第51話 卒業パーティー③

「…………………………は?」


 私もジル様も自分の耳を疑った。

 今、コーデリア様と結婚してほしいって言いましたの?

 聞き間違いかと思って聞き返せば、ライアン様は真顔で同じ言葉を繰り返した。

 どうして? ライアン様だってジル様には婚約者アリーシャがいるって知っているはずなのに。それに、ライアン様はコーデリア様のことが好きだったのではありませんの……?

 言葉の意図がわからず戸惑っていると、ライアン様が苦々しい顔をして補足した。


「言いたいことはわかってる! 別にアリーシャ嬢との婚約を破棄しろとは言ってないんだ。側室としてでもいいから彼女を娶ってもらえないかと、そう頼んでる」


 冗談を言っているようには聞こえない。

 ライアン様の苦痛に耐えるような表情から、何らかの事情があることはわかった。

 昨日、中庭でライアン様がコーデリア様の手を引いていたのを思い出す。あの時、何かあったのでしょうか。


「何か、あったんですか?」


 ジル様が問いかけると、ライアン様は片手で顔を覆って呻くように言葉を絞り出した。


「…………俺じゃダメなんだ。お前じゃなきゃ、彼女は救えない……!」

「救えない……? どういうことですか?」


 意味深なライアン様の発言に、ジル様の眉間にしわが寄る。

 詳しく話を聞こうとジル様が続きを促せば、ライアン様はここ数日のことについて話しはじめた。


「ここ数日、コーデリア嬢の様子がおかしかったんだ。話しかけても上の空なことが多いし、普段しないようなミスもたくさんしてた。いよいよおかしいと思って、昨日彼女を中庭に連れ出したんだ」


 どうやら昨日の逢瀬はコーデリア様から話を聞きだすためのものだったようだ。

 ライアン様は震えそうになる声を抑えて、心を落ち着かせようと大きく息を吐いた。


「俺、昨日コーデリア嬢に振られたんだ――――なんでだと思う?」


 そう問いかけたライアン様の瞳は悲しみに揺れていて、私もジル様も答えることができなかった。


「パッカー子爵が……コーデリア嬢の父親がさ。彼女の結婚相手にジルベルトを望んでるんだとよ」

「僕……ですか……?」


 突然出てきた自分の名前に、ジル様は掠れた声で反応した。

 一方で私は今までのコーデリア様の行動に納得した。

 コーデリア様がここ一年ほどジル様に積極的にアプローチしていたのはそういう事情があったのですね。


「コーデリア嬢さ、泣いてたんだよ。媚薬を使ってでもお前を落として来いって言われたって。父の命令には逆らえないから俺の想いには答えられないって」


 ライアン様が顔を覆う手に力を込める。その奥でライアン様はいっそう顔を歪めた。


「泣きながら俺に、せめて好きな人に自分の初めてをもらってほしいって……そう言ってきたんだよ……!」

「な……」


 私もジル様も絶句する。ふらりと足元がぐらついた。

 先ほどまで一緒に踊っていたコーデリア様の強張った表情に違和感を感じたのを思い出した。あの時、コーデリア様はどういうつもりで私とジル様の婚約の話を聞いたのでしょう。


『ライアン様なら、私を……愛して下さると思いますか?』


 あの言葉の真意を考える。

 初めてを捧げたいと思いつめるほどコーデリア様はライアン様を想っていた。そんな彼に愛し返されたいと、本当はコーデリア様もそう望んでいるのかもしれない。

 ジル様の口が動く気配がして、はっと我に返る。


「それで、ライアンは……コーデリア嬢と……」

「するわけないだろう! いくら好きだからって、あんな悲しい顔した女を抱けるかよ! ――――なぁ! どうしてお前なんだ!」


 激昂したライアン様がジル様の肩に勢いよく掴みかかった。


「……どうして俺じゃないんだ! ……頼むよ、ジルベルト。俺じゃダメなんだ……」


 行き場のない思いにライアン様が悔しそうに唇を噛みしめる。

 そんなライアン様をジル様はじっと見つめて、ゆるりと首を横に振った。


「すみません、ライアン。その頼みは聞けません」

「………………」

「僕は生涯妻はアリーシャ一人だけだと、そう決めているんです。コーデリア嬢を娶ることはできません――――託されても困ります」


 はっきりと拒絶の言葉を口にして、ジル様は額に浮いた汗を手の甲で拭った。

 私はふとジル様の行動に違和感を感じた。

 汗が出るほど暑い季節ではない。むしろまだ寒い季節だ。それなのに、ジル様の額にはまるで運動をした後のような汗がにじみ出ていた。

 何か嫌な予感がする。

 ジル様とライアン様はお互い何を言うわけでもなく無言で睨みあっている。険悪な空気がこの場を支配する。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 重い沈黙が続いた後、ジル様がふらりとよろめいて片膝をついた。


「…………ようやく効いてきたか」


 ライアン様の呟きに、何か思い当たったようにジル様がはっと喉元を押さえた。


「まさか、毒を……?」

「お前なら断ってくるだろうと思ってた――――解毒剤がほしかったら、俺の頼みを聞くんだ」


 ライアン様が口元に歪んだ笑みを浮かべる。その瞳の奥にほの暗い炎が宿っているように見えて、私はぞくりと身震いした。

 なに……なんて顔をしてらっしゃいますの……。

 まさかライアン様がここまで手段を択ばない暴挙に出てくるなんて。

 講堂を出る前にライアン様から渡されたグラスが頭をよぎる。毒を盛られたとしたらあの時しかない。

 綺麗に飲み干してしまったのを思い出して青くなる。

 毒が回ってきたのか、ジル様は苦しそうに浅く息をついている。

 解毒剤はライアン様が持っている。けれどそれを貰ってしまったら、ジル様はライアン様の頼みを聞かなければならなくなる。

 やっぱり未来は変えられませんの……?

 ジル様とコーデリア様が結婚する未来を思い出して、絶望で目の前が真っ暗になった。

 例え側室だとしても嫌……でも、このままではジル様が……。

 何が最善かはわかっているはずなのに、心が受け入れられない。

 目の前の状況にただただ絶望するしかない私をよそに、ジル様の口が動いた。


「お断りします。僕は絶対、コーデリア嬢とは結婚しません」


 毒を盛られてなお、ジル様の答えは変わらなかった。

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