第19話「恋は狂気にして凶器にて」

 チユリはパニックになっていた。

 今どきは、小学生でも知っている……。これは昔、機械大戦ファクトリーウォーと呼ばれる戦争があったからだ。

 だが、目の前に禁忌きんきが実在している。

 メリアの右腕は今、高出力のレーザーかなにかを照射する武器になっていた。ロケットパンチとかドリルとか、そういう洒落しゃれのわかるやつじゃない。人を殺傷可能と思われる、禍々まがまがしくも洗練された兵器の姿がそこにはあった。


「あ、え、ンンンン! ……おうっ! メリア、逃げるよっ!」


 咄嗟とっさにチユリは立ち上がると、メリアの手を握って走った。

 メリアはただ、黙ってついてくる。

 どうやら彼女自身、自分がやったことに驚き戦慄せんりつしているようだ。そして、チユリの握る手は……メリアの右腕は、冷たい金属の感触を伝えてくる。

 人混みをかき分け、無我夢中むがむちゅうで走った。

 息切れして立ち止まった時にはもう、メリアの手は元に戻っていた。

 だが、しっかり握ってやっても、震える手は握り返してこない。


「メリア、大丈夫? ちょっと休もうか」

「は、はい。……あの、さっきのは、わたしっ!」

「ちょい待ち! ほら、落ち着いて。大丈夫だよ、あたしもビックリしたけどさ」


 気色けしきばんだメリアを落ち着かせるように、握る手にさらに手を重ねる。

 真っ直ぐ目を見てうなずくと、メリアも少しだけ気持ちを落ち着かせたようだった。

 彼女自身が驚いているということは、やはり知らなかったのだ。自分の肉体にまさか、あんな恐ろしい機能があるなんて。

 周囲は駅を少し離れて、下町の商店街だ。

 人通りは多いが、チユリたちが目立つようなことはない。


「えとさ、メリア。まず……ありがとっ!」

「ほへ? い、いえ、わたしは……どう、いたしまして?」

「そう、感謝だよ。だって、助けようとしてくれたんじゃない?」

「……ちょっと、ううん、全然違う、かもです……わたしはあの時」


 やっぱりメリアは、素直な女の子だ。

 嘘が付けないのは、彼女がアンドロイドだからじゃない。メリアは、自分自身の誠実さや実直さで向き合ってくれるのだ。

 メリアは自分を落ち着かせるように、小さく深呼吸した。

 そして、そっとチユリの手を離す。


「わたし、さっき……カッとなってしまいました」

「いやいや、普通にあるよ、そゆの」

「こいつっ、チユリに乱暴したなっ! って思ったら……こ、この手が、勝手に」


 メリアは震える手を見下ろし、そのままうつむいてしまった。

 キュムと噛まれた下唇したくちびるが、凍えるようにわなないている。

 恐らく、一番怖かったのはメリアだ。自分の身体に、とんでもない機能が埋まっていたのである。そしてそれは、メリアが感情的になった瞬間に顕在化けんざいかした。

 そして、内蔵された武器は明らかに違法で、他者を傷付け破壊する以外の用途がないものに思えたのだ。

 だが、チユリは自分を奮い立たせる。

 勿論もちろん、チユリも怖かった……だが、攻撃的な一面を持つメリアよりも、メリアに恐怖を感じた自分に負ける方が怖かった。


「ね、メリア。あたし、黙ってたことがある。実はさ、メーカーからメールが来てたんだ」

「それは」

「あたしのナギ様、っていうか、本来の恋人と入れ違いになって、メリアが家に来たでしょ? そのことでメーカーに問い合わせてたんだ」


 チユリは正直に、全てを話した。

 メリアがなにも隠さない、怯えさえも取りつくろえない今だから……自分も全てを明かすべきだと思った。それに、情報を整理して事実を確認すれば、きっとお互い少しは安心できる筈だ。

 メリアは、自分の製造履歴がないこと、何割かのパーツは正規ルートで鍛造されたことを知り、驚いた様子だった。


「でね、メリア……あたしも驚いたし、怖いなって思った。でも、それだけ」

「それだけ、って」

「こういうのって、。特にゲームや漫画だと、世の常じゃん?」

まれに、よくある……矛盾した文法です」

「だね。でも、怖い武器が入ってても、出自が不鮮明でも……メリアはあたしの彼女で、あたしはメリアの彼女だよ?」


 本音の本心だった。

 そうありたいと、祈るような気持ちが言葉になった。

 だが、やはり怖い……メリアの背後に闇を、それも大きな底しれぬ暗黒を感じる。その存在が今、メリア自身をも飲み込んでしまうかのようだ。それくらい、今の世の中で武装したアンドロイドというのは特異なのだ。

 あってはならない存在。

 でも、側にいてほしい。

 それがチユリにとっての全てだった。

 さて今度はどうしたものかと思った、その時だった。


「あら? まあまあ……チユリさま、そしてメリアさんではありませんか」


 ふと、おっとりとした声が二人に投げかけられる。

 振り向けばそこには、和服にエプロン姿のサクラが立っていた。ご丁寧ていねいに、手にはクラシカルな買い物かごを持っている。そこだけセピア色、大昔の昭和な映画に飛び込んでしまったような雰囲気だ。

 サクラは二人を交互に見やって、小さくモーター音を響かせながら首をかしげた。


「なにか、おこまりですか?」

「あ、いや……サクラさんこそ、一人でどうしたの?」

「おふたりがいらしてくださるときいて、おもてなしのおかしを」

「あ、もしかして……和菓子?」

「ええ。オススメのおみせがあるんです」


 なんというタイミング。

 多分、先程メリアと一緒に見つけた店のことだ。

 そこから今、てんやわんやで逃げてきたばかりである。

 かといって、事情をすぐに話すのも躊躇ためらわれた。他ならぬメリア自身が、黙りこくったままだから。その瞳がうるんで揺れているのを見て、サクラは再度逆側に首をかたむけた。

 だが、酷くわかりやすいモーションで、サクラはポン! と手の平を拳で打った。


「なにか、じじょうがおありですね? わかりました」

「サクラさん?」

「しょうしょうおまちを」


 サクラは着物のそでから携帯電話オプティフォン?を取り出した。

 二つ折りのそれを開いて、ゆっくり確認するようにボタンをプッシュしてゆく。

 アンドロイドなのにガラケーかよ! などと普段なら突っ込むのだが、今のチユリにその余裕はない。サクラの携帯電話は本当にアンティークそのもので、今は博物館でしか見られないような旧型だ。

 サクラがダイヤルしたのは、夫のソウジのようだ。


「ソウジさん。はい、ええ……ちょっと、おくれます。はい、わたしはだいじょうぶです。いまちょうど、チユリさまやメリアさんとばったり……ばったり? ええ、ちょっとおくれます。わたしはだいじょうぶです」


 時々コマ送りみたいに止まってしまうが、どうやらサクラは気をつかってくれたらしい。通話を終えると、こちらに向き直ってニッコリと微笑ほほえむ。


「すこし、おはなししましょう。こういうのは、たしか、ガールズトーク……というものですねえ」

「えっと、その……そうだなあ。アンドロイドの知り合いなんて少ないし。ね、メリア」

「……はい。わたしも、その……なにをどう話していいか」


 サクラは、とても古いアンドロイドだ。ゆうに百年近く稼働している、今ではめったに見られないタイプである。それを如実にょじつに現す大きな頭部デバイスが、今日もピコピコと点滅の光をまたたかせていた。

 彼女にうながされ、チユリは歩き出す。

 そして、ふと気付いて後ろのメリアを抱き寄せた。

 少し驚く彼女の肩を抱き、大事なことをサクラに伝え忘れていたと気付く。


「ねね、サクラさん」

「はい」

「わたし、前にメリアのこと家族って言ったけど……今はもっと親密なんだ。深い仲、ってやつ?」

「まあ……まあまあ、まあ! おせきはんお赤飯、たきましょうか」

「にゃはは、照れるにゃあ。でも、ちょっとアクシデントがあって。サクラさんみたいな経験豊富なアンドロイドに相談に乗ってもらえるの、ラッキーだよ」

「おちからになれればいいのですが」


 シュンとしてしまったメリアは、なんだかいつもより身体が冷たい気がした。おひさまを抱き締めてるような、じんわり染み込んでくるぬくもりが感じられない。

 そして、やんわりとメリアはチユリの腕をどけてすり抜ける。

 自分から離れる彼女に、チユリもかける言葉が見つからない。

 元気付けたいし、励ましたい。

 でも、同時に……不安を感じて躊躇ちゅうちょしてしまう。

 突然の異変を抱えて、恋人が落ち込んでいるのに。それなのに、どう踏み込んでいいかを考えてしまう。人間にはありえないことだからこそ、つい慎重になってしまうチユリだった。

 運命のいたずらが、そんな二人にさらなる試練をもたらす。


「いきつけのパーラーがあるんですよ。わたしは、クリームはだめなんですが」

「う、うん。あ、これね、いつものお野菜」

「あら、いつもありがとうござい、まっ――!?」


 野菜を入れた手提げ袋を渡そうとした、その時だった。

 不意にガクン! と、サクラがなにもない場所でつまずいた。本当にもう、目に見えない段差があったかのようだ。

 すぐにチユリは、土産の野菜を放り出した。

 サクラは旧式ゆえに、時々動作が不安定になる。

 転びそうになった彼女を、全身でチユリは抱き止めた。


「っとっとっと、大丈夫?」

「す、すみません……おもい、ですよね」

「ずっしりとね。でもほら、プログラマーの基本は体力だし」

「たすかりました、ああでも、おやさいが」


 振り向けば、メリアが手荷物を受け止めてくれていた。

 だが、様子が変だ。

 身を寄せ合うチユリとサクラを見て、彼女は目を見開いている。そこに普段の優しい光はなく、まるでカメラがフォーカスを合わせる時のように瞳孔どうこうが萎縮していた。

 そしてまた、メリアを異変が襲う。

 野菜の入った袋を持つ左手が、突然輪郭りんかくを爆発させた。

 あっという間にメリアは、鉤爪かぎづめのような巨大な手を出現させる。まるで、何倍も大きな悪魔の手だ。鋭利な爪が光る指が、瞬時に野菜を袋ごと切り裂き磨り潰す。

 そんな自分を見て、いよいよメリアは声を震わせ泣き出した。


「あ、や……チユリ、これは……あ、あのっ、わたしっ!」

「メリアッ! 大丈夫、びっくりしたんだよね? それだけだよ、だから」

「今、不思議な感情が……それを認識した、瞬間……手が、手がっ!」


 メリアの腕は、そこだけ柔肌やわはだやぶけたみたいに失われていた。それに代わって、黒光りする重金属がいかつい豪腕をあらわにしている。ひじに伸びているのは、前腕を通しててのひらから発射されるパイルバンカーだろうか。

 華奢きゃしゃで愛らしいメリアと、おぞましい凶器にも似た腕。

 そのミスマッチに一瞬怯むも、すぐにチユリは叫ぶ。


「大丈夫っ! 平気だよ、あたし気にしないっ! メリアもあたしも怖くて恐ろしいってんなら……二人で一緒に――」


 チユリの言葉を振り切るように、メリアは猛ダッシュで走り出した。その頃にはもう、刺々とげとげしく広がる腕は地面をひっかくように伸びていた。

 唖然あぜんとするチユリは、すぐに追いかけられず見送るしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る