低反発の魔女

 むかしむかしあるところに『低反発の魔女』がいました。


 低反発の魔女は買われた身。

 乱暴な主人と夫人と息子に弄ばれる陰鬱とした日々を送っていました。


 気に食わないと頬を叩かれ。

 邪魔をするなと足を蹴られ。

 ノロマな女だと髪を切られ。

 特に理由もなく腹を殴られ。


 最初の内は抵抗していた魔女も次第に諦め、不平不満を叫ぶのではなく、どんな嘆き方をすれば早く終わるかを考え反応するようになっていました。

 いつもどこかから血を滲ませ屋敷内を歩く魔女を不憫に思う者はいましたが、助ける者はいません。


 庇うような真似をすれば次は自分が酷い仕打ちに曝される。

 誰か一人犠牲になっていれば周りに危害が及ぶことはない。


 我が身可愛さに口を閉ざし、むしろ魔女を虐げることで自らの安全を確保しているようでした。

 そんな薄情な周囲に冷ややかな目を向けながら、逆の立場だったら自分もそうする、と。

 落胆と納得半々の気持ちで新しくできた傷からの血を服の袖で拭き取りました。


 反抗する気は既に失せた。

 反発する気はもう潰えた。


 それでも憎悪は備蓄される。

 それでも殺意は蓄積される。


 積もりに積もる負の感情。

 溜まりに溜まる歪な衝動。


 心のグラスに注がれて、混ぜ合わさったドス黒い何か。

 それが縁から溢れる瞬間を、屈辱に堪え。

 まだかまだかと魔女は待ち望んでいました。


 最初の異変はありふれた怪我。

 魔女をこき使っていた給仕が一人、割れたカップで指を切った。


 ーーこれではあのみすぼらしい魔女のようだ


 軽口を叩く給仕の笑みは一日、二日。

 三日四日と重ねるうちに曇っていき。


 治っていない方がおかしいぐらいの日数を過ぎても治らぬ切り傷の有様と同じぐらい酷い顔色になっていました。

 ケガのせいで仕事も満足にこなせず、庇うように動かせば他の箇所に新たな傷を作ってしまう。

 ついに指は腐り落ち、一ヶ月待たずに給仕は魔女よりもみすぼらしい姿に変貌していました。


 それを合図に魔女の周りで起こる異変。


 庭師。

 執事。

 夫人。

 息子。


 怪我に。

 病気に。

 損失に。

 失態に。


 小さな不運も立て続けに起これば大きな不幸になる。

 会食の席で笑える失敗談も繰り返せば笑えなくなる。


 みんな最初は給仕と一緒。

 そして最後は給仕と一緒。


 今までの生活に支障をきたし。

 酷く無様に落ちぶれてしまう。


 周囲に威張り散らし暴力を振るっていた主人でさえ今は見る影もなく。

 それでも威厳を保つよう発せられる弱い声と非力な拳に魔女は、あぁ。

 自分の中に溜まった何かが、ついに溢れ出し始めたのだと悟りました。


『受けた仕打ちをゆっくりと仕返す』


 体を因果応報の鏡として相手に映す。

 心を自業自得の器として相手に戻す。


 本人ですら制御のできない力に即効性は無く、しばらく経たなければ発動しない。

 グラスに水を一滴ずつ、じっくり、しっかり。

 感情を混ぜ合わせるように溜め、許容量を超えた瞬間から流れ出す遅効性の祝詞。

 或いは、呪詛。

 どのぐらい溜まればいいのか、どれほどの効力があるのか、いつ終わるのか。

 魔女自身も把握していない。

 ただ一つわかるのは、発動までにかかる時間同様、仕返しはゆっくりゆっくり、満たされた感情入りのグラスが空になるまで。

 相手の人生に影響を与え続ける。


 良き行いには良い出来事を。

 悪い行いには悪い出来事を。


 虐げた分虐げられる。

 蔑んだ分蔑まされる。


 殴った分殴られる。

 罵った分罵られる。


 長く、長く。

 それこそ一生とも言える時間を費やして。



 二年後。

 誰もが病人か怪我人となった屋敷に魔女の姿はなかった。

 いつの間にか消えていたのはわかっていたが、それがいつなのかはわからない。

 今頃どこで何をしているのか、どこにいるのか。

 なんてどうだっていい。皆が皆それどころではない。


 月日が経っても続く魔女の仕返しに生きていることだけは理解し。

 自分達がしてきた仕打ちの罪深さにただただ嘆いてばかりでした。

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