根底にあるもの

 それから三週間ほど経つと、わたくしは一人で歩けるようになった。そんなわたくしのお気に入りの場所は、コンラートが幼かった頃によく隠れていた庭にある生垣の迷路。一人で考えるには最適の場所だと思う。


 今朝は、一緒に過ごそうと言うマインラートを断って一人でここへ来た。


 最近はどうしていいのかわからない。


 コンラートが赦してくれて、新しい関係を始めようと思ったのに、わたくしはそもそも会話らしい会話をしたことがない。うまく話せずに戸惑っていると、コンラートも困っているように見える。それで反対に申し訳なくなって避けるようになってしまった。


 そしてマインラートは、相も変わらずにわたくしとの距離を詰めてくる。近い距離感に慣れず、どうしても期待をしてしまう自分がいる。離れた方がいいのに、離れたくないという気持ちのせめぎ合いで、逃げてしまう。


 情けない。これではまた同じことの繰り返しだ。思わず溜息を吐くと、わたくしを呼ぶユーリの声がした。


 何か用があるのかと出て行くと、何故かコンラートとマインラートもいる。


 心の準備ができていなかったわたくしは思わず逃げ出そうとしてしまった。だけど、それを止めたのはコンラートだった。


「母上! たまには皆でお茶でもしませんか? 僕は母上と話したいんです」


 その言葉に足を止めて振り返る。わたくしはコンラートを困らせるばかりなのに、それでも誘ってくれることが嬉しかった。


 更にコンラートはウィルフリードも一緒に家族全員でと言ってくれたのだ。涙が出るほどに嬉しくて笑いかけると、何故かコンラートとマインラートは固まっていた。


 寝かせていたらしいウィルフリードを連れて食堂に行き、マインラートの向かいにわたくし、左にウィルフリードを抱いたコンラート、右にユーリが座ったけれど、誰も口を開かない。堪りかねたわたくしは、何か話があるのではないのかと問うた。


 コンラートとマインラートが見つめ合って何かを合図している。しばらく様子を見ていると、コンラートが口を開いた。


「父上が母上と話したいそうですよ」

「コンラート!」


 マインラートが慌てたようにコンラートの名前を呼ぶけれど、コンラートはどこ吹く風で言う。


「父上が人任せにしようとするからでしょう。そんなことで母上にわかってもらおうなんて厚かましいにも程がありますよ」


 わたくしにわかってもらう?

 コンラートが話す意味がわからず、二人を見ていると、やがてマインラートが神妙な顔で頭を下げる。


「……私のせいで君を追い詰めたことは本当に申し訳ないと思っている。だからもう一度やり直したいんだ。自分が都合のいいことを言っている自覚はある。許してもらえるとも思わない。コンラートのためにも償わせてもらえないだろうか?」


 その話か、と納得した。わたくしが動けるようになったら話すと言っていたことをマインラートは覚えていたのだ。きっと最近避けていたからこうしてコンラートも交えて話をしようと思ったのだろう。


 それならわたくしもコンラートの前で話した方がいいのかもしれないと、口を開いた。


「……そのコンラートが言ったでしょう? やり直すも何も始まってもいなかったと。わたくしはコンラートとの関係はともかく、あなたとの関係を始める気はありません」


 そう。家族としての友愛ならいらない。またマインラートが誰かを愛する姿を間近で見るのは耐えられないだろう。


「だが、修道院に入るというのは……」

「ええ。男子禁制ですからコンラートとも会えなくなる。そんなことは覚悟の上です。この子はこの子の幸せを見つけました。そこにわたくしは必要ありません。修道院から手紙を出すことは可能ですし」


 もうコンラートも大人だ。関係を断つわけではないのだからわたくしがそばにいなくても大丈夫だろう。だけどコンラートはそう思わなかったようで口を挟む。


「必要ないって何ですか? 僕はまた母上を失うのですか? どうして僕が平気だと思うんですか?」


 ──また間違えてしまった。


 そんなつもりではなかったのに、わたくしはまたコンラートを傷つけてしまった。コンラートが子どもの頃によく見せた途方に暮れたような悲しい顔。こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。


「……あなたにはユーリがいるでしょう?」

「ユーリはユーリ、母上は母上です。僕はこれからあなたとわかりあえると思っていたのに」


 コンラートが言うと、ユーリもコンラートに被さる。


「そうですよ。私とお義母様は違う人間です。比べることがおかしいんです」

「ほら、皆こう言っているんだ。お願いだから、考え直してはくれないか?」


 最終的にはマインラートまで加わって、わたくしはどうすればいいのかわからなかった。


 昔もこうしてコンラートがわたくしを求めてくれた。だけど、わたくしはあの子を拒否した上に楽な道を選んだ。


 だから、わたくしはそれしか知らない。


 もし、こうして皆の手を取って、必要とされなくなったら?


 わたくしはまた、マインラートに愛されずに、楽な道を選んでしまう気がして怖かった。もう自分を嫌いになりたくない。誰も傷つけたくない。


 色々な気持ちがないまぜになって苦しかった。


 愛しているから、愛しているのに、だけど自分には愛される価値がない。コンラートに必要とされているのに、どう応えていいのかもわからない。


 気持ちをどう吐き出していいかわからず、途方に暮れて俯いた。


「……ゆっくりでいいので、母上の気持ちを教えてくれませんか? 僕らは母上を追い詰めたいわけじゃないんです。母上と一緒に考えることができればと思っています」

「どうして……? わたくしはあなたを傷つけてきたのに」

「それはお互い様でしょう? 僕は親になることで少しはあなたの辛さが理解できました。僕自身がウィルフリードとどう接すればいいのかわかりませんでしたから。幸い僕にはユーリがいたから乗り越えることができましたが、母上は一人で考えなければならなかった。だから、もういいんです」


 少しずつ頑なな心が解けていくようだった。建前で覆い尽くしたわたくしの本音を引き出すような優しい言葉。


 結局はわたくしは色々なことを考え過ぎていたけれど、根底にあったのは──。


「……わたくしには何の価値もないの」


 それだけだった。

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