第8話 あらぬ噂


 やがて、夏休みも終わり、二学期が始まった。

 駆と文音の関係は学校が始まってからそれほど経たずにクラス中に知れ渡った。駆は文音のことをおもんばかって隠して行こうと提案したのだが、文音の方が別に隠さなくて構わないとその提案をあっさり却下したのだ。


「いいのか? 目立つのは嫌いだって言ってたはずだけど」

「隠したところでいずれバレちゃうわよ。それなら最初からこそこそしないで堂々としていた方が皆の印象も良いと思うわ」


 学校が始まる前日のこと。文音に気を遣う駆をよそに、文音は気にならないといった調子で言った。


「随分と考え方が変わったね、文音さん」

「駆くんのおかげよ。そういう駆くんだって随分変わったじゃない」


 駆と文音はお互いのことを名前で呼ぶようになっていた。夏休みを経て二人の関係は驚くほどに親密になり、それに伴って二人の内面も大きく成長を見せていた。


「そうかな? 自分ではまだ自覚できないな」

「私だって、自分が変わっただなんて自覚できてないし、要するに変化って言うのは自分の外側にいる人じゃないと気付けないんじゃないかしらね。逆を言うなら、自分の変化なんて言うのは外側にいる人の関心事であって、私たち自身には関係のないことなのかも知れないわ」

「そう言われれば、確かにそうかもしれないな」


 そこで駆と文音は顔を見合わせ、お互いに苦笑いを浮かべる。変化など気にしないで、ただ自分たちらしくあればいいことに気が付いたからだ。


 そういう経緯もあり、二人は学校の中でも隠すことなく付き合いを続けた。

 一学期の経緯を知っているクラスメイト達からは当然驚きと好奇の目で見られることになり、二人揃ってあらぬ噂を立てられたり、他の生徒からのやっかみを受けることもあったが、あくまで自然体を貫き通す二人の姿に、徐々に二人の仲は周囲に受け入れられていった。

 そして二学期の中ごろには、二人の仲はクラス内どころか学年全体で公認された関係になっていた。当然のことながら、クラスの内外で注目を集めるようにもなっていき、遂には良からぬ噂を聞き及んだお互いの家で二人がそれぞれの関係について問いただされるという事態に発展した。


「もう! 叔父さんも叔母さんも中々駆のことを信じてくれないんだもの。嫌になっちゃうわ」

「ちゃんと中学生らしくやっているのにな、俺たち……。ともあれお疲れさま、文音」


 ある日の昼休み。屋上に上がった駆は前日の夜にかなり絞られたとみられる文音を一生懸命労わっていた。もっとも、駆の方は駆の方で昨日かなり長い時間、叔父夫婦に文音のことを問いただされていたのであるが。



「ねえ、駆、今度一度家に来てくれない? 駆のことを見てくれれば叔父さんも叔母さんも納得すると思うのよ」

「……俺も一度文音の家に行ってみたいと思ってたけど、大丈夫なのか?」

「……本当なら私が駆の家に行きたいところなんだけど、どうも変な噂を聞きつけちゃったらしくて、駆関係の話には一切オーケーを出してくれないのよ」

「一体どんな噂話を聞いたっていうんだ……?」


 話を聞いている限り、かなりろくでもない噂を文音の叔父夫婦は聞きつけてしまっているらしい。文音の言うことは分かるが、駆がただ家に行って話をすれば解決、という感じでも無さそうではあった。

 とは言え、駆も文音もやましいことは一切していない。下手な言い訳など考えず、真っ向から自分たちの主張を通す方が良いだろうと駆は考えた。


「駆、いつ家に来てくれる?」

「話が話だから、出来るだけ早めが良さそうだな。来週のどこかにしよう」

「それなら、来週の水曜日が良いわ。水曜は叔父さんが早く家に返ってくるのよ」

「文音の叔父さんか……」


 駆は腕を組んで考え込むような仕草を取り、それを見た文音は心配そうな表情になる。


「やっぱり不安かな? 私の叔父さんに会うのって」

「不安じゃないといえば嘘になるよ。俺みたいな中学生の子供が大人に向かってどんな顔してものを言ったらいいのか、正直言って良く分からない」

「駆……」

「でもさ、前にも言ったかもしれないけれど、俺は悩むより先に前を向いていたいんだ。今回も難しい話なのかもしれないけど、いろいろ思うより前に一歩だけでもいいから先へ進んで、そこから悩むなり何なりしたいんだ」


 文音の不安そうな声に、駆は心配はいらないというように腕組みを解き、真っ直ぐに文音の瞳だけを見つめて、力強くそう語る。そんな駆の姿を見て、文音の顔からは不安そうな色が消え、小さな花のような微笑みを浮かべた表情へと変わっていった。


「ありがと、駆。頼りにしているわよ」

「任せておけって、文音」


 かけがえのない文音の笑顔を見た駆は改めて決意を固めていた。


 それから一週間はあっという間に過ぎていった。

 その間、駆は態度を硬化させている叔父夫婦に辛抱強く説得を繰り返して、どうにか文音の家へ挨拶に行くことを了解してもらった。

 文音の家からもこれ以上文音に会わないでほしいという連絡が駆の家に来ており、叔父夫婦の説得は一筋縄ではいかなかったが、駆は何度も自分は文音に何もしていないこと、誠意を見せるために自分から文音の家に出向きたいことなどを叔父夫婦に訴えた。

 初めは頑なな態度を取っていた叔父夫婦も、あまりにも真っ直ぐで穢れのない駆の態度に次第に心を開いていき、約束の前日、火曜日の夜になってようやく文音の家に行っていいという許可を叔父から取り付けることに成功した。


「駆、こうなったからにはもう何も言わないが、先方の家に粗相などするんじゃないぞ?」

「駆、向こうの家もお嬢さんのことが心配で言っていることなんだからね。それを忘れたらいけないよ」

「分かってるよ叔父さん、叔母さん。失礼のないように気を付けるからさ」


 心配を隠し切れない、と言った感じで注意を繰り返す叔父と叔母に、駆は真面目な表情で何度もうなずいた。


 そして、その翌日の水曜日。


 学校を終えた駆と文音は、二人で文音の家へと向かった。

 向かう途中、文音はずっと無言だった。心配そうな表情を浮かべては何度も何度も首を振って呆然となり、その手は駆の手を固く握ったまま離れようとしない。

 駆は不安の色を隠せない文音に動揺している姿は見せられないと表情を固く引き締め、文音の手をしっかりとしかし大切に握りしめて道を歩く。その姿はもう中学生には見えないほどの力強さに満ちていた。

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