21.影の獅子

 ミカエラが妹に別れを告げた同時刻。

 グウィディオン城にほど近い、皇帝アルゴン・オルセンの宮殿には、ザントの姿があった。

 贅を尽くした回廊を、帯剣したまま進む。

 本来ならば許されるはずもない暴挙であったが、近衛このえたちは、それが影の獅子シュヴァルツレーヴェ隊長だと分かると、何も言わずに敬礼をした。

 ザントも軽く頷く。

 扉を守る近衛の兵士が、側近の到来を告げた。

 アルゴン帝の鷹揚おうような返事とともに重い扉は開かれ、ザントと入れ替わりに、何人もの侍女じじょたちが退室していった。


「陛下、お呼びでしょうか」


 豪奢な部屋に人がいなくなるのを待って、ザントがひざを折り、口を開く。

 ティマイオス帝国の皇帝は、ゆっくりと立ち上がり、自らの側近を見下ろした。


「まだクリスタルシードは見つからないのか?」


「……申し訳ございません」


 暴君として有名なアルゴン帝の叱責を受けてなお、ザントの表情は変わらない。

 言葉とは裏腹に笑みを浮かべた皇帝は、ゆっくりと部屋を横切り、遠く異国から献上された壺の前に立った。

 愛でるように縁に手を添わせ、見事な曲線をなぞる。

 そのままぐいっと手を伸ばすと、一抱えもある巨大な壺はゆっくりと傾き、美しく磨かれた床の上へと倒れた。

 陶器は千もの破片に崩れ、けたたましい音を鳴らす。

 それでも身じろぎ一つしないザントを、アルゴンは睥睨へいげいした。


「俺はあまり気が長い方ではない」


「……必ずや、陛下のお手元にお持ち致します」


 答えながら、わずかに口の端を歪める。

 侍女たちが無言で室内に現れ、壺の破片を片付けてまた退室するまで、ザントは膝を折ったままの姿勢を崩さなかった。

 やがて扉が静かに閉じる。

 執務用の椅子に座り、頬杖をついたアルゴンは、ザントの顔も見ずに話し始めた。


「我が国の科学技術テクノロジーと、セレスティアの古代魔法の力を宿したクリスタルシード。その二つがあれば、この世は容易く支配出来る。……いや、世界を創り替えることすら出来よう」


「その通りにございます。このザント、身命しんめいして」


「ふっ、期待しているぞ」


 お互いに本心を見せないまま、二人は芝居がかったやり取りを終えた。

 体を椅子から起こしたアルゴン帝は、肘掛けにつけられたボタンを押す。

 すぐさま現れた侍女たちに外出の用意を申し付けた皇帝は、華美な装飾の施された外套にそでを通した。

 己との立場の差を改めて理解させるため、未だひざまずいている側近を殊更に放置し続ける。

 しばらくして外出の準備が整うと、そこで初めてザントに視線を向けた。


「俺はこれからタルタロスの牢獄へ向かう」


「……捕らえた闇の魔道士のもとへ?」


「ああ、そうだ」


 ザントの燃え尽きた灰のような瞳に、初めて火種のような光が灯った。

 タルタロスの牢獄。

 魔力を遮断する神秘の牢獄には、すべての魔術を禁じられた帝国にあって、唯一の魔導士が囚われている。


「……ジルドレ・ラヴァル」


 神など信じぬザントでさえ、その名を呼ぶには神の許しを請わねばならなかった。

 煉獄れんごくの賢者、闇の魔導士、魔術技師。

 様々な異名を持つ魔導士の名は、無限とも言える罪を伴う。

 ザントの表情の変化を見て、アルゴン帝は口角を上げ、満足げに笑った。


「奴に面白いものを作らせる。これでエルンストも終わりだ」


 近衛を引き連れ、皇帝は部屋を出る。

 回廊に入るその時、アルゴン帝は足を止め、思い出したように言葉を継いだ。


「……それと、ミカエラの動向を常に見張っておけ。好き勝手にさせるな」


「はっ」


「ミカエラ……少しでも妙な真似をしてみろ。妹の命はないぞ」


 最後の言葉は誰に向けたものか。

 少なくとも彼に向けたものではなかった。

 皇帝が退出したのを確認し、ザントはゆっくりと立ち上がる。

 やがて彼は、来た時と同じように、誰にも止められることなく、宮殿を後にした。

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