第5話 屍人の街の屍姫 前編

 エント村を旅立った俺は、リバイドの街を目指して川沿いを歩いていた。

 リバイドの街はエント村から川沿いを北に歩いて3日程の距離にある人族領ウエス地方で最大の都市。

 ここから南に一か月半程歩くと、竜王である炎竜スピネル(やっぱり以下略)が治める南竜族領へ、北に一か月半程歩くと、竜王の妻、白竜ホワイトオニキス(やっぱり以下略)が治める北竜族領へと辿り着く。

 そしてこの街最大の特徴が、ナラクド川に掛かる、魔族領へと続く大きな橋だ。

 いや、かつて掛かっていたと言うべきか。現在、その橋は半ばで落とされて寸断されてしまっている。

 昔は、多少のいざこざはあったものの、友好的に交易や交流は続いていた。

 だが、20年前、リバイドの街で事件が起こった。

 当時の人族の王と魔王、竜王が会談を行った際、人族の過激派が会場の領事館を占拠し立て籠った。その時、侍従として同行していたレミアレイラの母、メルキアニアの機転により、お偉方は難を逃れ、過激派は鎮圧された。

 だが、人族側がこの事件を魔族側の陰謀だと発表した為、関係は悪化。そして、人族側の軍部の一部が暴走し、橋から侵攻しようとした際に、魔族側からの攻撃で橋が落とされた。

 その後の調査で、この事件は人族、魔族双方の過激派に因るものと断定されたが、一度火が点くと燻り続けるのが火事というもの。今だに出来た溝は埋められていない。大規模な戦闘行為は起きていないものの、各地、主にナラクド川周辺で散発的に小競り合いが続いている。

 リバイドまであと半日といったところで、俺はある事に気付いた。

 妙に、俺と反対方向、リバイドから離れる方へと向かう者が多い。そしてその顔には、一様に不安や恐怖と言った表情が張り付けられている。まるで、何かから逃げようとしているかのようだ。


「ちょっと済まない。聞きたい事があるんだが、リバイドで何かあったのか?」


 俺は、リバイド方面からやってきた行商人風の男に声を掛けた。聞いてみるのが一番手っ取り早いからな。


「あ? あぁ、お前さん、リバイドの街に行く途中か? だったら、大した用事がないならやめとく方がいい。今、あの街は呪われている」


 呪われている? それはまた穏やかじゃないな。


「呪われてる? 何があった?」

「夜な夜な街中を屍人が徘徊して人を襲うんだ。もう何人も殺されてるらしい。当然、その分屍人が増える。衛士も頑張ってはいるようだが、倒しても倒しても、次の夜にはまた現れるらしい。これが呪われるのじゃなければ何だって言うんだ?」


 それを聞いて、俺は眉を顰めた。有り得ない事だからだ。今、あの街には屍人の女王と言っても過言ではない存在がいる。彼女がもし何かしているのであれば、そんなまどろっこしいやり方などせずに、昼夜問わずに屍人を溢れかえさせる筈だ。そして、彼女でないすると、その行いを彼女が看過する訳がない。

 となると、考えるられるのは、レイラが何らかの面倒に巻き込まれているという事。しかも、レイラを抑え込んで、その力を利用出来る程の者となると、人族、魔族、竜族問わず、族長クラスの大物だ。

 兎にも角にも、リバイドの街に行くしかない。


「忠告には感謝する。だが、俺にも外せない用事があるんだ。精々気を付けるよ。あんたの旅の無事を祈っている」

「そうか。あんたもな。それじゃ」


 行商人風の男に礼を言って、俺は再び歩きだした。

 半日歩いて、夕方より少し前にリバイドの街壁と街門に辿り着く。見た限りでは、特に変わった様子はない。まぁ、外から見て分かるくらいなら、街は既に屍人の楽園と化しているだろうな。

 門番の1人に近付き、自分の右腕の、通行証代わりの腕輪を見せる。この腕輪は医療ギルドの登録証だ。人族領には、冒険者ギルドや商業ギルドなど様々なギルドがあるが、活動の利便性を高める為に各ギルドの登録証は入街許可証も兼ねている。

 もっとも、俺はギルド員として活動した事はない。というか、幾つかのギルドをほぼ壊滅の状態にまで追い込んだ事がある。

 組織というヤツは長く続けば腐敗の温床にもなる。以前、医療ギルドが、俺の患者のいる村に不当な要求をしてきた事があった。俺はその村の最寄りの街にあったギルド支部に話をつけに行ったが、冒険者ギルドと共に力で押さえつけようとしてきた為、両方のギルド支部を壊滅させた。

 それが理由で、それからも行く先々で襲撃を受けた俺は、王都のギルド本部にカチコミを入れ、冒険者ギルド、医療ギルド、そして諜報ギルドという名の暗殺者ギルドを壊滅させ、鎮圧に出てきた領軍をも半ば壊滅、そのまま王城に乗り込んで、近衛騎士を粉砕しつつ領王を締め上げて、この前の勇者パーティーズと同じように、エシュア、ローリア立ち会いの元、以後、俺の患者のいる街や村に不当な要求をしないように約束させた。

 それを機に人族領の組織改革が行われ、それぞれのギルドも、ブラックがグレーになる程度にはマシになった。

 で、この腕輪はその時強奪……もとい、譲渡された。だから俺は、腕輪は持っていてもギルド員ではないから、ギルド員としては活動していないという訳だ。

 さて、まずはいつもの宿にでも向かうか。

 街を歩いて分かった。確かに薄っすらと魔力が漂っている。だが、この程度なら屍人が現れたりはしない。術を行使する時のように収束もされていないしな。

 街門から暫く歩くと、この街で俺がいつも利用する宿屋が見えてくる。豪華でもきらびやかでもないが、しっかり手入れされていて小綺麗で、そして価格も良心的な宿、"川の水面みなも亭"。


「こんちわ! おかみさん、いるか?」

「はいよぉ! おや、レックじゃないか! 相変わらす元気なようだね! 今日は泊まりかい?」

「あぁ、1週間頼みたい。これ、宿代な」

「はいよ。1週間ね。いつもの部屋でいいかい?」

「勿論。ところでおかみさん、ここに来るまでに、最近、妙な事が起こってるって聞いたんだが、何か知ってるか?」


 宿の確保ついでに情報収集だ。宿屋という場所は、噂話を聞くにはうってつけだからな。


「あぁ、夜な夜な屍人が街中を歩き回って人を襲うって話かい? ありゃ、半分はデタラメさ。確かに屍人が歩き回ってるのは本当だけど、誰も襲われちゃいないよ。ただぼーっと歩き回ってるだけさね。もちろん、気味が悪いから、衛士たちが駆除して回ってるけどね」


 なるほど。屍人が出るのは本当だが、被害は出てない、と。

 普通、屍人は剥き出しの土が無いと呼び出せず、生ある者を襲う性質がある。この交通の要所の街中は基本的に石畳で、街中に墓地もない。そして誰かを襲ってないとなると、何処かの誰かが呼び出したが、襲う事を封じられていると思われる。つまり、誰かに制御されているという事だ。


「あ、そうそう、その屍人がいた場所、下がびしゃびしゃだったとも言ってたね。」

「下が濡れてた、だって? そいつは…… 分かった。ありがとな、おかみさん」

「あんたはお得意様だからね。いいって事さ」


 おかみさんから鍵を受け取って、いつも利用している部屋に入り鍵を閉める。そして、ベッドに腰を落ち着け、おかみさんから得た情報から現状を推察する。

 まず、レイラは何らかの形で協力させられてはいるが無事だろう。恐らく、何処かに召喚用の土を運び込んで、屍人を召喚させられている。だが、自分の意にそぐわない行為へのせめてもの抵抗なのだろう、屍人の攻撃性を抑え込んでいる。

 そして、レイラに召喚を強制させているのは水民アクエス、この場合は魔族の水民アクエスだから魔水民ダクエスだ。

 普通、闇と大地の複合属性での屍操術で召喚した屍人は水に弱い。形成した屍を維持している大地属性を水属性が洗い流してしまうからだ。だから聖水なんて物が効いたりする。

 だが、今回現れている屍人は水を滴らせているという。恐らく、川底の泥を掻き集めて召喚した水民の屍人で、闇・大地ではなく、闇・大地・水の複合で行っていると考えられる。そうだとすると、それが出来るのは水民しかない。

 しかし、水民は人族、魔族共に、あまり魔法が得意ではない。勿論、傑出した魔法の使い手がいるにはいるが、他の種族に比べると少ない。精々、種族の長とその腹心の数人くらいだ。

 魔族の中でも魔法が得意な魔地民の、その中でも傑出した魔法の使い手であるレイラを抑え込める魔水民の者となると、もう魔水民の族長、エルラウラ・シャノールくらいしか思い浮かばない。

 エルラウラ・シャノール。群青色の長い髪に褐色の肌。蠱惑的な面立ちとスタイル。そして、頭脳派の筆頭と言えるメルキアニアに勝るとも劣らない智謀。それも当然で、彼女はメルキアニアの実の妹。魔水民の族長に嫁いで子を何人か成した後、早晩没した夫に代わり魔水民の族長をしている。彼女が出張って来てるなら、レイラが太刀打ち出来なくとも不思議はない。

 エルラウラが出て来ているとなると、この前の魔風民が言っていた"大侵攻"の信憑性も高いと言える。少なくとも、魔風民と魔水民はその気だという事だ。

 となると、今回のリバイドの件は、粛々と街から人族を追い出して、侵攻の橋頭堡を確保するつもりなのだろう。表立ってやると、場所が場所だけに、準備が整う前に人族領軍が出張ってくるからな。

 普通なら、「そんな争い、勝手にやってろ」と無視するところだが、レイラが割りを食っているのは、恐らく俺が調べ物を頼んだからだろう。なら、俺にも責任がある。レイラを助けるのは当然だ。

 まずはレイラの居場所を突き止める為の情報が必要だ。こういうのの情報収集に向いているのは、やはり冒険者ギルドだ。

 冒険者ギルドは、冒険者という、所謂何でも屋を纏めて管理する組織で、人族領だけに存在する。

 ん? 直接商会の支店に行って確かめればいいんじゃないかって?

 それだとレイラを助けようとしている俺の存在が相手に分かってしまう。最悪、レイラに危害を加えて、俺を誘き出そうとするかもしれない。

 少し遠回りにはなるが、レイラとは直接関係ない方面から情報を集めた方が、レイラを安全に、より早く救出出来る。

 やる事は決まった。なら、行動するだけだ。

 部屋を出て宿の出入口へと向かう。


「おかみさん、ちょっと出掛けてくる。夕食迄には戻るよ」

「はいよ。気をつけていってきな」


◇◇◇


 ムゴォォォッ……


 泥の中からまた一体、水棲屍人を召喚する。

 それは、臭い水を垂れ流しながら、部屋の外へペタペタと歩いて行く。

 もう何体召喚しただろうか。協力の要請という名の強制をされて三日。この街を橋頭保として確保はしたいが準備が整う迄に人族軍には知られたくないという先方の要求を何とかする為に、日に何度も、こんな臭くて不潔な場所へと足を運んでいる。護衛という名の監視付きで。


「あぁんもう! こんな所に何度も来たら、臭いが取れなくなっちゃうじゃない!」


 レックがオモチャをくれた時に聞いた大侵攻の話。馬鹿ボンのシャールラグルの与太話かと思っていたけれど、ラウラ叔母様が出て来たとなると、結構本気なのかもしれない。

 だけど、人族領にはレックの患者の住む街や村が結構ある。この前の村のように、もしそこを襲ったりなどしたら、レックの怒りを買って、最悪、ワタシ達は絶滅するかもしれない。それは、かつてレックの患者だった魔王様が一番よく分かっていらっしゃる筈。

 それに、魔王様のご命令だとすれば、お母様からワタシに連絡や指示がないのもおかしい。魔族の中で人族領の情報に一番詳しいのはワタシなのだから。

 となると、今回の事は、魔王様からの命令ではなく、一部の魔族が勝手に進めている事。そして、その一部の魔族には、魔風民や魔水民に強い影響力を持つ者がいる。

 それは誰か?

 ラウラ叔母様程の魔族が従っている事と、レックに頼まれて調べたお蔭で、凡その見当は付いているけれど、確証は得られていない。当の叔母様に聞いても教えてもらえない。多分、魔水民全体を人質に協力を強制され、話す事を制限する魔法を掛けられている。

 叔母様なら簡単に解呪出来るでしょうけど、解呪されたのが掛けた術者に分かる魔法もあるから、魔水民の為においそれとは解呪出来ないのだと思う。

 ワタシとしては、魔王様の率いていない大侵攻など諦めて欲しい。百害あって一利なしだから。

 そもそも、魔風民と魔水民だけでどうやって侵攻するというのだろう。魔水民は水辺から離れると能力が著しく低下する。もちろん、人族領にだって川や湖はあるけれど、当然そこには水民がいるわけで、それは魔風民と風民も同様。人族領の王都まではとても辿り着けない。

 そして何より、勇者の存在。あれは魔王様でないとどうしようもない。

 陽動をして勇者を誘き出したとしても、陽動に割いた分だけ本隊の戦力は減るのだから、数の差で負けてしまう。

 つまり、この侵攻は最初から詰んでいる。

 となると、この侵攻は、侵攻を目的としているのではなく、侵攻を指示した黒幕の目障りな勢力、つまり、お母様の影響力を削ぐ目的だと考えるのが妥当ね。

 さて、どうしたら犠牲を少なくして侵攻を諦めさせられるだろう?

 レックに協力してもらえれば、簡単に片付くと思う。

 でも、ワタシはレックを、こんなつまらない争いに巻き込みたくない。

 未だに"婚心の契り"は受けてくれないけど、レックはワタシをキチンと見てくれている。一人の女性として扱ってくれている。

 ワタシも、レックの事を愛している。レックがお母様を救う為に実家を訪れ、その時に初めて会ってからずっと。

 だからワタシは宣言した。お母様の見舞いに来た家族の前で。

 「家督の相続権は放棄して、レックと一緒になります」と。

 お母様と叔母様を除く家の者には猛烈に反対された。「よりによって人族なんかと!」と。

 でも、お母様と叔母様は、「ノスフェラウ家の責務を忘れさえしなければ、後は好きになさい」と言ってくれた。

 だからワタシは商会を立ち上げ、情報収集という名目で人族領で生活を始めた。

 そして知った。レックが前に言っていた「人族と魔族は信奉する神が違うだけの存在」という言葉の意味を。

 人族領の中にも魔族領の中にも、ひっそりとだけど人族と魔族が仲睦まじく暮らす場所があった。互いに助け合い励まし合い愛し合っているその姿に、ワタシはワタシとレックの姿を重ねて歓喜した。ワタシの想いを肯定してくれているその光景に。

 だから何としてもこの侵攻は諦めさせたい。ワタシを肯定してくれたお母様や叔母様の為、ワタシの想いを肯定してくれたあの光景の為。

 とにかく今は、侵攻の準備をする振りをして時間稼ぎをする。動くチャンスはきっとある。


◆◆◆


 俺は街の中央広場にある冒険者ギルドへやってきた。勝手知ったるかのように、受付カウンターの職員に腕輪を見せながら、奥にある依頼の掲示板へと足を運ぶ。俺の腕輪をチラ見した女性職員がぎょっとしたようだが知ったこっちゃない。

 ギルドには、能力と貢献度から決められるランク制度がある。実力に見合わない依頼を受けようとしたバカを止める為の制度だ。細かくは忘れたが、俺のこの腕輪は最高ランクの物だった筈。腕輪の色で識別するらしいが、ギルドが違ってもランク制度による色は統一されていて、直ぐにランクが分かるようになっている。

 掲示板には様々な依頼がランク別に張り出されている。必要な労力と想定される危険度からギルドが決めているから、時には難易度に比べて楽に片付く事もあれば、思ってもみなかった危険に巻き込まれる事もある。

 街の側溝掃除や荷物運び等の雑用から、街周辺の魔物退治、色々貼り出されているが……

 お、あった。"夜間に出没する屍人の退治"の依頼。"屍人は力が強く、噛まれたり爪を打ち込まれたりすると病気に掛かる可能性があるから注意が必要だ。だが動きが遅く、火に弱い。多数に囲まれない限りはそれほど危険な相手ではない。"と、参考情報という名の注意書きがなされている。まぁ、普通なら合ってるんだが……よし、依頼を受けておいて、余計な被害を防ぐか。


「あ~~受付の姉ちゃん、これの手続きを頼む」

「あ、いらっしゃ……い……ませぇ~~!! あわわわわ……!!」


 依頼の受け付けだけで、何慌ててるんだ、この姉ちゃんは?


「おいおい…… 受付処理くらいでテンパらないでくれよ…… 俺が何かしたか?」

「えぁ?! ひ、ひぃえ! しゅ、しゅみません!」


 噛んだ……


「あ~~謝らなくていいから、依頼の受け付けと、この依頼に関する資料を頼む」

「ひゃ、ひゃいっ!! だだいま゛っ!!」


 ガンッ! バンッ! バタンッ!!

 凄い音をさせて向う脛を机に打ち付けながら、転がり込むようにして職員室の扉の向こうへと消えた受付嬢。何なんだ、本当に……


『うぐぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛! ぎ、ギルド長~~! 助けてくださ~い! わたし、EXランクの人なんて相手した事ないですぅ~!!』

『EXランクぅ~~? 見間違いじゃないの? どんな奴よ?』

『顔は悪くないんですけど、目付きが怖くて、時代錯誤な指先の出た手袋してて、白衣羽織ってました!!』


 扉の向こうでえらく失礼な事をぶっ放してくれる姉ちゃんだな。俺は言われ慣れてるからともかく、気の短い奴にこんな対応したらトラブルになるぞ。よし、ここは俺が教育的指導をしてやろう。


「お~い。思いっきり聞こえてるぞ~?」

『ひぃうっ!! ぎ、ギルド長ぉ~~!!』

『あ~はいはい。あたしが出てあげるから。その代わり、ボーナスカットね』

『そんなぁ~?!』

『仕事出来てないんだから当たり前でしょ! で、用件は? あぁ、あの依頼ね。わかったわ』


 ガチャっと音を立てて扉が開く。そこから俺の見知った顔が現れた。


「ちょっとレック。あんまり受付の娘、脅かさないでやってくれる?」

「脅かすも何も、普通に受け付けしてもらおうとしただけだぞ?」


 親しげに話しかけてきたこの女性は、リバイドの冒険者ギルドを仕切るギルド長、エスペラル・リィルだ。重要な街のギルド長を任されるだけあって、実力は折り紙付き。そして容姿端麗となれば、街の人々や所属している冒険者からの信頼や人気は非常に高い。今も、ギルドに併設されている食堂兼酒場から、負の感情たっぷりの視線が俺に刺さっている。


「前にも言ったけど、あなたの場合はいろいろ面倒なんだから、あたしを呼んでくれない? 別室で話を聞くから」

「あぁ、そうだったな。すまん。少し急いてたからな」

「あなたが急ぐ用件? なるほど、いろいろ裏がありそうね。ともかく、こっちに来て」


 エスペラルに案内され、個別に話す為の小部屋の一つへと向かう。ギルドにはこうした小部屋が幾つもある。案件の中には、当事者以外に内容を知られたくないものもあるからだ。

 小部屋の中は殺風景だ。事務的に話をするだけの場所だから、まぁ、そんなもんだろう。四人掛けの机が一つ、ポツンとあるだけだ。

 俺はエスペラルに勧められた椅子に座り、エスペラルは机を挟んだ向かい側に座る。しばらく資料を読み込んでいたエスペラルが徐に口を開いた。


「それで、何が知りたいの?」

「現時点での討伐状況。何処でどれだけ討伐されたか、だな。」

「それなら地図を持ってくるから、少し待ってて」


 暫くしてエスペラルが筒状に丸めた地図を携えて戻ってきた。とっとと情報を確認して、レイラを助けに行こうか。


「お待たせ。で、これを見せる前に聞いておきたいのだけど、あなたが動く程の、何が起こってるの?」

「……ギルドは冒険者に対して、依頼に関する情報は無条件に開示しなければならなかった筈だが?」


 俺が一度ギルド本部をぶっ潰して、ギルド制度の改革がなされた。改定された規定では、依頼に関する情報の隠蔽は厳しく罰せられる。依頼を受ける者が危険に曝されるからだ。それをギルド長自ら反故にするとは。エスペラルも昔は中々見所のある奴だったが、耄碌したか?


「こちらも状況の芯が掴めてなくてね。何パーティーか調査に向かったけど、誰一人戻って来なかった。それなのに、当の屍人達は、特に何かするでもなくうろついているだけ。緊迫度の落差が激しすぎて、何が何だか…… 何か知ってるなら教えて、お願い」


 ん……耄碌した訳ではなかったか。彼女もギルド長として色々大変なのだろう。だが、レイラの事を話す訳にはいかないしな。仕方ない。ここは俺が引くか。

 無言で徐に立ち上がる。


「?! レック!?」

「この件は俺がやっておく。だから、こいつは貼り出さないでおいてくれ。邪魔したな。じゃあな」

「ちょっと!? レック! レック!!」


 エスペラルの、半ば悲鳴と化した声を聞き流し、俺は部屋を出、冒険者ギルドを後にした。


◇◇◇


「あああぁぁぁ!! 何余計な事してるのあたしぃぃぃ!!」


 レックが出て行った後、あたしは頭を抱えて座り込んだ。拙い! 拙過ぎる!! 真相が掴めていない焦りがあった。でも、規定に反してまでやる事じゃなかった。レック・セラータが動いてる時点で、彼の関係者が絡んでいる事は明白だ。もし、彼に情報を渡さなかった事で、その関係者に何かあったら……このギルドは終わる。かつて彼はそれで、王都の冒険者、医療、諜報の各ギルド、そして王都駐留軍、近衛騎士団を壊滅させ、領王を吊るし上げてギルドの改革をさせた。その時、情報秘匿禁止規定も盛り込まれた。それを破った者は最低でも降格、最悪、ギルドを除名され、指名手配される。


「ギルド長、どうかされましたか?!」


 あたしの悲鳴と化した叫びを聞きつけて、副ギルド長のアドルが駆けつけてきた。赤毛で整った顔。ギルドに職員として入る前は、冒険家として、人族領の各地だけでなく、魔族領や竜族領も旅した事もある、ギルドでも1、2を争う優秀な人材だ。勇者パーティーへの勧誘もあったそうだけど、「この仕事が好きなので」と言って辞退しここに残ってくれた、あたしの頼れる右腕だ。


「アドルぅ~……どうしようぅ~……あたしやっちゃったぁ~……」


 滂沱の涙を流しながら、アドルに事の次第を伝えた。あたしの話を聞くにつれ、アドルの顔が険しくなる。


「確かに少し拙いですね……レックさんの事ですから、いきなり本部に連絡したり、規約違反を盾に何か要求するとは考えにくいですが、速やかに謝罪を申し入れるべきでしょう。確かあの方はいつも同じ宿を利用されていた筈。要求された情報を持って、僕と一緒にその宿に向かいましょう」

「うぅ……いつもごめんね、アドル」

「いえいえ、これも副ギルド長の務めですから。さて、そうと決まればギルド長、まず顔を洗ってきて下さい」

「そうね、少し待っててね」


 あたしは急いで洗面所へと向かった。

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