第15番 お気に入りの歌に合わせて笑顔でくるくる踊っていた

 職場から最寄り駅までの帰り道に、最近発見したお気に入りのルートがある。

 大通りから外れた筋の、個人経営のお店や飲食店が並んでいる通り。

 駅まで少し遠回りになるけれど、車があまり通らないから安心して歩けるし、程よく賑わっている雰囲気もいい。

 この時期は仕事が落ち着いていて定時に会社を出ることができるから、まだ明るさが残っているオレンジ色の風景が見られるのも好きだった。


 この通りを気に入ってるもうひとつの理由は、いつも花屋の前に立っている、小学校一、二年生ぐらいの小さな女の子。

 最初は花屋の娘さんかと思っていたが、そうではないらしい。

 彼女はいつもこの場所で、にこにこと楽しそうに歌を歌っている。

 

 森に立っている小人

 赤いマント着てひとり

 小人はだあれ 小人はだあれ

 真っ赤なマントの小人

 

 かわいい歌声が聞こえてくるたびに、道行く人たちの口元が緩む。

 「ドレミファ・ソーラファ・ミ・レ・ド」というメロディーは、大手の音楽教室のコマーシャルに使われていたこともあって、耳なじみがあった。

 もともとは『ヘンゼルとグレーテル』というオペラの中の一曲で、森に苺を摘みに行った幼い兄妹、ヘンゼルとグレーテルが歌っている。

 僕はこのオペラが好きで何度か観にいったことがあったから、女の子の姿にグレーテルのイメージを重ねてもいた。

 会社からの帰り道、無邪気に遊んでいる彼女の姿を見かけるのが、僕の小さな幸せになっていた。

 

 女の子は誰に対しても愛想がよくて、この通りの人気者だった。

 花屋の前に立ち止まっている人を見つけると、とことこと近づいていっておしゃべりをはじめる。

 大人たちはみんな膝を軽く折り曲げて、うんうんと優しく相槌をうちながら話を聞く。

 時々は、近づいていっていきなり、小人の歌をうたい出すこともあった。

 最初はびっくりした顔をするけれど、それでもみんなにこにこしながら、歌のなぞかけを真剣に考えて「小人さんの正体はいちごかな?」「りんごかな?」などと答えてあげる。

 そのたびに女の子は「ブブー」と言って、小さくジャンプしながらキャッキャと跳ね回るのだった。

 

 今日の帰りも、女の子が花屋の前で楽しそうに歌っていた。

 

 森に立っている小人

 赤いマント着てひとり

 小人はだあれ 小人はだあれ

 真っ赤なマントの小人

 

 今日は花屋にはお客が誰もいなかった。

 僕は女の子に近づいていった。

「ねえ、今までなぞかけの答えを当てた人、いる?」

「ううん、いない」

「じゃあ、お兄さんが当てちゃおうかな」

 彼女は声を出さずに、えーという口をしてキラキラした目で僕を見上げた。

「いつも一番だけ歌ってるけど、本当は二番もあるんだよね?」

 

 森に立っている小人

 黒い帽子に足一本

 小人はだあれ 小人はだあれ

 真っ黒帽子の小人

 

 僕は二番を歌った。

 歌に全く自信はないけど、辛うじてメロディーの原型は留めていたはずだ。

「小人さんの正体は……バラの実。でしょ?」

 女の子の目が更にキラキラになった。

 そして嬉しそうに「きゃー」と言いながら、走り去っていった。

 あれ、いなくなっちゃった。

 しばらく待ってみたけど、女の子は帰ってこなさそうだったから、僕は花屋を離れて駅に向かった。


 次の日の帰り、いつもの花屋の通りに来てみると、女の子の姿はなかった。

 この通りから帰るようになって以来、彼女を見かけないのは初めてことだった。

 昨日のなぞかけ、正解しちゃいけなかったのかな。

 あの子がいなくなったのが僕のせいだったら、どうしよう。

 ふと花屋の方を見ると、昨日まで見たことがなかった赤い花が売られていた。

 札には「ローズヒップ センセーショナルファンタジー」と書いてある。

 その下には「これは実を楽しむバラです」と説明がしてあった。


 あらためてよく見てみると、花だと思っていたものはバラの実だった。

 一本の茎からたくさん枝分かれしていて、その枝一本につきひとつ、ミニトマトのようなかわいいバラの実がついている。

 実のヘタの部分は黒くて、まるで小さな帽子を被っているようだ。

 僕はそのうちの一本を買って帰ることにした。

 

 家に帰って、押し入れから細長い木箱を出してきた。

 箱の中には、何故かおばあちゃんが持って行けと言ってうるさかった、男の一人暮らしには似つかわしくない、おしゃれなガラスの花瓶が入っている。

 この花瓶、押し入れにしまって二度と目にすることはないと思っていたのに、まさか役に立つときが来るとは。

 僕は花瓶にたっぷりと水を入れて、センセーショナルファンタジーを一本挿した。

 ますます、僕の部屋にはふさわしくないおしゃれな佇まいになった。

 一応、念のために話しかけてみる。

「むしり取ってローズヒップ・ティーにはしないから。心配しなくていいよ」

 バラの実がひとつ、ほんのちょっとコクリと頷いた気がした。

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