1-2 推察/63A8 5BDF

『…言………作。…い…倍塔波の復…を確認。正常に起動、覚醒状態です』


 うつ伏せに寝かされて首の接続端子を開けられ、大量の電線が天井に伸ばされているのを感じる。

 目の前は床と、離れていく人工呼吸器と左瞳孔撮影機の機械腕、そしてこれまた大量の配線。生還したというのにあまりにも物々しい光景だな、と彼は思ったそうな。


「よお起きたか、本国最高の諜報員め」


「本国最高の僥倖ぎょうこう男からの命令だ、今は俺が海に落ちてから3日で相違無いか、イヨは無事か、カラタケは確保されたか! 教えろっ」


「シッ」

 摩擦音が鋭く響き、配線の多くが抜かれるとゆっくりと体の向きが仰向けにされていく。

 傍らには唇に食指を当てた、長身痩躯白髪の青年……調子のいい賞賛を投げかけた男でもある彼は、イヌカヒアラヤ。もしもケナが最高の諜報員ならば、アラヤはさしずめ国家連合捜査局の精鋭、といったところか。


「……?」

 張り詰め、一言も誰も発しない静寂の理由を、ケナはアラヤに視線で問う。アラヤの視線には…… 畳に横たわり毛布を被せられ、眠る少女の姿があった。


「ずっと、お前が目を覚ますのを待ってたんだよ。4時間前俺がここを訪ねた時気丈にも挨拶を交わしてくれたが、俺がここに逗留すると知った途端崩れ落ちるように眠った。30時間ぐらい起きていたらしい。……彼女が回線自閉状態から解放処置を受け、意識を取り戻したのが大体56時間前。

 湾内の救出劇は相当大変だったらしいぞ、浮かび上がったものの視覚も体の自由も奪われた女の子と、浮きもつけずに助け出して沈んでいった大虚おおうつけと、鉛弾を喰らって、生きてるのか死んでるのかいずれともまだ知れぬ窺見うかみ、の計三人を引き上げるのは。……およそ64時間前の大騒ぎだ」


「……ハァ、無事なら本当に良かった」


「まあ事情は三国の首魁しゅかいによって、お前が会談前に植え付けられた情報と相違はない。ここまで事件が大きかったと判明することになったのは本当に幸運だった。

 お前の突入によって王位継承者の喪失という最悪の事態もありえたわけだが、もしも気づかなければいつしか、オキのどことも知れぬ裏路地で記憶を売られた抜け殻か、臓器を売られて諸国で彼女の痕跡が見つかっていたかも知れないな」


「カラタケらが迂闊だったのは、武装や通信を秘匿しながらもそれを扱う暗号鍵自体は積極的に稼働させていたことだ。そして、その端末を積載した巡航船が、ヤサカの帰る船着場に偶然あったこと。視覚的に見ればあの船はかなり怪しかったし、そこにきて暗号の更新の痕跡が決め手となった」


「本当によくわかったもんだ」


「お前もあの場に行けばわかる。陽も昇らぬ曙前の海辺に物々しい船が一隻、高度な暗号通信を発してるのを見て、怪しまない奴は捜査官でも殺し屋でもない」


「お前のいう……ってやつだな」


「殺しの嗅覚だ。殺しをしたり企んでるやつは、俺のような汚れ仕事と似た気配を持つ。お互いに否が応でも理解できるものさ。お前も背中刺されたくなきゃ、俺をそばに置いておくべきだな」


「ああ、そうならんようにもっと殺しの仕事を請負えたら……いいんだがねえ」


「……今の話、あいつに聞かれてなきゃいいが」

 ケナはそっと眠るイヨに目を向ける。


「お前がなんだろうと、人の命を救ったことに変わりはなかろう?」


「そういうところに無頓着なのがお前の悪しきところなんだが…… 覚えておけ、けがれを負うものは忌むべし、というのが普通の人間の反応だ」


「此の世に穢れなきものなどいると思ってんのか? お前自身がよくわかっていることだろう」

 アラヤは広い肩を大げさに竦めてみせた。その挑発的な様を見てもケナは理性的に、淡々と応える。


「よくわかっているさ。そう知りつつ自分は祝福されていたいという者や、何にも動かされず平穏に生きていたいという者が多いことも。……そんな奴らのために俺やお前のような人間がいるんだよ」

 そう言ったケナは少し寂しい顔をしていたという。彼がその胸の内に秘めた苦悩を、わたしが知ることになるのはまだ先のことだった。


 


「さて、カラタケは手中に無し……となると、俺が眠りこけている間に、あのむすめからどれだけの情報を引き出したんだ」

 床にあって身を起こしながら、ケナは義体の動作を確認しつつ、脳の回転も探り始めるかのようにアラヤへと問う。


「視覚器官と意志出力を遮断され、常に貨物内で流動食を与えられ運ばれた。人員との連絡は最低限で、そいつらに関する情報記憶も曖昧……だそうだ。

 首の端子に挿入されていた機器も解析されているが、そいつら以外に関連性のある外部からの介入の痕跡はなし。何しろお前やイヨが記録した通信における処理機関の宛名も識別子も、きれいさっぱりろぐとともに消え失せちまっててな」


「俺の記憶情報が消えたのか」


「通信幹録のみだがな。靑鰉うちの情報研が解析を行っているが、どうも識別子宛名そのものが開示されていなかった可能性が高いって話だ」


「いよいよ黒の匂いが濃くなってきたな。存在を気取られるような仕事をしているあたり、挑戦的なのか傲岸なのか…… あるいは、それが当前の行為であると思っているのかもしれない」


「冴えてるなあ、囁きが」


「多角的な意見が聞きたいな。今回の黒幕、どんな人物だと思う」


 アラヤは深思考に眉をひそめ、考察する。

「あまりにも情報が揃ってなさすぎる…… 今察するに早計だが、この千早振る神代に大悪を成そうと思う人間だ。反体制的な人間であることは間違いない」



「反体制的か……」

 目を閉じ鼻頭と口元を挟むように手を合わせ、大きく息を吸う。ケナのその癖は、本人がそれを喩えた事項を嫌うにも関わらず、まるで遠神に教えを請うような所作だ。

 そして一呼吸ののち、目を開くと、その口からはひらめくような言葉が漏れくる。

「この世界における体制とはなんだ?」

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