第2話 白衣の森民と死ななきゃ治らない病気野郎 前編

 シリウス山を発ってから2週間。俺は人族領の西の端、ウエス地方に来ていた。

 この地方は大森林地帯。動植も豊富で、肥沃な土地だから、切り拓けばいい畑が造れる。

 だが、ここを切り拓いて住む人族は少ない。

 理由は簡単。恵まれた土地だけに、魔物もよく育ってしまい、ここの魔物は他の地方よりも数段強いのだ。

 住む人族が少ない理由がもうひとつ。ここにはナラクド川という、川幅10キルムはある大河が流れているが、川の向こう側が魔族領だ。

 人族、魔族とはいっても、それぞれは単一の種族ではない。

 人族には、人間、森民エルヴス地民ドヴェルグ水民アクエス風民アウレスと多種多様な種族が存在する。これは魔族も同じだ。

 人族と魔族の違いは、単純に光の神エシュアと闇の神ローリアのどちらの加護を受けているかだ。同じ人間でも、エシュアの加護を受けていれば人間、ローリアの加護を受けていれば魔人になる。

 人族、魔族の大まかな特徴は、人族は身体的能力に優れ、魔族は精神的能力に優れている。

 もちろん、種族差や個体差があるから、全員が全員そうではないが。

 あと、魔族の方が体色が濃い。これは闇の神の加護を受け続けるとなる特徴だが、濃いだけで真っ黒な訳ではない。人族がちょっと強めに日焼けしたのと大差ないくらいだ。

 結局、信奉する神の違いで元は同じなんだが、そんな些細な違いを理由にして、人族と魔族は争い続けている。

 馬鹿だろ、お前ら。仲良くしろとまでは言わないが、ちょっかい掛けずに大人しく暮らしていれば、それなりに幸せに生きられるものを。


 どぱぁぁぁん! どぱぁぁぁん!


 俺は1年近く前に寄った村を目指してナラクド川の川縁を歩いているが、川の真ん中辺りで水柱がいくつも上がっている。また性懲りもなく人族と魔族の水民同士が争っているのだろう。

 あそこに俺の患者はいない。だから、無視だ。

 辺りの景色からすると、あと半日くらいで、川から村に水を引く為の堰と水路が見つかる筈だ。それを辿って行けば村にすんなり着ける。

 川縁を歩き始めてから2ハウア(=2時間)程経った頃、行く手に何か白いものが転がっているのに気付き、俺は足を速めた。あれは、人だ。人が倒れている。

 何故人と分かるのか。話は簡単。この辺りに白い魔物はいない。そして、この辺りに住む人族は全身を白い衣装で固めて外出する。森の中では目立つ事この上ないが、この方が魔物が寄ってこないのだ。

 速足で、だが、決して走らない。ここは人族領でも強力な魔物が住む場所なのだ。急いで警戒を疎かにして、それで横合いから魔物の不意打ちでも受ければ、倒れている奴も救えないし自分も危険なのだ。


「おい。大丈夫か? しっかりしろ」

「……」


 倒れている人のところに辿り着き、普通に声を掛ける。大声は出さない。理由はさっきと同じだ。

 うつ伏せに倒れているそいつは、全身が白い衣装に包まれてはいるが、体つきや背格好から女性、いや、少女だとわかる。

 俺はその少女を仰向けにして抱き上げようとした。流石に野ざらしで治療というのもどうかと思ったからだ。どこか木陰に運んでからがいいだろう。

 少女を抱き上げたその時、俺は違和感を感じた。少女の長袖の先の手袋の中、そして長ズボンの下のブーツの中で、砂が流れるような音がしたのだ。どちらにも、音を立てて流れる程の砂が入り込む余地などない筈なのに。

 この違和感、覚えがあるな。もしそうなら治療を急ぐ必要がある。

 俺は適当な木陰を見つけて背中の荷物を下ろし、荷物の中から簡易テントを取り出して手早く組み立てる。もちろん、テントのシートは白だ。これからこの少女の衣服を脱がせて治療しなければならないが、肌を出した事で魔物が寄ってきたら治療どころではなくなってしまう。

 テントを立て終わると、俺は荷物からいくつかの薬剤を取り出して調合し、テントの中に噴霧した。これは消毒だ。この娘が治療中に別の病気に感染するのを防ぐ為に。

 消毒を終えたテントに少女を運び込み、入口をしっかり閉める。これから出てくるものを撒き散らさない為に。今が春先で助かった。真夏とかだと、俺はともかく少女が熱中症になる前に治療を終わらせてしまわなければならない。

 テントの中に敷いた毛布の上に少女を寝かせて、まず、手袋とブーツを脱がせる。


 ザザザザザ……


 手袋とブーツから、白い砂のようなものが流れ落ちた。そして、手首と足首。本来それがある筈の場所にそれはなく、手首の根元、足首の根元は白い石のようになっていた。

 "白壊病ホワイトコラプス"。生命体の存在の根源たる生命力。それを食い荒らす細菌に感染して起こる病気だ。人族領ウエス地方、そして、ナラクド川対岸の魔族領ダーエス地方で多く見られる。症状は見ての通り。生命力を徐々に食われて、身体の末端から軽石のようになっていき、崩れて砂になる。適切な治療が受けられなければ、致死率は100パーセント。そして、最も厄介なのが、この砂にも1~2日感染力がある事。そう、この辺りの魔物が白い色に寄ってこないのは、これを本能的に知っているからだ。

 ちなみに俺は、感染してきた細菌を片っ端から治療術で潰しているから発症はしない。

 手先足先がなくなる程進行しているとなると猶予は少ない。俺は再び荷物からいくつかの薬剤を取り出して調合、白壊病の薬を創り出した。そして、少女の上着とその下の肌着をたくし上げる。

 真っ白い肌の、大きくはないが形の良い少女の双丘の間、つまり心臓の上に、薬をたっぷり染み込ませた手拭いを置き、その上から手を添えて治療術を発動させ、薬を心臓に直に送り込んだ。治療術による強制浸透だ。そしてそのまま、心臓を出入りする血液に対して治療術を掛け続ける。血液は身体を2~30セクド(=2~30秒)で一周している。全身の細菌を一掃したいなら、これを利用するのが最も効果的なのだ。

 5メニト程それを続けてから、一旦治療を止め、俺は少女の衣服を脱がせ始めた。言うまでもなく、服も消毒する必要があるからだ。

 まず、目以外の部分を覆っている頭巾をを脱がせる。さらりとした白い髪と端が軽く尖った耳が現れた。


「お前、ユキカじゃないか」


 俺はこの娘に見覚えがあった。これから行こうとしていた村に住む俺の患者で森民の少女。名前はユキカ。先天性色素欠乏症アルビノで虚弱体質だった彼女の体質改善の為、6年前から年1回、俺はその村を訪れていた。それまでは家から出られなかった彼女に、食事療法と運動療法を施した結果、虚弱体質はかなり改善され、去年訪れた時には、村の中はおろか森の中を駆け回り、13歳にして一人で猪を狩ってきた程だった。

 彼女は責任感の強い娘だ。虚弱だった頃、村の皆に助けられていた事に恩を感じていて、体質が改善されてからは、子供ながら村の皆の為にと手伝いや狩りを頑張っていた。

 その彼女がこんな場所で行き倒れていたという事は、村に何かしらの事態、恐らく白壊病が蔓延して、助けを求めに出たのだろう。

 だが、近くの街までは徒歩で三日は掛かるにも拘わらず、彼女は荷物らしい荷物を持っていなかった。

 とすると、彼女は俺を捜していたのかもしれない。そろそろ俺が来る時期なのは彼女も知っていたのだから。

 頭巾の次は、たくし上げたままの上着を脱がせる。華奢だがしっかりとした身体つきだ。

 そして長ズボンと、その下の下着も脱がせる。すらりとした張りのある脚。筋肉もしっかりついている。彼女が俺の言い付けを守って運動を頑張った証しだ。

 俺は彼女を衣服を丁寧に畳み荷物から取り出した手桶に入れ、ひたひたになるくらいに薬を注ぐ。これで5メニトも置けば除菌出来る。

 一糸纏わぬ姿になったユキカ。早く別の毛布でくるんでやりたいが、身体の表面とテント内の消毒が先だ。

 噴霧器に薬を入れてシュコシュコと撒く。特に、手袋とブーツから出てきた砂には念入りに。

 そして、薬を染み込ませた布でユキカを丁寧に拭いてやる。頭、首筋、肩、胸、背中、両腕、腰、脚。

 特に女性の、大切でデリケートな部分は、細心の注意を払って拭く。


「ん……」


 その部分に触れた時に、ユキカが少し声を出した。どうやら意識が戻りつつあるようだ。

 ユキカの身体と周囲の消毒を終え、隣に新しい毛布を出してユキカを移動させる。そして、胸から下を、足先が出るように、別の毛布でくるんでやる。

 そして、崩れてなくなった手先足先に、薬を染み込ませた布を当て、包帯で丁寧に巻いていく。

 これで一通りの処置は完了だ。後は継続的に治療術を掛けてやれば手足も元通りに治る。

 俺はユキカをそのまま寝かせておいて、テントの外に出た。そして、テントから少し離れたところに棒を立て、テントの支柱と紐で結んだ。簡易の物干しだ。

 俺はテントから、最初にユキカを寝かせた毛布を砂を落とさないように取り出して、外でバサバサとはたいて物干しに掛ける。もう毛布や砂の除菌は完了しているから問題ない。

 次に、ユキカの衣服を桶から取り出し、しっかり絞って、パンパンとよくはたいてから物干しにぶら下げる。しっかりはたかないとシワになるからな。今日は天気もいいし風もあるから、それ程時間も掛からずに乾くだろう。

 毛布と衣服を干し終えた俺はテントの中へと戻り、荷物から携帯食料と水筒を出して足元に置いてから座り、片手で携帯食料をガリガリと齧りながら、もう片方の手でユキカに治療術を掛ける。

 欠損の施療は、なるべくゆっくり行う必要がある。

 身体は元の形を覚えている。だから、治療術を掛けると治っていくのだが、急ぎ過ぎると一気に形成される勢いが余って、元の形から微妙にずれてしまい、動かした時に違和感が残ってしまうのだ。


「ん……あれ? ここは……?」


 俺が食料を食べ終わって、水筒の水を喉に流し込んでいると、ユキカの声が聞こえた。ようやく意識が戻ったようだ。


「ユキカ。俺だ。レックだ。分かるか?」

「レックさん? あぁ……神様が私のお願いを聞いてくれたんだ…… "幻でもいいから、最期にレックさんに逢いたい"って。これで思い残す事はもう……」

「こらこら、勝手に死ぬんじゃない。ちゃんと治療したから、もう大丈夫だ。ほら、幻はこんなに手が温かくはないだろう?」


 何か思い込みで昇天しそうなユキカの頬に手を当て、優しく撫でる。その感触で、ようやく本当に俺がいると分かったようで、目を見開いて、"信じられない"という表情で俺を見つめてから、ぽろぽろと涙を流し始めた。


「ほんとに、ほんとにレックさんだ! レックさん! みんなを助けて!!」


◇◇◇


 時間は少し遡る。


 はぁはぁはぁはぁ……


 川から村へと水を引いている水路の脇を、川の方へと向かって懸命に歩く。


 私はユキカ。名字はない。名字があるのは貴族様とかの一部の人だけ。どうしても必要な時は、村の名前を使って、ユキカ・エントと名乗る。エント村に住む、もうすぐ15歳になる森民エルヴスの女の子。それが私。


 エントは人間と森民が一緒に暮らす村。私の両親も森民エルヴスだ。

 私は生まれつき身体の色が薄く、髪は白、瞳は赤く、肌も真っ白だ。

 そのせいか、小さい頃は身体が弱くて、ほとんど外に出られなかった。外に出てお日様の光を長く浴びてしまうと、熱いものに触れたように、肌が真っ赤に腫れ上がってしまうから。


 私が9歳になる誕生日の少し前、村に白くて長い上着を着た男の人がやってきた。

 レック・セラータ。自分の事を治療士と言ったその人は、村の家を回り、病気や怪我で困っている人たちを治してくれた。

 レックさんが私の家に来たとき、彼は私の両親に「食事は自分が用意するから、住み込みで彼女を治療させて欲しい。」と言ってくれた。両親も私の身体の事で悩んでいたので、彼の提案を受け入れた。

 一緒に住み始めて1日目。レックさんは朝早くから森に出掛け、お昼過ぎに大きな猪を2頭も担いで帰ってきた。血抜きして私達が食べる分を取り分けた後、残りのお肉は村の人達に配った。村の人達もすごく喜んでいて、それを聞いた私も嬉しくなっった。

 ちなみに、森民だってお肉は食べる。

 その日の夜、レックさんが、猪の肉と知らない葉っぱの入ったシチューを作ってくれた。


「これを食べると身体が丈夫になるよ」


 そう言われた私は、そのシチューを沢山食べた。早く丈夫になりたかったし、普通にシチューが美味しかったから。

 次の日。またレックさんは朝早くから森に出掛け、今度は鹿を2頭担いで帰ってきた。やっぱり血抜きして私達の分を取り分けた後は、村の人達に配った。

 その日の夜は、レックさんが作った、鹿肉と知らない葉っぱ、お野菜を混ぜて焼いたものを食べた。村で育てたヤギのお乳で作ったバターをたっぷり使っていて、やっぱり美味しかった。

 ご飯の後の片付けをレックさんと私でしている時に、レックさんが私を見て言った。


「明日の朝、陽が高くない内に、俺と一緒に外を散歩しようか」

「えっ?!」


 私は聞き間違いだと思った。陽の光に当たると大変なことになるのはレックさんも知ってる。


「大丈夫。昨日食べた葉っぱがそろそろ効いてきてるから」

「!! ほんとに!? ほんとにお外行っていいの!?」

「あぁ。だから明日は俺と散歩だ」

「やったあ!! お父さん! お母さん! 明日お外行っていいんだって!!」

「明日はお二人も一緒に来て下さい。伝えておきたい事があるので」


 次の日の朝。私はいつもよりずいぶん早く起きた。だって、お散歩がとてもとても楽しみだったから。

 トントントントン……

 台所の方から音がする。お母さんかと思ってのぞいてみるとレックさんだった。


「レックさん、おはよう!」

「おっ、ユキカ、おはよう。朝ごはんはもう少し待っててくれな」


 レックさんは私のことを"ユキカちゃん"とは呼ばない。村で"ちゃん"付けしないで私を呼んでくれるのは、お父さんとお母さんだけだったから、レックさんで三人目だ。

 ダイニングテーブルの椅子に座って、頬杖をついて足をぶらぶらさせながら、朝ごはんを作るレックさんの背中を眺める。何でもないこの様子が、何故か妙に嬉しい。


「~~♪」

「お。今日はいつになく上機嫌だな、ユキカ」

「だって! みんなでお散歩楽しみなんだもん!」

「そうか。ユキカのお父さんとお母さんが朝ごはん食べたら、早速出掛けような? ほら、お待たせ」

「うん!」


 今日の朝ごはんは、黒パン、スクランブルエッグ、ソーセージ、蒸した野菜、緑色のスープ……緑色?!


「レックさん……これ、すごい色してる……」

「まずは一口飲んでみな?」

「う、うん。……あっ! おいしい!」


 ヤギの乳とバターで作ったポタージュスープの味だった。別に、苦いとか葉っぱの匂いがするとかはない。

 後から台所に来たお父さんとお母さんも、最初は戸惑った顔をしていたけど、一口食べたらびっくりした顔になっていた。


「食事が終わったら、ユキカを着替えさせてやって下さい。あ、肌を無理に覆う必要はないんで。むしろ、手足や顔は出ていた方がいい。陽の光には、身体を丈夫にする効果もあるんですよ。片付けは俺がしておくので、そちらを頼みます。」


 レックさんに言われて、私はお母さんと一緒に部屋に行って、お母さんに服を着せてもらった。

 それは、私が元気に外へ行けるようになったら着られるようにと、お母さんが作ってくれた服だった。


「ユキカにこの服を着させられる日がこんなに早く来るなんてね……」


 お母さんはそう言うと、私を優しく抱きしめてくれた。私の家には鏡なんていうすごく高いものはないから、私が今どんな格好を分からない。でも、お母さんの笑顔で、きっとすごく素敵な格好をしてるんだと分かった。

 着替えて台所に戻ると、お父さんとレックさんがテーブルでお茶を飲みながら待っていた。

 私たちを見ると、お父さんは少し驚いた顔をしてから嬉しそうに頷いて、


「よく似合ってるぞ、ユキカ」


 と言ってくれた。

 そして、レックさんも笑顔で頷いて、


「とっても綺麗だぞ、ユキカ」


 と言った。

 "可愛い"じゃなくて"綺麗"。その言葉に私はとっても嬉しくなった。レックさんが、ただの病弱な女の子じゃなくて、一人の"ユキカ"という女の子だと見てくれてるんだと分かったから。


「それじゃ行こうか。みんなでお散歩だ」

「うん!」


 みんなで家の玄関に移動して、私はドアの取っ手に手を掛けて、そこで止まってしまった。小さい頃の、熱くて痛い記憶を思い出して。


「怖いか?」

「……」


 レックさんの言葉に何も返せない私。


「そうだな。怖いな。でも、今だけ、俺を信じてくれないか?」


 そう言って、私の肩にそっと手を置くレックさん。その手から何か温かいものが私に伝わってきた。私はレックさんを見上げた。優しい顔で私にうなずくレックさん。レックさんと過ごした2日で、レックさんが私に痛い事や苦しい事をしないのはよく分かった。だから、


 ギギギギ……


 私はドアをゆっくりと開けた。開いたドアの隙間から、昇ったばかりの陽の光が射し込んできて、そして、私のスカートから出ている素足に当たった。


 熱く、ない。痛く、ない。


「お父さん! お母さん! 熱くないよ! 痛くないよ!」

「ユキカ!」「ユキカ!」


 お父さんとお母さんが泣きながら嬉しそうに私を抱きしめてくれた。


「レックさん! ありがとうございます!なんとお礼を言ったら……」

「レックさん! 貴方に深い感謝を! 貴方がこの村に来てくれて、本当に良かった!」

「エリザさん、レベンスさん、顔を上げて下さい。ユキカの治療はまだ始まったばかりです。これはその第一歩。だから、まだ礼は早いです。さ、ユキカ。みんなでお散歩に行こうか」

「うん!」


 私はお父さんお母さんと手をつないで、生まれて初めて自分の足で散歩した。村を囲む木々の間から射し込む陽の光がとても綺麗だと思った。外はこんなにも色鮮やかな事を自分の目で見て驚いた。すれ違う村の人にあいさつすると、みんな最初は驚いたけど、すぐ、「治してもらってよかったね」と言ってくれたのがとても嬉しかった。


「レベンスさんとエリザさんに少し説明しておきたい事があるから、村の畑に寄ってから帰ろうか」

「え~~? もっとお散歩したい~~!」


 レックさんの言葉に、ワガママを言ってみる。だって、やっとお外に出られたんだもん!


「散歩なら、また夕方にすればいい。これからは、朝と夕方の散歩が日課だ。夕方の村も綺麗だぞ? お昼の間に少し休んでおく方が楽しめると思うけどな、俺は」

「そ、そうなの? う~ん……分かった! レックさんの言うとおりにする!」


 レックさんを信じたら、外に出られた。だったら、もっとレックさんを信じてみようと思った。

 村の畑に行くと、半分くらいがみずみずしい緑色になっていた。細長い葉っぱがピンと立ったものや、地面に玉のように丸くなったものがある。


「ねぇねぇ、お母さん。あそこに並んでる緑色のって何?」

「細長い葉っぱが立っているのが玉ねぎで、地面に丸くなっているのがキャベツよ。あと、棒に絡まっているのがさやえんどうで、わさわさとした葉っぱがカブね」

「あれ? 玉ねぎって、茶色じゃなかった?」

「私達が食べているところは地面の下にあるのよ。カブもそうね」

「へぇ~!」


 私の知らないものがたくさんある! お散歩、楽しい!


「レベンスさんとエリザさんに見せておきたかったものとはこれなんです」


 レックさんが、畑の柵の根本に生えていた草を摘んで持ってきた。幅が広めで葉っぱのふちがギザギザしてる。あれ? これって、シチューや炒めものに入ってた、知らない葉っぱ?


「これは、東の方では"アシタバ"、それ以外の場所では"アンジェリカ"と呼ばれている薬草です。今、葉っぱを摘んだところから、明日には芽が出ているくらい元気な植物で、薬草だけあって、野菜とは比べ物にならないくらい身体を元気にしてくれるんです。これをこれから最低でも週に2回、出来れば3回以上ユキカに食べさせてやって下さい。そのままだと少し苦味と青臭さがあるので、シチューに混ぜたり、一度湯通ししてから使うと食べやすいですよ」


 私もお父さんもお母さんも「へぇ~!」 という顔でレックさんの話を聞いていた。畑の隅っこに生えてる葉っぱが私を治してくれるくらいすごいものなんて驚き!そして、それを知っているレックさん、とってもかっこいい!


 「それじゃ、戻りましょうか。ユキカ、疲れてないか? ほら、俺の背中に乗っていきな」


 レックさんがしゃがんで背中を私に向けた。


「え? だ、大丈夫だよ!」

「夕方も散歩したいんだろう? 遠慮なんてしなくていい。俺の背中で休んでおきな」

「う、うん。じゃあ、お願いします、レックさん」


 私が背中に乗ると、レックさんがゆっくり歩き出した。大きくて温かい背中。心地よい揺れと温かさで、私はいつの間にかレックさんの背中で眠っていた。


 私が目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。私の部屋だ。

 もしかして、みんなで散歩したのは夢だったのかな……

 不安になって、部屋を出て台所へ向かう。

 あれ? 台所が明るい? 今までは、私の為に窓は閉めきられていたから、家の中はどこもランプの明かりだけで薄暗かった。

 私が台所へ行くと、窓の開け放たれた台所で、お父さんとお母さんがお茶を飲んでいた。


「お父さん、お母さん」

「お。起きたのか、ユキカ。よく眠っていたな」

「余程レックさんの背中が気持ち良かったのね」

「うん。大きくて温かくて、すごく気持ち良かったよ。それより、窓……」

「あぁ。レックさんがな、『直接陽の光を浴びなければ大丈夫だから、窓を開けてやって欲しい』と言ってたんだ」

「そうなんだ。良かった。夢じゃなかったんだ。あのね、部屋で目が覚めたから、もしかして、散歩も夢だったんじゃないかと思って不安だったの……」

「そうね。夢のような出来事よね。レックさんに最高の誕生日のお祝い貰ったわね、ユキカ」

「うん! レックさんにいっぱいありがとうって言いたい! あ、レックさんは?」

「今日、ユキカの誕生日だって伝えたら、『それはご馳走作らないといけないな。ちょっと出掛けてきます』と言って、森に出掛けて行ったわ。帰ってきたら、お礼言いなさい」

「うん!」


 夕方より少し前、レックさんは帰ってきた。マルマル鳥を捕まえて! それも3羽も!

 マルマル鳥はこの辺りの森にいる鳥で、名前の通りまん丸の身体をしていて、鶏よりもお肉が柔らかくてすごくおいしい。

 でも、その見かけとは反対に、とてもすばしっこくて警戒心も強いので、村の人でも滅多に捕まえられない。だから村では、結婚式の時に花嫁さんと花婿さんだけが食べられるような大事なもの。村ではお嫁さんにしたい人のお家にマルマル鳥を持ってあいさつに行くのが習わしだとか。だから、村の人から見ると、"レックさんが私をすごくお嫁さんに欲しくて、マルマル鳥を3羽も捕まえてきた"となるみたい。この話をお母さんから聞いたのは、レックさんが旅立った後だったからよかったけど、もし、レックさんがいる間に聞いていたら、恥ずかしさと、ちょっぴりの嬉しさで、レックさんの顔を見られなかったかも。

 この日の晩ごはんはマルマル鳥の丸焼きと、街ではお祝い事の時に食べる、ケーキというお菓子をレックさんが作ってくれた。「街で売っているものとは材料が違うから、味はちょっと違うけどな」とレックさんは言ってたけど、甘くてすごくおいしかった。

 そして1週間後、レックさんが旅立つ日。私はレックさんの腰にしがみついて泣きじゃくった。


「いかないでよ~~! ずっとわたしといっしょにいてよ~~! わぁ~~~~ん!」

「ごめんな、ユキカ。他にも俺の助けを待ってる人達がいるんだ。でも、来年のお前の誕生日の前には必ず寄るから、それまでご飯をしっかり食べて、きちんと散歩を続けて、もっと元気になっていてくれないか?」

「うぅ……ぐすっ……やくそくだよ?」

「あぁ、約束だ。だから、元気で、ユキカ」


 次の年。私が10歳になる5日前。約束通り、レックさんは来てくれた。思わす抱きついた私を優しく撫でてくれるレックさん。


「久しぶりだな、ユキカ。元気そうでなによりだ」

「うん! レックさんの言ったように頑張ったよ!」

「なら、誕生日祝いも兼ねてご褒美をあげないとな。今と誕生日、どっちがいい?」

「え~と、今がいい!」

「分かった。じゃあ、ここで組み立てると部屋まで運びにくいから、ユキカの部屋でやろうか」

「組み立てる? 何を?」

「それは見てからのお楽しみだ」


 レックさんがいつも背負っている大きな荷物に括りつけられた別の大きな箱を取り外して、レックさんと二人私の部屋へと向かった。

 部屋で荷物の包みを解いて出てきたもの。それは……


「これ、鏡!?」

「ユキカも年頃の女の子だからな。こういうものがあってもいいだろう」


 この村だと村長さんのところくらいにしかない鏡。

 私と話しながら、出てきた3枚の鏡を繋げて1枚の大きな縦長の鏡にしていくレックさん。ちゃんと縁は木目の綺麗な木製で、程なくして1枚の姿見が出来上がった。


「すまないな、ユキカ。運ぶ都合で分ける必要があったから、繋ぎ目がどうしても残るんだ。そこは許して欲しい」


 すまなそうに言うレックさん。でも、私は初めて見る自分の姿に見入っていて、返事をするのも忘れていた。


「ふっ、気に入ってもらえたようで何よりだ」

「! ご、ごめんなさい! お礼も言わないで! ありがとう! レックさん! でも、これ、すごく高いんじゃ……」


 そう、鏡はすごく高い。机に置くような大きさでも、行商人に村の特産品や狩りの獲物を沢山売って、それでも何年も貯めないと買えないもの。姿見なんか村で家が建てられるくらい高い。 


「そうでもない。これは俺が自分で材料を集めて、知り合いの鍛冶職人や家具職人に教えてもらって、自分で作ったものだからな」

「えっ?! レックさんが!?」

「ユキカの喜ぶ顔が見たくて、な。でも、街で売っているような、意匠を凝らしたものは出来なかったが」

「レックさん……レックさん!!」


 私はレックさんの首に飛びつくように抱きついた。レックさんが、私のために、私だけのために……。嬉しくて、嬉しすぎて、言葉だけじゃ足りなくて、私はレックさんに抱きついた。


「レックさん! ありがとう! 大好き!!」

「喜んでもらえて、俺も頑張った甲斐があったよ」


 抱きついた私を優しく抱き返しながら撫でてくれるレックさん。私は、私にたくさんの幸せをくれるレックさんともう離れたくないと思った。

 でも、別れの日はやってくる。

 旅立ちの日。私は無言でレックさんに抱きついた。レックさんに撫でられても、顔をレックさんの胸に押しつけて、困った顔になっているはずのレックさんを見ないようにして、力一杯抱きついた。


「……レベンスさん、エリザさん、勝手を言います。ユキカ。聞いて欲しい。この村でもそうだが、子供は15歳になったら大人の仲間入りをする」

「……」


 私は無言でイヤイヤをする。聞きたくない。きっと「大人になるのだから我慢しないと」みたいな事を言うのだと思ったから。

 でも、その言葉の続きは、私が思っていたものと違っていた。


「大人になったら生きる為に仕事をしないといけない。畑を耕して野菜を作る。ヤギや牛を育てる。家や家具を作る。家事をする。どれも立派な仕事だ。お前にはお前のやりたい仕事をして欲しいと思う。だからもしお前が望むのなら……」


 そこでレックさんは言葉を切った。私が顔を上げると、そこにはレックさんの優しくて、でも、真剣な眼差しがあった。


「15歳になったら、治療士になって、俺の助手になってくれないか?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。ううん、分からなかったんじゃなくて、信じられなかった。まるで夢のようだったから。


 村を散歩するようになって、村の他の人たちと話す事が増えて、レックさんが私の家以外でどんな事をしていたのかを知った。

 レックさんの、身体を治す魔法はすごい! 森で魔物に襲われて、手や足がなくなった人の、その手足を治してしまうくらいに。

 でも、レックさんは、急がなければ大変な事になる時以外は魔法での治療はしなかった。出来るだけ、食べ物の食べ方や身体の動かし方、身体のほぐし方など、普通の人でも出来る事を丁寧に説明していた。

 最初はなかなか魔法で治してくれないレックさんを、「勿体ぶってる」と言って悪く言う人もいた。

 でも、レックさんが旅立ってしばらくすると、レックさんを悪く言う人はいなくなっていた。レックさんのしていたのは、自分がいなくなった後でも、村の人たち自身が自分で元気にいられるように、その方法を教えてくれていたのだと分かったから。

 何も見返りを求めず、相手の為を想って躊躇わず手を差しのべてくれる。

 女の子としてレックさんを好きになり、(私は森民だけど)人としてレックさんに憧れた。

 そのレックさんが、私が必要だと言ってくれた!

 夢なら覚めないで!


「"もしかして夢かも?"って顔してるな。夢だったら、俺の手がこんなに温かくはないだろう?」


 私の頬を撫でるレックさんの温かい手。その手に自分の手を添える。

 あぁ……夢じゃないんだ……

 途端に、目から嬉し涙が溢れた。


「レックさんっ! 大好きっ! 大好きっ!!」


 レックさんの首に腕を回して抱きついて、その首筋に顔をうずめた。

 その私の頭を優しく撫でてくれるレックさん。

 私が落ち着くまでそうしていてくれたレックさんが、私を身体から離して立ち上がった。その視線はいつになく真剣なものだった。


「よし。それじゃ、ユキカ・エント治療士見習いに、俺から世界に一つしかないとっておきを贈ろう」


 そう言って荷物から取り出したのは、一冊の分厚い本。


「これは俺の今までに得た知識や経験をまとめたものだ。治療士には丈夫な身体と多くの知識が必要になる。その本や周りの人達に話を聞く事でたくさん勉強して、家や村の手伝いで身体をしっかり鍛えるんだ。分かったな、ユキカ」


 レックさんから受け取った、世界に一つだけの本。それは、レックさんが私に示してくれた光の道の、そのしるべ

 そして、レックさんの言葉の最後。"出来るか?ユキカ"じゃなくて"分かったな、ユキカ"。レックさんは私なら出来ると信じてくれている。後は、私がやるかやらないか、それだけだと言ってくれてる。


「うん! 私、頑張るから! 絶対にレックさんの助手になるから!」

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