DEVIL'S PARADE -CYBER DEAMON SAGA-

活動休止

Hydrophobia; Greyhound: Bloody Mary

――原作 鉄機 装撃郎『デモンズ・ペイメンター』――


 驟雨は去り、深紅に染まった月が顔を出す。赤い月光に照らされた魔都からは、あなぐらのろいの雨の止み時を待っていた魑魅魍魎の歓喜の声が聞こえる。


――執筆 藤井 機斎――


 2122年――。

 およそ半世紀前の世界大戦の爪痕を地球環境に残しながらも、なお人類は再び復興を遂げた。


――[鉄機斎規格]――


 ――白京バイジン。幸いながらも、戦火を免れた央華民国の一都市は、合法非合法を問わぬ避難民が殺到し、今や魔都として世界中に名を広めていた。ここには全てがある。悪徳も野心も呪具も電子も、一切合切が詰め込まれ、渾沌の城が築かれているのだ。


 建築途中で放棄された高層ビルにはけばけばしい原色のイルミネーションが、呪術的な文様を描き、点滅している。天高い月を背景に、人に翼が生えたような影が横切った。どうやら、有象無象の魍魎が飛び交っているらしい。


 雨上がりともなれば、白京バイジンの街路は商売人が幅を利かせる。出どころも怪しい数々の品々――生々しく血走った目玉が埋め込まれた咒子部品、魔導ドラッグ、加工前の魔的素材、電子演算素子、山羊頭の邪神像、そして自らを鬻ぐ者等々……。それらを横目で見やりつつ、ロングコートの男が歩く。


 一目で、軍人かそれに類する経歴の持ち主とわかる風貌だ。地獄の釜の底を覗いたといった陰鬱な眼差し、襤褸となった黒コートは裏地に呪文が著され、右袖は頼りなく揺れていた。器用に左手一本で取り出した煙草を咥え、そして火を入れる。緑色の炎――男の持つ金属製ライターが呪術的加工された一品である証左だ。


 男はくゆる煙をしばし眺めていたが、そこに何かしらの意味を感じ取ったらしく、また足を進めた。油断なく左右を見ているが、尾行を警戒しているというよりは、初めて訪れた街を確認しているといった様子である。しかし、その足取りには迷いはない。やがて、雑居ビルの地下へ通ずる階段へと行き着いた。


 階段を降りれば、そこは酒場だった。頽廃の色深い俗世と乖離した酒場には、古い時代のジャズが耳障りにならぬ音量で流されている。今どき珍しい、相当気配りの利いた店だ。初老の域に達しているであろうマスターが、カウンターテーブルの向こうでグラスを磨いていた。


「いらっしゃい」

「……」


 隻腕の男は何も返さず、ただスツールを腰の落ち着かせる場所として選んだ。落ち着いた低い声のマスターは、そんな訳ありそうな客の態度を気にも停めず、グラスを磨く手を止めた。


「なんになさいます?」

「ハイドロフォビア」


 強い酒だ。呪詛を孕んだ雨除けのまじないが施されたカクテルは、アルコール濃度も高い。神事に酒が清めとして用いられる一因だ。手際よく、そして奏でる音色に到るまで洗練されたマスターの手練は、とても場末の酒場で供される類のものではない。この老練のバーテンダーも戦争で人生を狂わされた一人なのだろう。マンドレイクの足の一部をミキサーにかけ、呪酒と氷を合わせ、シェイカーで撹拌する。


 やがて、シェイカーからグラスに注がれたのは、間接照明の仄かな光に自ら妖しく紅の光を放つカクテルだった。第三次世界大戦で地表を焼いた核の炎、そしてその後に訪れた魔導兵器の時代により、地球環境は科学的呪術的に汚れに穢れている。大気に溶け込み、体内にこびりついた呪毒を清めるように、男はカクテルをすすった。刺激的な味わいはハイドロフォビアの特徴でもあるのだが、喉に残る爽快感はただのハイドロフォビアにない。おそらく、マスターのオリジナルレシピだ。


「うまい」


 深く染み入る味に、男はため息まじりにこぼした。


「ありがとうございます」


 言葉少なな賛美にそつなく礼を述べるマスター。世が世なら、華やかな店で美技を披露していたであろう彼の腕が、ただただ惜しい。だが、隻腕の男がここに来たのは、なにも美酒に酔うためではない。


「これを、知ってるか?」


 懐から男が出した名刺大のカードを見た初老のマスターが、ほんの僅かに感情を顕した――が、即座にそれは封じ込められた。


「アヴァターラの刻印ですね。まさか、あなたが?」

「いや、下っ端から拝借してね」

「そうですか。それで、私に何を?」


 やはり、だ。呪術探知により見つけ出した、この街でアヴァターラという組織をある程度知り、更に身を焦がす憎しみを抱いている者――それが、この初老のマスターだった。


「コイツらに落とし前をつけさせたい、と言ったら?」

「………………ふむ」


 白髪の混じったマスターの重ねた年輪は伊達ではないらしく、もはや一切の感情を表層に噴出させることはなかった。だが、隻腕の男は確信している。必ず口を割る――。


「私には娘がいましてね」


 かつてロシア皇室御用達だったウォッカをグラスに注ぎ、グレープフルーツジュースを入れてかき混ぜるステア


 グレイハウンド。名の由来となった犬は狩猟犬種である。


「娘さんに乾杯」


 カクテルの意図するところを察した男は、マスターの物言わぬ慟哭を嗅ぎ取り、見知らぬ女性に哀悼の盃を掲げた。


「ありがとうございます」


 コースターにいつの間に仕込んだのか地図が描かれていることに気づいた。もしかすると、長年酒場で人間を見てきたマスターの職能は、隻腕の男の目的を察していたのかもしれない。


「お代は結構です」

「いや、そうもいくまい」


 隻腕の男はグレイハウンドを飲み干すと、店の唯一の出入り口に向かう。扉のノブに手を触れると、振り返る。


「次に来る時はブラッディマリーで祝杯をあげよう」


 アヴァターラの本拠地。遂に突き止めた。アヴァターラはセルフ・ペイメンターである元締めの力で拡大した組織だ。だが、恐れることはない。こちらもとうに身だ。


――[DEVIL'S PARADE]――


 今宵の百鬼夜行の予感に、魑魅魍魎の鳴き声が魔都に響く。

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