治した。


「……痛みは無いですか?」

「おう、なんともない。それより」とセレンは少し顔をしかめる。「あのあたりはいつもあんな騒ぎが起こってるのか?」

「あ、いえ……いつもでは無いんですけど……」


 マルカブは言い辛そうに口をもごもごと動かしていたが、セレンから目を逸らして続ける。


「あのお店が、玄の国から来たものだったからだと……」

「玄……あの獣人も言ってたな、そういえば。翠の国と相性が悪いってのは知ってるけどさ、あんな手当たり次第みたいな突っかかり方するほど険悪だったとはな」

「いえ……お国柄、ということだけじゃなくて」


 マルカブはうつむいて黙ってしまった。口を開けたり閉じたりして、言葉を探しているような様子を見るに絶対に話したくないというわけではないようだ。セレンは言葉の続きを待とうとしたが、日が傾き始めていることに気づいて声をかける。


「歩きながら話そうぜ」

「あ……そうですね」


 マルカブは顔を上げ、歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る