突然の終わりと変化

 それは突然だった。


 ドレスの仮縫いも終わり本縫いに入った頃、仕事に出かけようとしたアデリナは母に止められた。


「今日はお休みしなさい。マーカスにそのことは伝えさせるから」

「どうしてですか? もうデビューも近いから時間が……」

「いいから、お休みなさい」


 言い募るアデリナに、母がぴしゃりと命令した。納得はできないが、有無を言わせない迫力に、アデリナは渋々頷いた。


 ◇


「それで何のお話ですか?」


 応接室に呼ばれて行くと、両親が揃って神妙な顔をしていた。今度は何のお小言かと、アデリナの表情も釣られて暗くなる。


 両親は顔を見合わせて頷くと、父が口を開いた。


「……最近ずっと、帰りが遅かっただろう? オリヴァー殿と一緒にいたのか?」


 わかりきったことを聞く父を怪訝に思いながらもアデリナは頷く。


「はい、そうです。ドレスの仕立てを教えていただいていると、お話ししたと思いますが」

「本当にそれだけか?」

「もちろんです。他に何があると仰るのですか?」


 両親が何を言いたいのかがわからない。アデリナは本題に入ろうとしない父に焦れたように問う。


 父は重い溜息をついた。


「……実はお前とオリヴァー殿が男女の関係だというような噂が広がりつつあるようだ。私も事実無根だと主張はしたんだが、それなら何故ここ最近二人きりで夜遅くまで過ごしているのかと反対に聞き返されたよ」

「そんな……」


 アデリナの背中を冷たい汗が流れ落ちる。こうならないようにと厳命されていたにもかかわらず、現実になってしまった。


 まだ未成年である自分の行動で両親にも肩身の狭い思いをさせてしまった上に、もう一人の当事者であるオリヴァーにどんな影響があるのか。アデリナにはまだ実害がないが、もしかしたら両親やオリヴァーにはあるのではと、そちらが心配になった。


「それにしても不思議なものだ。ここ最近というからには、お前とオリヴァー殿の動向を見張っていたのかと疑いたくなるのだが……」

「何故そんなことを……」

「お前かオリヴァー殿に恨みがあるのかもしれないな。心当たりはないのか?」


 父に問われてアデリナは考えを巡らせた。だが、そこまでアデリナやオリヴァーに恨みを持つ人は思いつかない。だが、アデリナは考えるうちに、ある可能性に気がついた。


 自分の気がつかないうちに、他人の恨みを買っているのかもしれない。はっきりとわからないからこそ、余計に恐ろしい。これが始まりで、まだまだ続いたらどうしようかと不安に襲われた。


「だが、こうなったからには、もう行ってはいけない。オリヴァー殿にも迷惑をかけることになるからね。別に、お前が憎くて言っているわけではないとわかって欲しい」

「……わかって、います。迷惑をかけて、申し訳、ありません……」


 残り一ヶ月半だというのに、ここで終わってしまうのが悔しい。泣きそうになるのを唇を噛んでぐっと堪える。そんなアデリナを痛ましそうに両親は見ていた。


 ◇


 父に言われてから一週間経った。


 店に通うことはできなくなったとはいえ、夜会用のドレスは自分で仕上げたかった。オリヴァーとの思い出が詰まった大切なドレスだ。それを他人任せにはしたくなかった。


 元の味気ない生活。そんな日々の中で、オリヴァーやクラリッサ、クリスタと過ごして思い出がアデリナの支えになっていた。皆の気持ちを無駄にしないためにも、自棄にならず、店に通っていた時と同じように淑女教育も真面目に受けている。


 やることはたくさんあって考える暇なんてないはずだ。それでもふとした時にオリヴァーを思い出しては、堪らなくオリヴァーに会いたくなる。


 ドレスを縫いながら、オリヴァーのアドバイスを思い出す。


「ここはこう返して補強するって言ってたっけ……」


 オリヴァーの言葉は一言一句覚えている。その声も、笑顔も、全てが愛しい。思い出して胸が締め付けられ、押し出されるように涙が溢れる。


「会いたい……っ」


 ドレスを搔き抱いてアデリナは泣いた。


 最後の挨拶も、お礼さえ直接言えなかった。だが、自分が店に行ってしまえば、噂を認めてしまうことになる。自分に悪意を持つ誰かがオリヴァーに危害を加えてしまうかもしれない。


 だからマーカスに、オリヴァーへの言伝をお願いした。『ドレスは一人ででも仕上げます。これまでありがとうございました』と。


 告白の返事も聞いていないまま、アデリナの恋は終わってしまった。


 しばらくそのまま泣き続けていたら、控えめなノックが聞こえた。はっと気づいて窓の外を見ると、もう日が暮れかけていた。ドレスを離して涙を拭うと、アデリナは扉に向かって声をかけた。


「はい、どうぞ」

「アデリナ、入るぞ」


 声の主はマーカスだ。入るぞと言いながら、マーカスは扉を開けるなりズカズカと入ってくる。もう既に入っているじゃないかと笑いかけてアデリナの笑顔が固まった。


「……本当は来るべきじゃないんだが、心配で……すまなかったな」


 マーカスの後ろにはオリヴァーがいた。申し訳なさそうに消沈した声音で謝っている。会いたいと思っていた本人が現れたことで、アデリナの涙腺はまた緩む。嗚咽が漏れて、声にならず、ただただ首を左右に振る。


(オリヴァー様のせいじゃない。私はちゃんと注意されていたのに、約束を守れなかった。私のせいなのに……!)


 マーカスはアデリナの手を掴んで立たせると、オリヴァーの前へと背中を押す。それほど力はこもってなかったが、足に力が入らずアデリナはよろけた。すかさずオリヴァーがアデリナを支えるように抱きしめる。


 こんなところを見られたらどうするのかと一瞬アデリナの頭を過ぎったが、大好きな人の体温にそんな思いは吹き飛んだ。


 アデリナはオリヴァーにしがみついて泣いた。そんなアデリナをあやすように、オリヴァーはしばらく背中をさすってくれていたのだった──。


 ◇


「……申し訳ありません」

「いや、気にするな。それよりも悪かった。俺と噂になってしまって……」

「いえ、前にも言いましたが、私が嫌なのは働けなくなったことで……こちらこそ、申し訳ありませんでした。オリヴァー様に少女趣味ロリコンという不名誉な称号がついてしまうのではないですか?」

「いや、それは大丈夫だ。アデリナもあと一月ほどで成人になるんだし。そうなれば問題はなくなるだろう」

「そうですかね……そうだといいのですが……」


 泣き止んだアデリナはオリヴァーと隣合って座っていて、向かいにはマーカスが座っている。アデリナを支えるようにしてオリヴァーが座らせてくれたのだ。


 そんなオリヴァーはアデリナの肩を抱いている。あまりに近い距離にアデリナの鼓動は早いままだ。


 それに、マーカスが何も言わないことがおかしい。


 噂になっているとわかっていながらオリヴァーを連れてきたこと、そのオリヴァーに距離が近いと諌めないこと、オリヴァーにアデリナを任せるように背中を押したこと──。


 アデリナは、何かが変わり始めている予感を感じずにはいられなかった。

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