第2話 変化

 浴槽から立ち上る湯気が浴室灯に揺らめく。

 大人一人がゆっくりとつかれるバスタブに、服を着たままの青年が意識のない裸のケモ耳少女を後ろ抱きにして、いささ窮屈きゅうくつそうにつかってい


 不意に少女の右のケモ耳がピクピクっと動く。 

 

「…あたたかい」


 肌から感じる感触に意識が浮上してきたケモ耳少女の口から言葉が漏れた。

 静かに目を開け瞳に映されたのは胸までバスタブにつかる体と、足の間で揺らめく尻尾…。


「しっぽ…」

「気付いたか」

「えっ!?」


 後ろからかけられた声に一気に意識が覚醒し、手足に力を込めて立ち上がろうとして果たせなかった。


「わわわっ」


手足をばたつかせるが腰を青年の腕にガッツリホールドされていて、ただもがくことしかできない。


「こら!暴れるな」

「えっ!?えっ!?えっ!?」


 プチパニックを起こしているケモ耳少女に青年はため息をつき、を発した。


 「『静まれ』」


 それはつねの声と違うもの。直接耳から脳へ、そして身体へ届き支配するような鳥肌ものの甘美な呪縛じゅばく

 ケモ耳少女は動きをピタリと止めた。


「どうしてこうなっているか説明するから静かに聞け」


 ケモ耳少女は『したがわなければ』、という思いに支配されうなずきを返した。

 

「俺は其方そなたの依頼を受けた」

「依頼…?」

を助けて、と言っただろ」


 ケモ耳少女は助けを求めて彷徨さまよっていたことを思い出した。

 

「あーーーーー!!!」

「だから落ち着け!最後まで聞け!」

「うっ!」


 腰に回された腕に力を込めて引かれ息を詰める。

 

「一通り説明したら解放してやるから今は聞け!」

「…はい」


 ケモ耳少女は、青年の話を聞くべく静かに体の力を抜く。


「俺が依頼を受ける、と言った後で今の姿に変化へんげしたんだよ」

「へんげ…した…?」

「猫から人にな、ただ変化へんげしきれず耳と尻尾は残ったままだ。」


 自分が猫から人に変化したとは信じがたいことだったが、湯船の中の体と足の間で揺らめくが青年の言葉を裏打ちしていた。


「自分自身を助けてほしいのかと思ったら、『あの人を助けて』って言うし!変化へんげはするし!気絶するし!ケモ耳と尻尾はあるし!素っ裸だし!焦ったわ!」

「あ…なにかいろいろ…すみません…」


 青年の非常に焦った様子が言葉尻から感じられ、ヘコっと少女のケモ耳が横にしなだれる。


「でだ、気絶して抱き止めた体が異常に冷たくて、温めなきゃヤバい、と思ったんで浴室ここに運んで温めた」

「はい…」

「この体勢なのは気絶したままバスタブに入れたらおぼれると思ったからだ。ちなみに俺は服を着たままだ」

「ありがとうございま…す?」

「なんで語尾が疑問形なんだよ…」


 苦虫を噛み潰したような青年の声にはあきらめの感情がうかがえた。

 小さく溜息を吐き青年は先の言葉を紡ぐ。 


「ケモ耳と尻尾は仕舞っとけ」

「仕舞う???…どうやって?」


 ケモ耳少女にはわからなかった。

 人間の体にケモ耳と尻尾がある状態なんて初めてだったからだ。

 現実に思考が追い付いていかない。


「もしかしてケモ耳と尻尾がある状態になったのは初めてか?」

「うん…」


 問いかけに小さな声が返ってきた。


「はぁ…かよ…ある意味俺が見つけたのは必然だったのか…」

「???」

「今から腕をほどくからそのまま前にいって、浴槽のへりつかめ」


 ケモ耳少女が頷くと青年はゆっくりと拘束を解く。

 ケモ耳少女は後ろを振り返らず前に進み、浴槽の縁に捕まった。

 ザッと水面を揺らして青年は湯船から出た。

 

 ぴちゃぴちゃと濡れた足音が数歩聞こえ止まる。

 振り向くと浴室のドアの前にびしょ濡れの青年がたっていた。


「そこにあるシャンプーやらボディソープやら使っていいから、しっかり体を洗って出てこい。話を聞くのはそれからだ」


 青年の言葉に浴槽を見回すと、シャンプー類が置かれたラックが目に入った。

 ケモ耳少女の返事を待たず、青年は続ける。


「特に頭とケモ耳と耳と尻尾はよく洗え」

「ケモ耳と耳?」

「お前今耳四つあるぞ」


思わず手を頭にやる。

確かにケモ耳がある、で顔の横にも人の耳が…。


「四つっ!?」

「よく洗うんだぞ」


 言い置き、青年は浴室のドアを少し開け少女の視線から消えた。

 浴室から出たのではない。

 少女の視線から消えたのだ。


「えっ!?」


 驚いて思わず浴槽から立ち上がりる。

 青年が立っていた場所には、びしょ濡れの衣服とびしょ濡れで細くなった長毛種のお高そうな猫がいた。

 

「猫!?」

「なんで驚くっ!」


 ケモ耳に尻尾まである少女に驚かれるのははなはだ不本意な青年だった。


「仕方ないだろ、このまま出たら床がびしょ濡れになるの決定なんだから…つか、丸見えだが」

「あ…」


 ザッと慌ててお湯の中に身を沈めた。


「今更だがなぁ…」


 そういう問題ではない。

 意識がなくて見られるのと意識があって見られるのでは、お徳用カリカリと高級ブランドカリカリ程違うのだ。


「洗い方がわからないんならあらってやるが…」

「洗えます!自分で洗えます!!」


 あせるケモ耳少女の姿にふっと笑みをうかべた青年、もとい、乾いたら銀色の毛並みがモフモフのサイベリアンのような猫はドアのすき間から外に出た。

 程なく人の手だけがドアの向こうから伸びてきて、青年の着ていた服をピックアップしていった。


「着替え外においてくからな」


 声だけ残して浴室のドアは閉められた。





 




 

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