45. 神と呼ばせてって、おまえもか……

「それじゃあ、結界に空いた穴について教えて貰おうか」


 牢の中には、ティファニアとエリーゼ。この世の終わりのような顔で俯いていたエリーゼだったが、こちらをみるなり



「これが本物の英雄……」


 などと呟いていた。

 こちらを見る目は、まるで尊敬する偉人でも見るような――例えるなら、エルフの里のひとたちが、俺を守護神と呼ぶのに近いもの。


(い、いったいこの短時間に何があったんだ……?)


 王国では、顔を合わせるなり嫌味を言われた記憶しかない。まるで別人のようで、少しばかり気味が悪いほどだ。そうして、俺はエリーゼから王国の様子を聞くこととなる。



 あの後すぐに、リステン辺境伯の結界が破られてモンスターが侵入したこと。

 魔力供給のため聖女の力を使って、結界を爆発させてしまったこと。

 雇った結界師には逃げられ、王族は責任を押し付け合うばかりであること。



「どうなってるんだよ、王国は……」


 ……ひとことで言うなら詰んでいた。


 特に王族たちの行動には、呆れるばかりだった。国民が大勢犠牲となる緊急事態すら権力闘争に利用し、収拾がつかなくなるとサッサと逃亡を図る――信じられない身勝手さ。



「私はどうなっても構いません。今逃げ遅れた国民は、騙されていただけなんです。英雄様――どうかお助け下さい」


 エリーゼは審判を待つ罪人のように、地面にめりこまんばかりに頭を下げた。


「今回限りだ。俺はエルフの里の結界師、王国に戻るつもりはさらさらない」

「……! ――それでは!」

 

 過剰な期待を持たせてはいけない。

 俺は所詮はただのひとりの結界師に過ぎない。出来ることには限界がある。


「もとどおり、という訳にはいかない。モンスターの侵入がひどい地域を取り返すことは不可能だ。……王都の周辺に、結界を張り直すのが、限界かもしれないな」


 結界は攻めるためのものではない。あくまで守るためのものだ。モンスターに奪われた国土の大半は、おそらく二度と戻ってこないだろう。


「少しでも救えるものが残っているなら、願ってもいない未来です」


 エリーゼは即答した。どうしようもないことを理解して、その上で前に進むことを選んだのだ。

 ――ならその意志だけは、尊重したい。




「……私にも、まだ何か出来ることはありますか?」

「どうだろうな。とりあえず、あんたをここに残していくわけにはいかない。そこまでは信用出来ない」


「……当然の判断です」


 エリーゼは突きつけられる言葉すべてを受け入れる。その殊勝な態度に、


(……なんか、調子が狂うんだよな)


 言うこと為すこと、全てに反発されたイメージがどうしても残っていた。嫌味のひとつふたつ言ってやりたいところだが、ここまで泣きすがられると、それもはばかられた。

 狙ってのことなら大した演技力だが、あの単純なエリーゼだ。たぶん違うんだろうな……。


「となれば王国に連れていく必要があるわけだが、その様子じゃ長距離の移動は無理だ。途中で放り出されたくなければ――少しでも体力を回復させるんだな」

「はい、すべては英雄様のお心のままに」


 俺の冷たい言葉にも、まったく表情を変えることはなかった。



「これからは俺の言葉に逆らうな。王国では身内を疑う余裕なんてないからな。少しでも逆らえば、容赦なく見捨てる」

「すべては英雄様の言うとおりです。私は絶対に逆らいません。見捨てられることのないように、役に立てるよう精一杯努力します」


(だ、誰だおまえ……?)


 反発するどころかこの反応。散々理不尽を突きつけてきた王女が、馬鹿にしてきた俺に従順を誓っている。



(自分がどうなるかに本当に興味がないのか?)


 私はどうなっても良いから――ときどき口にしていた言葉は、たぶんパフォーマンスではないのだ。国を救うためにおとりになれと命じれば、喜んでその身を捧げてしまうような危うさすら感じた。

 



「……なあ、英雄様はやめてくれないか?」

「それは命令ですか?」


「ああ、そう思ってくれて構わない」

「なら――リット様。リット神と呼んでも?」



(なんでだよ!)


 エリーゼはいたって真剣な顔でそう言っているので、頭が痛くなってきた。


「頼むからそれはやめてくれ。そこの、でも、詐欺師、でも……好きなように呼べば良い」

「申し訳ありませんでした。あのころの私は、本当にどうにかしてきたのです。なら――リット様とお呼びしても?」


「もうそれで良い」


 俺は――諦めた。

 神や英雄より遥かにマシだ。



 

 ティファニアが、俺やアリーシャの様子を伺いながら、おそるおそる切り出した。


「エリーゼさんを、皆さんをお泊めしている宿にお連れしても良いですか?」


「客人用の宿なんだろう。俺が口を挟むことじゃない」

「納得は出来ませんが、師匠がそう言うのなら……」


 もっともエマやリーシアが何と言うかは分からないが、



「そんな、リット様と同じ宿なんて恐れ多いです。私には牢屋ここでちょうど良いんです」

「おまえ本当に、どうしちまったんだ……?」


 良い感じに壊れていた。


 そんなやり取りの後、エリーゼは牢屋から出される。「ティファニア様の命を狙った不届きものを外に出すなんてとんでもない!」と看守は相当に渋ったが、それが狙われた本人の決断なら仕方なかった。


「エリーゼ王女の今後も決まりましたね。――旦那さまがおっしゃることに、誰も否とは言わないでしょう」


 さらにティファニアはそう言い切る。

 俺はやはり困惑したまま頷くことしか出来なかった。



 そうしてエリーゼには、宿の一室が割り当てられた。


「私には、こんなところで休んでいる権利なんてありません。今、このときにも国は――」

「今ここでおまえに出来ることは、休むことだけだ。これは命令だ」


 不服そうにしながらも、エリーゼはベッドに潜り込み――あっさりと寝息をたてる。

 見るからに具合が悪そうだったからな――当然だろう。



「師匠はやっぱり優しいですね。私は――あの女を許すことなんて出来ないです」

「別に許したわけではないさ。そんなことより、優先したいものがあっただけさ」


 一度は、王国よりここだけを守りぬくと決めたのだ。エリーゼの必死の懇願に、心を動かされたのは事実ではあった。


「そうですか……」


 そう短く返した弟子の表情は、やっぱり複雑そうなものだった。

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