冷たい床――フローリングに頬を付けている。なんだこれ。ぼんやりと目の前に見えるのはじわりじわりと広がっていく液体――ああ、これは血だ。

 後頭部というか、頭に酷い痛みと熱さがある。でも、頭以外はとてつもなく寒い。寒いと言うよりも、風邪をひいた時のような悪寒。昔、鉄パイプで殴られてアスファルトの上に転がってた時に似た感じ。あの時より、もっともっと酷いけど。あん時はマジで亮介居なかったら殺されてたかもな。

「あ、あんたが――あんたがいけないんだからねッエリナッ!」

 聞いた事のない女の声がする。え、つーかこれ――。

 ぐわんと視界が揺れる。そして、徐々に暗くなっていく。この時にはもう痛いとか、そういうのがすっと消えていた。

 部屋の中がうっすらと見える。壁、テーブル――椅子の脚。どこかのリビング――。

 そして蛍光灯の逆光で顔ははっきりと見えないけど、女が立ったまま見下ろしている。

「あんたが――あんたが――あの人と――」

 女が再びそう言う。そしてはぁはぁという荒い息づかい。それを最後に、目の前がついに真っ暗になった。

 あ、死ぬって多分――こんな感じなんだな。んで、これは多分――いや、間違いなく――。

「――…」

 すぅっと目が覚める。身体が少し汗ばんでいるけど、よく寝たせいか頭はちょっとすっきり。悪夢――?を見た後とは思えない。

 つうか、今の絶対エリナの最後の記憶だよな。なんだ、なんで見せたんだ?これがヒントなのか――?いや、これが呪いなんか?

 だけどまぁ、ひとつだけわかったことがある。さっきの女の声――あれ母ちゃんだな。そんな感じがした。

 そして、痛みと同時に――少しだけエリナの感情が流れてきた。それは、悲しみと怒り――負の感情。だから母ちゃん連れてこいって言ってるのか。これ、間違いなく母ちゃんに復讐したいとかそういうのだな。最後に大好きなママに会いたいとか、そういう話じゃないなこれ。謝って欲しいとか、エリナ――ごめんねッみたいなそういう美談の匂いはまったくしない。いや、殺した時点でもう美談なんかないか。

 復讐――。でも、それはしょうがないよな、殺されたんだから。殺したであろう母ちゃんにはまったく同情はできないし、他人に暴力を振るうってことは――同じことを自分にされても文句は言えないってこと。エリナを殺したんだろう、なら――例え殺されても文句は言えない。

 そしてそれはエリナにも言える。殺されて混乱してるんだかなんだか知らないけど、エリナは兄貴と兄貴の彼女を殺した。それは事実だ。どんな理由があれ、それはどうあったってチャラにはならない。

 もうエリナは死んでるから現世じゃ復讐できないってのも、わかってる。でも、おれが死んだらあの世で絶対復讐する。母ちゃんに殺されたエリナには少しだけ同情するけど、それとこれは別。何してやろうかなマジで。そもそも、死んだら全部繋がって会えたりするもんなんかね?

 でもまぁ今は――不思議とそんなにエリナが絶対許せねぇとかそういう感情はない。なんでだろう、さっきちょっと夢で合体したからかな。それとも、おれが生きてる内はどうこうならねぇってわかってるからかな。

 とにかく今は、兄貴の墓の前で報告したい。兄貴ができなかったこと、おれやったよって言って、泣いたりしたい。

 ベッドの脇で充電してるケータイを見ると時間は二十二時。呪われて、亮介と花ちゃんの肩と話して、そのあとヤマに会って――まぁちょっと疲れてたんだな。昼寝にしては少し寝過ぎてしまった感がある。

 不在着信履歴に西野という名前が残っていた。意外にもヤマからの着信は残っていなかった。まぁでも、それはそうか、かなり怒っているだろうしね。

 でも、今はそんなヤマのご機嫌を覗う暇なんてない。ご機嫌を取る暇なんてもっとない。すぐに西野に電話をしようと通話ボタンを遅うとしたけど、一瞬だけ躊躇した。

 いや――なんて、言おうか。多分、おれが自分の噂を色々聞いたって知ってるよな。まったくそのことに触れない方がいいのか、ちったぁ触れた方がいいのか。おれ知ってっけど別になんてことねー別にそれとこれはカンケーねぇスタイルでいくのか。

 ――よし、これはなんてことねースタイルでいこう。うん、実際そうだし。別に西野が悪女でも何でも、呪いを解くために必須って事には違いない。別におれの女ってわけでもねぇしよ。

 通話ボタンをいつもより少し強めに押す。軽いコールの後、また昨日と同じようなことになってねぇだろうなと思いながら西野が電話に出ること軽くを祈る。

「も、もしもし――」

 西野の声――。

「おうっす、すまん。寝てた。電話くれた?」

「あ、ああ――いえ。ちょっとその、色々あったから。迷惑かけちゃったと思うし」

「こちらこそだよ、本当に申し訳ない。ほんとヤマ――山下ってさ。すぐ暴走しちゃうような奴で。きつく言っといたから。もう平気だと思うけど、またなんかあったらすぐ――」

「色々と、私のこと――聞きましたよね?」

 西野が気まずそうにそう言ってきた。おれは変わらないなんてことねぇスタイルでいっていたけど、どうやら西野はそんなことないらしい。この問題をあやふやにせず、しっかりと踏み込んでくるスタイルらしい。そしてまた敬語スタイルになっている。花ちゃんもそうだけどさ、おれなんかにそんな丁寧な言葉遣いする必要ないんだけどなぁ。

「お、ああ――まぁ聞いたけど。別にまぁなんつーか、おれ達のやることには変わりなくないか?本当だ――とか、噂だから――とか、どっちでもいいし」

「――どっちでもいい、ですか。私の話を――噂を聞いて、本当に信用というか、一緒にやっていけるんですか?」

「いや、まぁ信用もくそもなくね?やることは変わらないってか、変えられないし、目的がはっきりと同じな分、裏切るもくそもねぇし。母ちゃん連れてかねぇと二人とも死ぬだけじゃん」

「――…」

 西野は少し黙り込んだ。少しだけ荒いような息づかいだけがやんわりと受話器から聞こえる。そして僅かな風の音――あれ?西野ってば家に居ないのか?

「一蓮托生だろ、おれら。例えば、西野が本当にね、言うようなまぁその、悪い女だったとしてさ――今のこの状態でなんのメリットがあんのよ。なくね?」

「言うような悪い――女ですか」

「まぁ――聞いた話だから、真相はどうでもいいんだけど」

「今実は――」

 しんとした部屋の中、その声が受話器からだけじゃなく、外からも聞こえたような気がした。

「市井くんの家に前に居るんです」

「――マジ?」

 その言葉に一瞬びっくりするというか、ドキっとして部屋のカーテンを開けて玄関を見る。おれの部屋は二階なんだけど、玄関の塀の外に、コンビニ袋をぶら下げた西野がおれの部屋を見上げていた。

「少しだけ、直接お話をさせてもらえませんか?」

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