十六杯目

「峯山さん、いらっしゃいませ」

 昼下がり、扉を開けたのは常連の峯山だった。普段は一人で来ることが多いのだけれど、今日は珍しく後ろに、峯山よりも二回りは若い男の人を連れていた。峯山の会社の人なのだろうか。峯山は、この近くでイベント関係の会社の社長をしていると前に言っていた。

「ケーキセット二つ、お願いします」

「峯山さんはいつも通りですか?」

 ケーキと、ホットのブラックコーヒー。

「ええ。それで。西、お前は?」

 どうやら、西と言うらしい。呼び捨てにするのだから、やっぱり社員なのだろうか。或いは、年の離れた友達ということもあり得るだろうか。峯山は機械にもそこそこ造詣が深いようだから、インターネットとかで知り合った人、ということだって、今の時代無くはないのだろう。

 とは言うものの、それはあめが気にするようなことでもない。

「あっと、カフェオレで」

「ホットとアイス、どちらに致しますか?」

「ホットで」

 外は寒い。当然と言えば当然だ。

「かしこまりました」

 峯山は、一番奥の席に座った。空いていれば、いつもあそこに座る。西はその隣に、ちょっとだけ居づらそうに腰かけた。氷なしの水を二人の前に置く。

「珍しいですね」

 二人で来たことだ。

 ドリップ用のポットにお湯を移し替えながら、なんとなく言う。

「ちょっとね、新人なんですが」

 新人ということは、年齢は、同じか一つ下くらいなのだろう。前に仕事をしていたというのなら、あめよりも少し上かもしれない。

「取引先の方と言い合いになってしまって……」

 なんとなくいつも通り話していたあめと峯山に釣られてか、西が頬を掻きながら恥ずかしそうに言った。世の中、色々な人が居るものだ。そりが合わない人も、一人や二人居てもおかしくない。――あめが両親と合わないように。

 豆を二人分挽いて、ネルに移し替える。カップも、カウンターの上に置いて、沸かしている方の大きなポットから、少しだけお湯を入れる。

「こんなこと言っちゃなんですが、色々なん癖をつけてくるような人も居ますからねぇ。それで値段を安くしようってんですよ。よくある話です」

 取り扱うイベントというのがどれくらいの規模のものかは知らないけれど、それなりのお金が動くのは間違いないはずだ。何せ、大した会場を使わない魔法使いたちの会合だけでも、一人あたり一万円参加費を徴収するのだ。内訳は知らないけれど、兎に角、お金は動くだろう。

「どうしてもやりたい気持ちは分かりますけどね、ウチはNPOじゃないんですよ」

「こらこら」

 熱くなりだす西を、峯山が窘める。その様子を眺めながら、あめは豆に一滴ずつ、ゆっくりとお湯を垂らし始めた。

 なんだか二人は、親子のようにも見える。峯山が老けている、というのではないけれども。

「利益を出すというのも、考え物ですね」

 魔女珈琲店にしても、決して安いわけでは無い。もっと頑張ってやりくりすれば多少は安くも出来るのかもしれないけれど、今の値段設定も結構ギリギリなのだ。チェーン店のように沢山のお客様を入れて少しの利益を沢山得る、というやり方も出来ないから、自分の生活費を考えるとどうしても割高な値段設定になってしまう。飲もうと思えば三百円やそこらで飲める珈琲を六百五十円で出しているのだって、高いと言ってしまえばそれまでだ。

 二滴ほどネルから珈琲の液が滴り落ちたところで、一旦ポットを置く。少しだけ、蒸らすために置いておく。その間に、ミルクを小鍋に入れてコンロに弱火で掛ける。

「とはいえ、値段に見合ったものを提供できているのか、というのも考えなければいけないところですね。一種のブランドにして高くすることは出来ますが、それではあまり意味がありませんから」

 珈琲にしても、そういう豆はある。わざと生産量を落として、希少性を上げて値段を上げるもの。

 値段は同じでも、手間をかけた結果の値段と、希少性を上げた結果の値段では、また違ったものが出来上がる。勿論好みの問題もあるけれど、あめは手間をかけたものの味の方が好きだし、店でもそういうものを出している。

「お客様に満足していただくためには色々と考えないといけないこともありますよ」

 峯山はそう独りごちた。

 店をやってはいるけれど、あめにはいまいち経営のことは解らない。最低限、生きていけるように運営するので精一杯だ。

 難しいなあ、なんて思いながら、あめは再びポットを手に取った。ネルの中心に、細く丁寧に湯を落とす。

「でも、あんな無茶なこと言われたら――ウチにだってプライドってもんがあるじゃないですか」

「それは勿論そうだ。だが、方向性が合わないならば仕事は請けられないと、そう言えばいいじゃないか。わざわざ喧嘩をする必要はない」

 ぐ、と西が口をつぐむ。

「あめさんは、もし方針の違う店と――例えばの話ですが、提供までの時間を減らすために多少ドリップを手抜きするような店と一緒に仕事をするとしたら、どうしますか?」

 ――どうするだろう。

 あくまで、丁寧にいれて美味しく飲んでもらうというのは、この規模の店だからこそできることだ。だから。

「状況にもよりますけれど」

 もしお客様が沢山居て、そこまで気を配っていられないとしたら、多少は仕方のない部分も出てくるだろう。自分が正義だとは思わない。一緒に仕事をするというのなら、その店のやり方との妥協点を見つけるしかない。もしそれがないのなら――

「私は私の仕事をします」

 それしかないと思う。

「ドリップの仕方一つとっても、お店によって違うわけですからね」

 機械でドリップをするなら、そもそもあめは必要ないわけだし。

 豆は、ネルの中でふわふわと膨らんでいた。

「大人だなぁ」

 西が呟いた。

 自分が大人かどうかはわからないけれど、普通の人よりは長い時間を過ごしていると思う。魔女の訓練というのは、時空を捻じ曲げるようなものだったから。でも、だからどうというものでもない。人と接してきた時間は、寧ろ普通の人よりも短いだろうし。

「自分が出来ることをやるしかないよ」

 峯山が、あめのあとを押すように言った。

 抽出が終わったら、ネルは取り敢えずシンクの方へどかしてしまう。ミルクはまだもう少し火にかけておいても大丈夫そうだった。

 珈琲をカップに移す前に、冷蔵庫の中から朝作ったケーキを取り出す。今日は、いちごにした。二人分切り分けたらお皿に乗せて、ホールのケーキは冷蔵庫に戻す。ホイップを添えて、ケーキのほうの準備は終わりだ。先に二人の前に置く。

「美味しそうですね」

「日替わりで、いろんなケーキが食べられるんだよ」

 はは、と笑って、峯山がケーキにフォークをさしこんだ。それに倣うように、西もケーキの先を少しだけ切って口に運んだ。

「美味しい」

「それはよかった」

 そうこう言っている間に、ホットと、カフェオレもカウンターに出す。

「オレ、社長にどんなところに連れていかれるかと不安だったんですけど」

 カフェオレを嚥下してから、西が口を開いた。そんな話し方をして気管に入ってしまわないものかと、少し不安になる。

「いいとこ教えてもらいました」

「そりゃあね、傷心のキミを慰めるには、とっておきの店を紹介しないとだろう」

 とっておきの店、と言われるとなんだかちょっとくすぐったい気持ちになる。どういう顔をしていいかわからなくて、あめはなんとなく微笑んだ。そう言えば、前に峯山は「救われた」と言っていただろうか。そんな大層なことはしていなくて、やっぱり自分の出来ることを、やりたいことをやっているだけなのだけれど。

「また来ようかなぁ」

「是非来るといい。穴場だよ、穴場」

 ガハハ、と峯山は大きく笑った。

 ――穴場、ね。

 峯山の以前の投稿を見てきた、と言う人が結構沢山居るというのは、言わないでおこう。

 あめは微笑んで、それからご褒美と思って、自分用に珈琲の準備を始めた。

 ――ご褒美って、多すぎるかなぁ。

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