喧嘩

「そう、ですか……」


 なんと答えていいかわからず、アデリナはかろうじてそれだけを言った。反応の鈍いアデリナに、ローザは棘のある言葉をぶつける。


「いいザマだとでも思っているのかしら。オリヴァーも堕ちたものね。あなたみたいな子どもと婚約だなんて。きっとあなたも飽きられて捨てられるのがオチよ」

「……」

「何とか言いなさいよ」


 焦れたようにローザは言うが、アデリナには答えようがない。


 飽きられて捨てられようがないからだ。


 この婚約はオリヴァーがローザのしたことに責任を取るために結ばれた。噂ごときでと、アデリナも最初は思ったが、こうしてローザと対峙して気づいた。


 このままローザを放っておくと、噂に留まらず、追い詰められたローザが何をするかわからない。それを止めたかったのもあるのだろう。かつては愛した女性だ。そんな女性が罪に問われる事態は避けたかったに違いない。


「ローザ様……そこまでオリヴァー様のことを……」

「何? 愛してるとでも言えばオリヴァーを返してくれるの? じゃあ言うわ。愛してる。言ったんだからさっさと返しなさいよ……!」


 ローザはアデリナに掴みかかる。アデリナは咄嗟に向かってくるローザの手を握った。だが、ローザの力はアデリナよりも強い。じりじりと押し負けてアデリナの背中が壁にぶつかった。抵抗しながらアデリナは問う。


「……っ、それなら、どうしてオリヴァー様ではなくデーニッツ卿を選んだのですか? オリヴァー様は、あなたを愛していたのに……!」

「……あなたにわかるわけがないわ! 愛だけでは生きられないのよ! 綺麗事を言ったところでお金がないと生きられない! 貴族籍があってもお金のないオリヴァーとでは、幸せになんてなれなかったんだから……!」


 ローザは弁解するが、アデリナはオリヴァーから別の真実も聞いていた。それだと辻褄が合わない。どこまでも自分のことしか考えていないローザに、アデリナは段々と腹が立ってきた。


「それなら! 何故、オリヴァー様と同時に別の男性ともお付き合いをされていたのですか? あなたは結局、オリヴァー様を利用していただけじゃないですか!」

「うるさいわね! そんなのわたくしの勝手でしょう! 小娘ごときがうるさいのよ!」


 ローザは更に怒りを募らせる。だが、アデリナにも言い分はあるのだ。


「そもそも、オリヴァー様は物ではありません! 返すも返さないも、私たちが決めることではないんです! 選ぶのはオリヴァー様です!」

「なっ! 自分が選ばれたとでも言いたいの? ふざけないで!」


 ローザの力は徐々に強くなっている。それくらい強い思いがあるのなら、どうして自己弁護ばかりに力を費やすのではなく、他人のために使えなかったのだろうか。他人を利用してのし上がって、その地位がなくなりそうになったから、かつて自分が利用した人を再び利用する。それがオリヴァーを苦しめていることに気づかないのだろうか。


「……っ、お願いです。もうこれ以上、オリヴァー様を苦しめないでください。オリヴァー様はあなたを愛していたから、自分が悪者になってもあなたの名誉を守ったんです。あなたが自棄になって、自分の評判を落とすようなことをしないでください……!」


 だが、アデリナの必死な懇願もローザには響かない。体格の差もあって、アデリナの体力は限界だった。怯んだ隙にローザの手がアデリナの首にかかる。


「……あなたさえ、いなければ」


 呟く声音はゾッとするほどに冷たい。ローザの目は虚ろで、感情が見えなかった。


(これは危ないかもしれない)


 アデリナの頭に警鐘が鳴り響く。せめてクリスタがここに立ち会ってくれればと、後悔しても遅い。じわりじわりとローザの指に力がこもり、少しずつ息が苦しくなる。


「……やめて、ください……」


 ローザの手を引き剥がそうと、アデリナはローザの腕に爪を立てる。だが、ローザは少しだけ眉を顰めただけでやめようとはしなかった。


 その時、勢いよく扉が開いた。


「アデリナ!」


 その音と声に驚いたローザの手が緩む。その隙にアデリナはローザを突き飛ばし、その場にへたり込み咳き込んだ。


 声の主はクリスタだった。淑女らしさをかなぐり捨てて、勢いよくアデリナに駆け寄る。そのくらい心配してくれたのだと、涙目で咳き込むアデリナの胸が暖かくなった。


「大丈夫ですの? あまりに帰りが遅いし、デーニッツ伯爵夫人の姿も見えないから、心配で探しにきたんですわ。間に合って、本当に良かった……!」


 クリスタはアデリナを強い力で抱きしめる。アデリナの無事を確認した後、クリスタはローザを睨みつける。


「……どういうおつもりですの? 兄の婚約者と知っての狼藉ですわよね? あなたは間もなくデーニッツではなくなるとうかがいましたわ。それでしたら、あなたのご実家である男爵家の方に、ファレサルド伯爵家として直々に抗議いたします。あなたがアデリナに暴行を加えたこと、お兄様との関係などをご実家の方々が知ったらどうなさるでしょうか?」


 ローザはみるみるうちに青くなる。


「それはやめて! 実家にも居られなくなったらわたくしはどうやって生きていけば……!」

「あら。その覚悟があったからわたくしたちに喧嘩を売られたのですわよね? しかも、あなたはアデリナに危害を加えようとしておりましたわよね? お兄様もきっとお怒りになるでしょう」

「お願いします! 実家には言わないで……!」


 ローザの様子から察するに、ローザの実家での待遇は良くないのかもしれない。自分の今現在置かれている境遇にばかり気を取られて、その先のことまで頭が回っていなかったに違いない。


 貴族という特権を与えられたからには、そこに責任が生じる。爵位やそれにまつわる土地を守るのは、個人ではなく特権を与えられた家なのだ。ローザはデーニッツという家に所属していることを忘れて私情に走ってしまった。家から家に抗議がいくのが当たり前だということを、忘れてしまっていたのだろう。


 ローザの怯えように、アデリナはやり過ぎな気がして口を挟んだ。


「……クリスタ様、それはやり過ぎでは……」

「アデリナ、甘いですわよ。この方は、以前にもやっているのです。これで二度目。三度目がないと、どうして言い切れますの?」

「それは……」

「学べないのなら、痛い目に遭っていただいて身を持って学んでくださらないと、他の者も迷惑ですし、泥を被せられた家としては示しがつきませんの」


 クリスタの言うことももっともだった。アデリナは項垂れる。それを見たローザも項垂れるしかない。


「わかったなら覚悟あそばせ。とりあえずお茶会に戻りますわよ。まだ終わっておりませんから」

「はい……」


 ローザを一人にするのが心配で、アデリナはローザの背を押して客室を後にした。

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