コミカライズ記念SS ある日見た夢の話(ジルベルト視点)

 小鳥のさえずりに導かれるように目覚めると、そこは僕の部屋じゃなかった。

 見慣れない天井に目を瞬いたのち、驚いて体を起こすと、肩から銀色の髪がサラリと流れ落ちた。


「え……?」


 思わず上げた声は普段の自分の声より高く、明らかに女性のものだった。

 何だ? 何が起こっている?

 戸惑いながら喉に手を当ててもう一度声を出してみる。


「あ――……」


 これ、アリーシャの声だ。

 まさか!? と思って辺りを見回すと、少し離れたところに全身が映るタイプの鏡があった。

 ベッドから抜け出そうとして、やけに足がスースーすることに気づいた。

 普段と違う感覚に体を見下ろすと、水色のネグリジエが目に飛び込んできた。


「っっ!?」


 声にならない悲鳴を上げて、躍り出るようにして鏡の中に立てば、そこには銀髪に青い瞳をした僕の婚約者の姿が映っていた。

 鏡に映った自分をまじまじと見つめてみる。

 寝起きで下ろしたままになっていた銀の髪に触れると、鏡の中のアリーシャも同じ動作をした。

 …………これはもしかしなくとも。


「僕が、アリーシャに……?」


 ポツリと呟いた言葉もアリーシャの声で、信じがたい光景にこれは夢だと思い至る。

 夢! そう、夢ですよ。

 そうに違いないと頬をつねろうとして、はたと動きを止める。

 つねろうとしているのはアリーシャの頬だ。

 自分のなら躊躇なくつねっているところだが、彼女のは無理だ。

 この白くてまろやかな頬をつねるなんて僕にはできない。

 早々に頬をつねるのを諦め、別の方法で確かめる方法を模索してみる。

 とりあえず痛みではなくても飛び起きるほどの衝撃を受ければいいのではないかと思い、体を見下ろしてみる。

 華奢な体に男の自分にはない胸のふくらみに目が留まる。


「な……なにを考えているんだ、僕は」


 ぱっと視線をそらして――――ゆっくりと戻す。

 いや、でも夢かどうか確かめるだけですし。

 決して不埒な思いがあるわけではないのだと自分に言い訳する。

 胸元で結ばれている青いリボンの端を掴んで――。


「すみません、アリーシャ!」


 意を決して引っ張ったところで、はっとなって視界が一変した。

 見慣れた自分の部屋の天井に、何度か目を瞬く。


「………………ゆめ」


 と呟いた声は自分のもので、ようやく今しがた見ていたものが夢だったことを確信して深く息を吐き出す。

 ほっとしたのと同時に、どこか残念だと思っている自分がいて、一気に後ろめたい気持ちになる。

 例え夢の中だとしても、アリーシャの服を脱がそうとするなんて……。


「僕はなんて不埒なことを……」


 両手で顔を覆って深く反省する。

 もう一度深くため息をついたところで、枕元に置いてあった本に目が留まった。

 昨夜、僕の中にいるアリーシャが寝る前に読んでいた本は、ヒロインとヒーローの中身が入れ替わってしまうというコメディものの恋愛小説だった。

 原因はこれか。

 先ほど見た夢のきっかけを見つけ、がくりと肩を落とす。

 遅くまで本を読んでいたのか、僕の中のアリーシャが起きている気配はない。

 しおりを挟んでいないところを見ると、きっと遅くまで起きて最後まで読み切ってから寝たのだろう。

 僕はゆらりとベッドから抜け出すと、身支度を整えていつもより少し早い時間に学園に向かった。


 ***


 授業が始まるにはまだ早い時間、図書室には先客が一人いるだけだった。

 黒い髪に黒い目をした友人のブライトを奥の閲覧エリアで見つけ、ツカツカと歩み寄る。


「あれ? おはよう、ジルベルト。珍しいね、君が朝こっちに――」

「ブライト、僕を殴ってください!」


 喋るタイミングが思いっきりかぶった。

 ブライトが言葉を切って、「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げる。


「ちょ、いきなりなに!? 一体どうしたっていうのさ!?」


 とりあえずちょっと落ち着こうかとなだめられ、僕は前のめりになった体勢を立て直した。

 少しだけ冷静さを取り戻して朝見た夢のことを一通り話すと、ブライトは堪えきれないといった様子で肩を震わせた。


「っ……それで『僕を殴ってください』だったんだ……っっ……」


 頑張って笑いを堪えているのだろうけど、声が震えてしまっている。

 僕としては、不埒なことを考える自分を戒めるつもりで殴ってもらうつもりだったのですが。


「そんなに笑うことないじゃないですか」


 ジトリとした目を向けると、ブライトはとうとう我慢できずにふはっと吹き出した。


「ごめっ……ごめんって……ジルベルトって、ほんとそういうとこ真面目だよね」

「結婚前の女性の服を脱がそうだなんて、だめに決まっているでしょう」

「夢なんだからそんなに気にすることなくない?」

「ですが……そんなことをする軽い男だと思われたくありません」

「いやいやいや、君もう十分重い男だからね!? 大体さぁ、そんなこと言ったら君の中にいるアリーシャ嬢はどうするのさ?」

「アリーシャ?」


 なぜここでアリーシャが引き合いに出されたのかわからず首を傾げて見せれば、ブライトは呆れたような可哀想なものをみるような顔で言った。


「君と体を共有してるってことは、毎日着替えもお風呂も目にしてるってことでしょ? 彼女こそ結婚前だけどいいの?」

「そっ、そこはちゃんと見えないように目をつむったり目隠ししたりして、なるべく彼女の目に触れないようにしています!」

「目をつむったり、目隠ししたり……っ……ごめ、想像したら無理……あははっ……」


 こっちは至って大真面目なのに、笑われるなんて理不尽極まりない。

 抗議しようと口を開きかけたところで、自分の意思とは別に口が動いた。


「ふぁ…………おはようございます」


 もにょもにょと、今起きましたという声音が発せられる。

 どうやらアリーシャが起きたらしい。

 体を共有しているアリーシャは、目の前で笑うブライトを視界に収めて「ブライト様とご一緒でしたのね」と言うと、「何か楽しいお話でもしていましたの?」ときょとんとした様子で続けた。


 僕とブライトは「えっと……」と視線を交わした。

 さすがに今朝見た夢の話はアリーシャに知られたくない。

 絶対に言わないでくださいねという念を込めてブライトに視線を送ると、彼は笑いを苦笑に変えて僕の肩をポンポンと叩いた。


「いや、うん……ジルベルトもアリーシャ嬢も大変だねって話」


 そう言ってブライトは「じゃあ、本借りてくるから」と僕の横を通り過ぎて行った。

 カウンターへと歩いていく後ろ姿を見送っていると、ふよっと口が動いた。


「えっと? 結局何のお話だったのでしょう??」


 疑問符をたくさん浮かべるアリーシャに、僕も苦笑を浮かべるしかない。

 だけど、アリーシャはこの状況をどう思っているのだろう。

 毎日僕の着替えやお風呂を共にしなければならないという状況は、ものすごく精神的な負担を強いているのではないだろうか。

 ふと抱いた疑問に気づいてしまったら確かめずにはいられなくなった。


「あの、アリーシャ」

「はい?」

「僕と一緒の体で、その……いろいろ負担になっていませんか?」


 不安に思いながら尋ねてみると、口角が上がるのがわかった。


「負担だなんて……確かに最初はいろいろ戸惑いましたけど、今はこの距離感が嬉しい時もありますのよ。朝、一緒に剣の鍛錬をするのも楽しいですし、この状態ならジル様の目線でいろんなものが見れますもの」


 表情は見えないけれど、アリーシャの発した声は楽しそうに弾んでいて、少なからずこの生活を楽しんでいるのがわかった。

 僕なんて夢で見ただけであんなに狼狽えたというのに。

 本当、アリーシャにはかなわない。

 ほっとしたのも束の間、彼女から同じ質問が返された。


「――――ジル様こそ、この状況を負担に思われていませんか?」


 少し不安の滲んだ声に、僕は「いいえ」とやんわり首を横に振ってみせた。

 この不思議な状況に戸惑うことも多いけれど――。


「僕も、貴女と一緒にいられて毎日楽しいです」


 僕はそう答えて、僕の中にいるアリーシャに微笑みかけた。

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