Forget me not.

 地面の凹凸にあわせて揺れる馬車の中に座るのは二人の男だ。一人は肩にかかる黒髪を簡単に後ろで結わえていて、どこか優しげな表情の青年だ。その顔の半分は鱗におおわれている。もう一人は金髪を短く切り揃えた、どこか粗野な男で傭兵じみた服を着ている。

 黒髪の青年はどこか居心地が悪そうに上質な布で仕立てられたチュニックを指でつまんだ。

「トウヤ」

「……仕方ないだろ。俺、こんな上質な反物で仕立てられた服なんて着たことないし」

「でもお前はもう王なんだからいい加減慣れろよ。しかもただの王ならまだしも竜の王だぜ」

 その言葉にトウヤはむっ、と顔を歪めた。


 トウヤ・シュア・グレファス、と言うのが今の彼の名前だ。元々はただのトウヤなので名字がついているだけでもかなり居心地が悪いわけだが、加えて言えばトウヤは竜達の王である。

 竜と言う生命体に関しては様々な伝承があるが、その本質は体内のリン酸カルシウムを多分に含んだ組織、つまり骨が『鉱石』でできている生命体のことを指す。

 人間の体に変化ことも可能で――まあトウヤの場合はもっぱら逆なのだが――とても丈夫で硬い、異様な存在だ。


「竜は地上にいる種族の中で一番物理的に強い種族なんだぞ。その王となりゃ」

「陛下。ロベルト様の軽口に付き合うのはやめてください。その男は大法螺吹き男でございます。口を開けば権威だなんだと……ヒトならばまだしも竜がそのように何かを見せびらかすような恥ずかしい真似をなさるのはお止めください」

 御者が小窓を開けてそう言った。

「シエル! うるさーい! つーか前みて走れ!」

「私としては陛下がなさりたいのならば竜達は積極的になさるかと思います」

 シエルはトウヤの執事だ。何故御者も引き受けているのかはシエル本人のみぞ知る話である。青い瞳のこの執事も、金髪の護衛もどちらも問題児なのには変わりがないが。

「まあまあ、二人とも止めろよ。今日のはあくまで礼服だから着るけど俺は別に威張りたいわけじゃないからさ。ロベルトの言い分も正しいけどシエルの言い分も正しい。俺は威張るべきときに威張って、普段は暴走しないように手綱さえ握れてればいい……と思うけど」

「さすが陛下。聡明であらせられる。どこかの愛し子とは違って」

「おいシエル!!」

 シエルの侮辱に抗議するように叫んだロベルトの言葉は無視された。


 なんとなく三人も落ち着かないのだ。

 歴戦の勇者であり、トウヤよりも場馴れしたロベルトですらやや落ち着かなかった。理由は簡単だ。それは――。


 馬車の扉が開いた。

「降りるぞ、ロベルト」

「…………おう」

 ロベルトが降りてトウヤに手を貸した。それを無視してトウヤは軽やかに降り立つ。それは王と言うよりも戦士と言った立ち振舞いで。

 周囲の人々――尖った耳を持つ森の民、エルフはそんな竜に警戒するように距離を取った。

「お待ちしておりました」

 鈴が転がるような声に警戒したようにするエルフ達が、道を開いた。


 現れたのは一人の女性だ。

 白銀の髪が伸びる額に銀の枝で余れた冠を戴き、勿忘草の装飾が品良く施された純白のドレスを纏ったエルフはそっと客人に頭を垂れる。

「私はシルフィーリア・ディア・クラリス。お久しぶりですね、トウヤ……今は龍皇と呼ぶべきでしょうか」

 淑女達の見本であり、青紫の柔らかな瞳は慈悲に満ちていた。勿忘草の君と呼ばれるエルフ達の女王の言葉にトウヤも同じようにかしずいた。

「お久しぶりです、勿忘草の君。どうか私のことは親愛を込めてトウヤと呼んでいただければ」

「ふふ。そんな風に改まらないでくださいな。私たちは新たに同盟を組むべく集ったのでしょう?」

 そんな風にシルフィーリアは穏やかに笑った。


 ……にわかには信じがたい話だ、とロベルトは思う。だってそんな風に話すシルフィーリアの顔には一縷の憎悪もない。

 だからこそ、より脳裏に鮮明に思い起こされた。

 先日のトウヤの説明。つまり。


 シルフィーリア・ディア・クラリスの故郷は先々の龍の皇に、塵一つ残らぬように滅ぼされたのだと。


***


 その話に、嘘はない。

 シルフィーリア・クラリスの故郷は遥か昔、まだ神々の最中に因果が生まれていなかった頃、竜に滅ぼされた。


 ここグリーンパレスには一つの王国があった。

 名をユレグド王国。ユレグドと言う国王がこの地を治め、エルフと人間が共存する、豊かで細やかな国だった。

 シルフィーリア――シルフィは、この国の騎士だった。


 彼女は国王とエルフの女王とのハーフで、自らが王の剣となり生きることになんの疑問も抱いていなかった。

「ナルシア殿下。このような場所におられたのですか」

 夕陽の落ちる塔の上、お揃いの銀髪が風になびいた。

 腹違いの弟である王子はその言葉に優しく微笑む――その顔がうまく思い出せない。

「シルフィ。お前は私の騎士のままでいいのか?」

「はっ。私は今の立場で満足しております。殿下のお側にいれるのであれば、それだけで」

「……でもボクよりお前の方がずっと、政に長けてる。ボクはそう言う駆け引きは苦手なんだ……姉上」

 なんで思い出せないんだろう。

 貴方のその顔。その声。忘れてはならないのに。それでもシルフィーリアは笑った。安心させるために。

「殿下は心優しい主君であられる。きっと、よい国を築かれるだろう。それにこの国には世界樹がある。あれは諸刃の剣です……使い方を誤らないためには私のような武勲一直線の主君より、それにより被害を被る民のことを思われる殿下のような方がよろしいかと」

 彼はクスリと笑った。

「……お前がそう言うのならそうだろう。シルフィーリア、私の背をこれからも頼むよ」

「貴方が私を望む限り、私は貴方の為だけに剣を振るいましょう」

 彼はトン、と軽やかに着地してそれからふと、いたずらっこのように笑った。

「この事は父上には言わないでくれ。弱気になってると絞られるのは勘弁だから」


 そうやっていつも貴方は笑う。

 私は騎士だからなにも思ってない顔で、少し微笑んでそれを愛しく思う。いつか貴方が王妃を迎えて、私が近衛騎士になり、私の長くて、国の終わりを見届けるよりかは短い寿命で貴方の孫まで貴方のことを語り継ごうと。


 思っていた。


 国が燃える。

 貴方と遊んだ勿忘草の原っぱが赤く燃える。

 こっそり遊んだ町が。城が。

「シルフィーリア」

「……殿下!!」

 聞きなれた声に振り向けばその濡れの殿下がそこに立っていた。

「殿下! しっかり」

 してください、と言おうとした言葉は力強く捕まれた腕に遮られた。

「シルフィ……鍵を、使いなさい」

「は?」

「この国は、私は、もう無理だ。なら、君が女王となり民を守るしかない」

 どう言うこと? 無理?

 そんなはずはない。だって貴方は王だ。


 凍りついた声は凍りついたまま。冷たい手が、骸の手がシルフィーリアを抱き締める。エルフとしての拒絶感と人間としての哀しみが胸を締め付ける。

「姉上……愛していました。貴方が」

「……殿下?」

 冷えた骸が地面に落ちた。

「殿下? でん……なる、しあ! ナルシア!! なんで! なんで死ぬんだ!! おい! なんで――……あ、ぁ」


 彼の歩いてきた道にはロイヤルガードの冷たい骸だけが転がっていた。シルフィーリアは立ち上がる。

 どこにいくべきなのか。

 何をなすべきなのか、分かっていた。


 裏庭の真ん中。聖なる鉄で閉じられた、開かぬ聖樹の扉。シルフィーリアは冷たい感情と共にそれを見上げていた。

 聖樹。それは世界樹ユグドラシルのことだ。

 この国の中央にあり、誰も触れられぬように結界を張られている。王子または王女の一人がエルフから生まれるのはこの樹の結界をほどき、有事の際には国民ごとエルフとなし、悠久の園に引きこもるため。

 それが、今日だ。

 決して鍵を絶やさぬと数百年。


 ずっと、シルフィーリアはそれが嫌だった。

 だってそれは国を滅ぼすのと同じだ。今で言うならば核爆弾のスイッチをずっと持ち続けるのと同じ。

 鍵であるのがナルシアなら。

 彼女はそれを望み願い祈り続けた。騎士で死ねたのなら良いと。


 シルフィーリアは冷たい鉄の扉に手を当てる。簡単には開かない。けれども。

「シルフィーリア!」

「黙れ、セリューン!」

 後ろから現れた薬師に忠告を飛ばす。彼女は力一杯、扉を押した。

「開け――!!」

 逃げてはならない。

 この宿命から、この運命から逃げるのは、幸福な日々を否定するのと同じだ。シルフィーリアは騎士だ――それをよしとはしない。

「私はッ」

 私が誰か。

 私は誰か。

 それを証明して、叫び続けてきたのはシルフィーリア自身だ。だからこそまた、問わねばならない。


 今ここで扉を開くのは誰なのか。


 弟を殺された可哀想な人間の第二皇女様?

 人の国に捨てられた可哀想なエルフの次期女王?


 どちらも煩わしい。

 だとしたら私は誰なのか。私は。


「私は……シルフィーリアだ。私が誰であろうとも、私は、シルフィーリア・クラリスッ!! 次期白銀の樹妃! だからこの扉を、とっとと開け!!」

 その叫び声と共に扉が開いた。まばゆい銀色の光が祝福のように降り注ぐ。シルフィーリアはまっすぐに一歩、踏み出した。

 ナルシアからもらった、勿忘草の髪飾りが床に落ちて泥に濡れた。


 人であることを止めよう。その暴虐性を憎むのはつかれるから。エルフであるのも止めよう。その程度の長寿では、貴方を待てない。この星を、守れない。


「――ひざまずけ」


 シルフィーリアの言葉にエルフ達が頭を垂れた。中央にある銀でできた樹の幹に手を翳す。その瞬間、額に銀の月桂冠がはまった。

 分かっていた話だ。シルフィーリアは、とうの昔に選ばれてる。

「“時は満ちた。白銀の枝よ、約束をなそう。その腕を伸ばし、敵を凪払え。私の愛を最果てまで伸ばせ。降参したものを迎え入れよう。そうでないものを殺そう。私は、シルフィーリア。シルフィーリア・ディア・クラリス――勿忘草の君と、いずれ貴方達が呼び、崇める存在です”」

 その宣言と共に、攻めてきた竜達がどうなったのか。シルフィーリアはもう、微塵も興味が持てなかった。


「良かったのか」

 そばに立つのは翡翠の髪を持つ薬師のエルフでありシルフィーリアの補佐役だ。彼、セリューンの言葉にシルフィーリアは慣れたように笑みを張り付けた。

「何がかしら、セリューン」

「竜との同盟だ」

 セリューンが何を言いたいのか知りながらもシルフィーリアは知らないふりをする。

 紅茶の淡い柑橘系の香りが空気にほどけては消えていく。銀髪のエルフの女王、シルフィーリアは心ここにあらずと言うように遠くを見つめていた。

「…………星が何度も巡ったわ。人も竜も変わった。それに彼は人の子。私が恨む理由も憎む理由もない」

「だが罪が憎ければ人が憎く、親が憎ければ子も憎いだろう。例えそこに因果関係はなくとも、同じというだけで憎いはずだ」

「けれども憎みません。それは、私の役目ではない」


 勿忘草が手のなかで揺れた。この髪に着けた勿忘草はあの日から変わらないのに。私は変わらないままでいられてるかしら。

 貴方の声を、覚えていられるかしら。


 そして、私を、忘れないで、いられるかしら。

 人として生きた日々を。エルフであることを悩んだ日々を。忘れられずに、覚えたまま生きていけるかしら。


 答えは、知らない。

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