第17話 出馬の打診 損得勘定からの説得

 さて、宇野市議選の話に入ります。

 宇野市の市議選は一斉地方選の時期に行われる。先程述べたとおり、私が岡山市に戻ってきたのは2016年の9月。次の宇野市議選にはまだ時間がある時期。もし立候補するとするなら、2年半の期間がある。

 とはいえ、帰ってきてすぐにそんな話が出たわけではない。なぜならその時期、永野さんは体調を崩して入院していたからだ。退院されたのが、その年の10月半ばだと聞いているが、詳しいことはわからない。

 ただ言えるのは、永野さんは2012年の丹生候補の県議補選のからみで丹生さんにいい印象を持っていなかったこともあり、丹生さんから手伝って欲しいと言われたものの、入院を理由に断ったとのこと。

 もし入院していなければ、何だかんだ言っても、まとまった金が入るとなれば、常木の意向に関わらず選挙参謀で入ったかもしれないところではあるが、そのことを永野さんに聞くと、いや、入院していなくても丁重に断っていたと、きっぱり明言された。結局丹生候補は先ほど申しあげたとおり、ダブルスコアの差で大沢候補に敗れたのだが、その投開票日の夜、退院間もない永野さんは、自宅で盛大に祝杯を挙げた。

 もっとも、その酒を購入した金の出どころたるや、2日前の金曜日に岡山市に出向いた折に会った、私の先輩でこの十数年来お世話になっている司法書士と行政書士をされている方に、帰りのバス代とは別に「快気祝を兼ねたカンパ」と称してもらった5000円が元手だった。


 その選挙の後、11月の半ばごろだったと思うが、突如、私の元に永野さんが電話をかけてこられた。ちょうど日曜日の朝で、さあいよいよプリキュアが始まろうかという頃だった。その回の放送は、この年のプリキュアのいよいよクライマックスに向けてという内容面で重要度の高い回だったこともあって、いったん電話を切って、1時間後にこちらからかけなおした。

 まあ、そういうことが度々ありまして、日曜朝は携帯電話の電波を止めているのです。もっとも、電源をオフにするのではなく、電波だけオフラインにしている。

 プリキュアをテレビで見ながら、こちらの携帯で、裏番組の野球ニュースをこちらで見ているのですけどね。


 その翌日月曜日の夕方、私は例の「くしやわ」に呼ばれ、永野さんにお会いした。


「米河君、作家稼業もええけど、そんなに売れていないだろう。そこでじゃ、あんた、次の宇野市議選に出てみたら、どうや?」

「なぜまた宇野市議選に?」

「宇野市の野玉学区じゃが、あそこは次の選挙でベテラン議員が引退する。あんたは知らんかな、元総理の橋田龍一郎の秘書をしとった大谷大さん。息子さんらはとっくに大阪や東京に行ってしもうて、帰って来てくれ言うたところ、誰が帰るか、って感じや。それどころか、大谷さんに、息子さんら、そんな家も財産も要らんからなとさえ言っておる。なんせ、長男が大阪で弁護士やっとって、下らん相続のネタなどいらん、わしゃ乞食じゃねえ、なんてな。次男は東京で医者やっとって、こっちも自分の病院出したから、そんなもん、いまさら帰れるか、って調子じゃ。まあ、息子さんらはええとして、誰でもええから後継を、と思っても、それが見込めんのよ。ついでに言えば、隣の井田学区は、協産党の田宮謙二さん、まあ、わしが子どもの頃からよう遊んでもらった、2歳上の、それこそあんたのお母さんと同じ年になる先輩じゃけど、議員はあの人だけじゃ、人柄もええし、宇野市のために一所懸命やってくれているから、協産党嫌いの人でも田宮さんだけは、という人は結構おるけど、いかんせん協産党だからな、田宮さんには入れたくない人もおる。幸い、創明党の力はそう強くないからね、あの地域。じゃから、あんたをいわゆる「落下傘候補」で擁立したら、当選の目は十分ある。あんたが岡山県を心底嫌っているのはわかっとる。幼少期に岡山市の養護施設の生活を「押し付けられた」ことも知っとる。宇野市は、そうではないから、いいかと思うが・・・」

「確かに岡山県を今も許してはおらんですが、私は岡山市に対しては、そこまでの恨みはありません。ただし、岡山県内で私の基準で言う『人間の住めるところ』は、岡山市中央区の中心部だけですよ。要は、自家用車のいる場所は、私の住める場所ではありません。まして宇野市ともなれば、井田地区もそうだが、まして野玉地区など、日中30分に1本、特急バスが止まるとはいえ、とんでもないところですがな。何か、勘違いしておられませんか?」

「まあ、そう言いなさんな。あんたにクルマの免許取れとは言わん」

「運転免許など、死んでもとりません。そんなものがいるような場所に居住する気は、金輪際ありません。自動車は、死んでも買いません。どうしてもと言うなら、よほど稼いで運転手付き高級車か、さもなくば、公共交通機関を除き自転車一本。中間は、なし。武士に二言は、ありません! そこを何とかなどとしつこく絡む無礼者は、無礼討ちするまででして、これは、武士の習いであります!」

「それはわかっておるが、わしが土下座しても、駄目か?」

「当たり前です。江本六月(民社連元代表の前参議院議員)や井沢五郎(O1区選出の衆議院議員)が雁首揃えて土下座しても、豊田創業家やカルロス・ゴーンにナンボ、ゼニ積まれた上に土下座されても、固くお断りです。これはこの際、はっきり申しておきます」


 この、「誰誰が土下座してもしない」という公式、私のある意味お決まり文句みたいなものなのだが、それをある程度見越して、永野さんはこんなことを言ってきた次第。

 「免許を取れとか、クルマを買えとか、言わん。そのあたりは、北林あたりに運転手させてやったらええ。ついでに言えば、タクシーをうまく使えば、クルマ持つより安全で安上がりなんと違うか? まあ、あんたは田舎の空気の旨さなど何の評価もせん人間であることはわしも重々承知しておるが・・・」

 「ええ、東京程度の空気も耐えられんようなら、私は、人間を即刻辞退させていただきます。まだお分かりになりませんか? 私がそういう人間であることを」

 永野氏は、さらに説得らしき弁を並べ続ける。


 そんなことは重々承知のうえで、言っておる。あんたに婿養子の縁談を持込もうとした、どっかの低民度田舎の「ボンクラアホウ玉」風情と一緒にしなさんな、このわしを。

 まあ、待ちんさい、宇野市の議員報酬、岡山市ほどではないが、それなりにある。少なくとも4年間は、しっかりした収入が確保されるし、地位と名誉もある。

 今のあんたには縁がないかもしれんが、岡山市の福祉事務所にでも行って聞いてみ、生活保護の仕組みと支給基準を。その仕組みなんじゃがなぁ、医療費なんかは別として、金として目に見えて支給されるのは、大まかに言って二通り、生活費補助と家賃補助に分かれておる。生活補助費は市町村ごとに決まっているが、問題は、その決め方。国が決めておるわけだが、その自治体の物価によって何段階かに決められておる。それを各自治体の実情に合わせて適用させている。級地を3つに分け、それに1と2がそれぞれあって、それで6段階じゃ。家賃の補助は、これとは別に各自治体によってきまっとる。生活費の級地の話じゃが、例えば東京都23区や大阪市や神戸市のような大都市やその周辺の自治体は1級地の1、広島市や福山市、姫路市や明石市のような街が少し落ちて1級地の2、高松市や大津市のような地方の県庁所在地やそのレベルの街が2級地の1、加古川市や高砂市のような郊外の市やそれに近いところは、2級地の2、さらに地方に行けば、人口の少ない地域ならいくら中心地となる市でも3級地の1、そしてぶっちゃけ、田舎のナントカ村なんかは、3級地の2。そんな感じで、6段階に分かれておるが、一番上と下では、1月あたりでも数万円の差はある。ちなみに宇野市は、6段階中の4番目、2級地の2でな、岡山県内では、岡山市やK市が1級地の2じゃ。ただ、そういうところは、まず大都市部だからな、議員報酬も県議並にあるが、その分、議員になるのは厳しい。ちなみに津山市は、岡山県北の中心地でありながら、3級地の1でなあ。岡山県内のほとんどの自治体が、3級地の1か2で、岡山市、K市、それに宇野市だけが1級地か2級地というわけじゃ。

 議員報酬はこれと必ずしも連動はしてないかもしれんが、ここから考えても、宇野市の市議が何だかんだで、それなりの報酬が出ることは予想できんかな。

 いくら野玉地区があんたの思う「僻地」であっても、宇野市にある以上、生活保護基準は宇野市の中心部と一緒じゃ。あんたがそれなりの地位と名誉とまとまった金を得ようと思うなら、まさに「ねらい目」の自治体じゃし、その足場にする上で絶好の地じゃねえかな? この際、野玉や井田の、なあ、ぶっちゃけ、あんたの言うところの「低民度の田舎者」とやらを、うまいこと騙し込んで、議員やって金と名誉を確保したら、ええのと違うか。宇野市内に遊び場も飲める店もねえと思うなら、バスで1時間もすれば岡山市にも戻れるし、船で1時間か、多少列車で大回りになるが、それも大体1時間もあれば、香川市の繁華街まで出られる。そうすれば、うっかり宇野市の知合いに会う可能性もそれほどなかろう。


 この時点で約4年間のお付合いのあった永野氏、早稲田大の同窓生の常木岡山市議あたりからもどんな人間かを聞いている。私がどのような思考をし、それに連動してどのような言動をするか、おおむね判っているからこそ、この「オファー」はある意味、私の人生プランにおける「損得勘定」に照準を合せて述べて来られたわけだ。

 とはいえ、それで、はいそうですかと、私としても言うわけにはいかない。


 「それでこの私に、そんな「僻地」で死に失せろとでも仰せですか?」

 もちろん、この程度の質問に永野氏が答えに詰まることなどない。


 そんなもん、任期が終ったら、ため込んだ金でどこへでも行けばええがな。ついでに事業を興すもよし、遊び暮らすもよし。そこまでわしはあんたを縛る気はねえ。

 常木の師匠筋の、東京の北村山市議をしていただろ、デスマッチ議員で有名だった「ふくやひろむ(福家弘)」さん。あの人は北村山町が市政に移行する前に町議に出て当選して、それから市議になって8期、正味30年ほど北村山で議員をして、その後はどうしたかと言えば、東京都23区内に転居して、地方政治に絡むアドバイザーをされていた。君も、常木が岡山市議会の副議長の時、ふくやさんにお会いしてレクチャーを受けただろう。まあ、市議を3期もすれば、それなりのことはできるようになって、名前も知れ渡る。そのあとは、ふくやさんみたいな形で生きていくのも手じゃないかな。

 そうじゃのう、あんたはクルマも運転免許も持ってねえし、持ったこともねえ。ここは一つだな、うまいこと逆手にとって、政策を作ってみたらどうなら。クルマを持たず、免許がなくても、年を取って返納しても、この宇野市で生活できるような「政策」を準備して、公約に出したらええ。住友のネコみたいに、高級外車を乗り回しとるのが、選挙が近づいたら軽バンに乗って庶民を装うようなどこぞの阿呆玉議員とは違うことが有権者に思いっきりアピールできるで。

 さすれば、高齢者やその家族の票、しっかり得られる。

 宇野市議は、まあせいぜい1000票少々もとれば十分当選圏じゃ。

 もう一つ言えば、公共交通機関、宇野市ではJRは仕方ねえが、バスとタクシー、これが目の付け所じゃ。この二つを整備すれば、必然的に人が要る。そこで「雇用」を増やせる。そのバスやタクシーで高齢者が行く店なんかを作ったり誘致したりすれば、そこでまた雇用が確保できるし、商店街の再活性化ということで、自営業者を創出することもできよう。そこに来るのは何も、宇野市民だけじゃねえ。列車やバスやクルマに乗った岡山や倉敷の人らも来てくれようし、宿泊施設もうまいこと整備すれば、市外、県外からも人が来てくれる。そこまでのグランドデザインをうまく描き切って、な、その軸となる地域公共交通の拡張政策やタクシー利用政策を整備して、「高齢時代の脱クルマ社会」を宇野市から目指す、とかなんとか銘打って、選挙に出る。その政策がある程度でも実現できれば、ゆくゆくは全国の自治体のモデルケースにできる。

 そうなれば、あんたは地方活性化の旗手として、全国から注目される存在にもなるし、各地の自治体から議員や職員の視察も来る。あんたはこんなチンケな街に埋もれるどころか、それこそ、掃きだめから鶴になって、世界に飛び立てようものじゃ。

 続きはあるが、まずはこのあたりまでにしておこうか。

 こんな流れで、どうかな?

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