十五話 回想:数時間前

 遡ること数時間前。

 任務を終えて仮眠を取ったあと、僕は街に出ていた。

 リアンたちと何度か行ったことのあるコーヒーの美味い店で食事を取ってから、ちょっとした用事を済ませるために、街の通りを歩いていた。

 今自分がどのあたりを歩いているのかあまり分かっていないのだが、軍の本部塔はこの街のどこにいても目印として見ることができる。帰りたければ、その塔へ向かっていけば自然と軍の施設に辿り着く。


 玄の国の商業区は、中心部の軍を囲むように大小様々な店が三つの階層に分かれて存在している。一見すると複雑そうな地形をしているが、大通りと階段は一定の距離でつながれており、設置された案内板を見ていれば迷うことはないらしい。……僕にとってはそうでもないが。

 これから行く場所については、案内板を見る必要の無い場所だ。そもそも載っていない。僕自身にもよくわからないが、行こうと思って歩いていると、いつのまにか着いている妙な場所である。任務でイデアと戦った後は、不思議とそこへ行かずにはいられない。


 人通りの多い街中を歩いていると、行き交う人々の視線が刺さる。この国に来たばかりの頃はいちいち不快に感じていたものだが、とっくに慣れた。

 目立つ軍服のせい……もあるだろうが、一番の理由は僕の髪色だろう。

 緑色の髪というのは、純粋な人間種族の間で自然発生するものではない。人工的に染めることは可能だろうが、緑に染めるのは相当な物好きだ。

 だがそれはあくまでこの玄の国での話で、緑色の髪がメジャーな国が一つだけ存在する。翠の国という、玄の国とはお世辞にも友好的とは言えない国だ。

 その国はヒトではない種族、亜人や獣人、妖精などが住まう緑豊かな場所だ。国土のほとんどが木々に覆われた森で、開拓により都市を形成していった玄の国とは正反対である。自然の摂理に極力逆らわない、共存を是とする翠の国は、玄の国とは遥か昔から対立していた。今でこそイデアという共通敵の存在により、国同士の諍いは無いものの、完全に和解しているとは言いがたい。

 そういった情勢も相まって、緑髪はこの国で殊更に珍しがられてしまうというわけだ。

 以前はこれが原因で妙な連中に絡まれることもあったが、軍人としてこの軍服と武器を身につけられるようになってからは、不躾な視線を向けられる程度で済んでいる。昔のように戦争をしていた時代でなくて良かったと、心底思う。

 道すがら、店の表に並ぶ商品に目を向けてみると、たまに翠の国の輸入品が並んでいる。主に植物や野菜、果物……こうして徐々に両国の仲は改善されてはいる。個人感情についてはどうしようもない。


 そうして歩いている間に、どこかの路地へと足を踏み入れていた。

 人のいない暗い路地を進むと、先から差し込む陽の光が僕の目を焼く。

 突き当たりの、鍵のかかっていない黒い門扉を押し開けた。

 光が降り注ぎ、風が吹いて、青い花弁が舞い上がる。

 そこは庭園だった。



 庭園の真ん中には噴水があり、そこに浄星石と思われる僕の身長以上の大きな石が突き立っている。

 それを囲むように小道があり、ベンチが設置されている。周囲にはたくさんの青い薔薇が咲き誇っており、いつ来てもそれは同じだった。


「やっぱり、誰もいないな……」


 建物に囲まれた場所だが、ここで自分以外の者に会ったことが無い。この国に初めて来た時から、この場所には何度も訪れているが、一度たりとも無い。

 この国へ来て間もない頃、この場所をアフェット隊長に教えたくて一緒に訪れてみようとしたことがあった。だが、どれだけ探しても見つけられず無駄足を踏ませてしまったことがある。リアンとノンを連れて訪れようとしたこともあったのだが、やはりどうしても辿り着くことができなかった。三者とも、僕が方向音痴であることは知っているので、嘘だとは思っていないようだが……一度でいいから誰かを連れて、ここを

 ベンチに腰掛けて、目を閉じた。全身に清澄な空気が行き渡るような感覚を覚える。


 ……あの夢と似ている……


 なんとなくそう思った。景色は全く違う。空気感が似ているのだろうか?

 仮眠をとってもすっきりしなかった気分が、すっかり無くなった。

 どうしてか、イデアと戦った後はこうしてここに来ないとすっきりしないのだ。

 イデアと言えば……

 今朝遭遇した特殊型……あれについて、上はどういう見解を示すだろう。これまで、特殊型というのはある一つの特殊な能力を持った個体を特殊型イデアと呼んでいた。しかし、今朝のあれは、記録にある能力とは別の再生能力を有していた。記録にある能力は、実体化したまま地中を自在に移動するというものだった。

 地中に潜ることなどまるでしていなかった。では、あれは実は見た目が同じなだけの別個体?


「……わからん」


 いや、分かる必要も無い。考えるのは上の仕事。僕は命令に従ってイデアを倒す。

 それにしても……ここ最近は何故だか妙にイデアの動きが大人しかった。特殊型はおろか、雑魚でさえ出現数が少ない。それは図書館で見た記録を見ても明らかだった。

 今朝だって、村一つが破壊されたといっても村人の死亡率は今までより圧倒的に低い。おまけにろくな応戦もせず、自ら消えるという行動。

 何かがおかしい。なんというか、まるで……––––––


「––––––嵐の前の静けさのようだね」

「っ?!」


 びくりと体が震える。誰だ?


「そう思わない?」


 探すまでもなかった。目を開くと、声の主は目の前にいた。

 十二歳ほどの少年。焦げ茶色のくせ毛をふわふわと風になびかせ、長い後ろ髪を三つ編みにして垂らしている。紫のブラウスに、茶色のベストを着ていて、一般市民的な身なりとは少し違う。

 微笑む少年を前にして、僕は郷愁に駆られた。


「君は……誰だ?」


 僕はこの少年を知らない。なのに郷愁に駆られるとはどういうことだ。何を懐かしんでいるんだ?


「ボクは……キミの味方だよ」

「は?」


 答えになっていない。それに知りもしない相手に味方だと言われても困る。


「そんなに怖い顔しないで、ボクのことはすぐに分かるから」


 そう言って少年は隣に座った。

 どうやら、無意識に眉をひそめて警戒の色を露わにしていたようだ。しかし、少年はそれに対して臆することも機嫌を悪くすることもなく、ただ目を細めて僕に笑いかけた。


「始める前に、会っておくべきだと思ったんだよ」

「……何の話か全くわからない。誰なんだ、君は」

「キミはボクのことが分からないかもしれないけど、ボクはキミのことを知っているよ、倫」


 驚いて少年の顔を見る。


「どうして僕の名を知っているんだ」

「それもすぐに分かる。ねえ、聞きたいことがあるんだ」


 少年は目を細めて天を仰ぐ。


「キミはこの世界をどう思う?」


 僕の質問には答える気がないのに、自分は質問するのか……いや、子ども相手に大人気なく反抗するのも格好悪い。


「どうって、随分漠然とした質問だな」


 答えようにも答えられない。


「うん……じゃあもう少し簡単に。キミはこの世界が好き?」


 僕は黙ってしまった。世界などという大きな単位で、好き嫌いを判断したことはない。


「世界は知らないが……今の生活は、好きだと思う」


 僕は素直にそう言った。


「今の生活、か……イデアについてはどうかな?」

「その名前を知っているんだな」

「玄の国の学校なら、初等部で教えると思うけど」

「それは……そうだが」

「キミは軍人だ。イデアに対しては一般人よりも思うところが多いと思うけど」


 軍人と見抜かれたことに今更驚く気は無い。この服装を見れば一目瞭然、少なくともこの少年にはその程度の知識はあるということだ。


「……その通りだが、それがどうした」


 子どもに対する話し方ではないが、やはり少年は何一つ臆する様子はない。むしろ、この余裕があり余る態度を前にすると、僕の方が子どものようだ。この少年は、見た目と中身がつり合わない。そう感じた。


「たとえば……」


 少年は俯いて少しの間黙った。次に口を開いた時には、正面を見据えていた。


「今の生活と引き換えに、イデアを全て消滅させられるとしたら、どうする?」

「はぁ」


 陳腐な例え話だ。思わず呆れたような声が出た。

 馬鹿な話をするな……そう言おうとしたが、言えなかった。

 少年が真剣な目で僕を見つめていたからだ。


「……そうだな……」


 答えないわけにはいかなさそうだ。


 「今の生活」と、「イデアの消滅」を天秤にかける。イデアがいなくならない限り、「今の生活」は脅かされ続ける。今日が無事でも、明日が同じとは限らない。そういう世界がずっと続いてしまうのなら、「今の生活」は遠からぬ未来で壊されることになる。


「……イデアの消滅だ」


 そう答えた。それさえ果たせば、誰もがイデアの脅威にさらされることはなくなる。今の生活より、もっと良い未来がやってくる……僕はそう信じている。

 少年は僕の答えにうなずいて、立ち上がった。


「わかったよ。答えてくれて、ありがとう」


 少年の表情は見えないが、強く握られた両手には何かの強い意志が在るように思えた。


「それじゃあ、また」


 少年は振り返って、僕に微笑みかけた。だがその笑みは先ほどまでとは何かが違うように見えた。決意、恐れ、悲哀……そのどれもが綯い交ぜになったような色だった。

 風で大量の花弁が吹き上がり、少年を覆い隠すように舞う。

 目を開けていられないほどの強風と花弁に視界を奪われた次の瞬間、少年の姿は無くなっていた。


「き、消えた……!?」


 慌てて立ち上がり周囲を見渡したが、そこはいつもの誰もいない庭園だった。

 僕は幻でも見ていたのだろうか……

 そう思う僕の傍らで、少年を包み込んだ青い花弁がふわりと舞い落ちた。

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