第30話

「痛い痛い痛い痛ぁい! 止めて! 手首があり得ない形になってる!」


 エマが手を離すと、アーディは涙目で手首をさすり始めた。



「私がユウさまと愛し合っていたというのに、あんな……あんな……」


「あんなって……私一体何をしたのよ?」


 すると、エマは意外にも口ごもった。視線をあっちへそっちへさ迷わせ、さっと顔に朱を散らした。



「そ、それはその……えぇと……と、とにかくっ!」


 コホンと咳払いをすると、エマはまた俺の腕に手を絡めてきた。


「私たちは愛し合っているんです。貴女の入り込む余地はありません。さようなら」


「だから冷たすぎないっ!?」



 明るい会話に楽し気な光景を見つつ、俺はどうしてこんなことをしているのかと記憶を辿った――




 アーディが魔物と戦い負傷した……


 その情報に一番関心を示したのは、意外にもエマだった。



「プロ助さん、お願いがあるのですが」


 屋敷に戻ると、一人でボケっと過ごしていたプロ助にそう言った。


 プロ助が驚いた顔をしたのは無理もない、正直言って俺も驚いた。



「イ・ヤ・だ!!」



 が、プロ助は返す刀で切って捨てた。


 一字一句区切るような言葉。多分、文字に起こしたら顔文字みたいになってるな。



「お前がわたしに頼み事なんてどうせロクな事じゃない! それにわたしはプロ助なんて名前じゃないっ!!」


「……そうですか」


 ユラリ、と不気味に動いたエマに、プロ助はビックゥ! と体を震わせた。


「な、なんだっ!? おおお脅したってムダだぞ! わたしは脅しには屈指にゃいっ!」


 思いっきり噛んでいた。



「残念です……」


 エマの口から出た言葉が余程予想外だったのだろう、プロ助はキョトンとした顔になる。



「偉大なアプロディーテ様なら、頼みを聞き入れてくださると信じていましたのに……」


「!」


 あまりされない呼び方に、プロ助は大きく反応する。



「信者が困っていれば、無条件に手を差し伸べる。貴方はそういう偉大で素晴らしい女神さまだと思っていましたのに」


「偉大で素晴らしい女神!」


「もしそういう方なら、きっと皆から尊敬され、崇め奉られるでしょうに……」


「崇め奉られる!!」


「残念です。どうやら、貴女は尊敬される女神ではないようです……」


 そういって踵を返すエマを、



「待てっ!!」


 プロ助が呼び止めた。


「何ですか?」


「気が変わった。そこまで困っているならこのわたしが頼みを聞いてやろうじゃないか! 私は偉大で素晴らしい女神、アプロディーテだからなっ!!」


「まあ、本当ですかっ?」


「当然だとも! すべてこのわたしに任せるがいい!! あーーっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」



 高笑いする女神。


 ちょれー。ちょーちょれー。


 だってコイツ、エマが「計画通り」的な笑みを浮かべていることに全く気付いていないんだもの。




 で、だ。


 基本的に煽ることばっかりなエマが何故プロ助をおだてたのかと言えば、



「安心しろ。アーデルハイトは無事だったぞ」


 アーディが負傷したというので怪我の有無を確かめてきてほしいというものだったんだが、



「あ、あの、アプロディーテ様? 一体何事ですか……?」


 早まったプロ助が皇女を誘拐してきやがった。



 …………



 ……………………



「何をしているんですか貴女は?」


 一瞬呆気にとられていたエマが、プロ助を射抜くように見た。


「何って、お前が言ったんじゃないか。アーデルハイトの無事を確かめて来いって」


「私は怪我の有無を知りたかっただけです。誘拐してこいだなんて言った覚えはありません。大体、いきなり皇女を連れ去ったりしたらどうなるか、貴女分からないんですか? この駄女神ッ」


「誰が駄女神だ誰が!!」


 プロ助の威厳は、一瞬で崩壊したのだった……



 プロ助と共に王宮に戻り、事情を説明してまた戻ってくる、という面倒なことをしたアーディは、


「怪我をしたというのは私じゃないわ。部下の団員よ。それも重症じゃなくて軽症」


 と、拍子抜けすることを言った。


 どうも〝怪我をした〟という部分だけが独り歩きして、どんどん話が大きくなってしまった、ということらしい。



「でも意外ね。貴女が私を心配してくれるなんて」


 アーディがエマに怪訝な瞳を向けていた。


 普段の言動がアレだからな、何か企んでる、とでも思われてんのかな。



「……別に心配したわけではありません。貴女がいなくなるということは、便利な後ろ盾が消えるということ。それだけです」


 エマがツンデレになった。


 なんかコイツ、様子がおかしくないか? ……正確にはいつもより、だが。



「最近、魔物が活発に動いているという報告があったから、討伐しに行ったの。そうしたら……少し遅れをとってしまって。でも大丈夫、次は成功させるわ」


「随分フットワークが軽いんですね」


「もうじきお父様とお母さまがお帰りになるんだもの。それまでに問題は解決させておきたいの」


 いつになく真面目な様子のアーディ。


 普段のポンコツっぷりから忘れそうになるが、コイツ皇女だもんな。


 俺は気楽でよかった……




 と、思っていた時期が俺にもあった。


「ユウさま、足元にお気をつけ下さい。転んで怪我をされては大変です。なので、私から離れてはいけません。絶対に……」


 言いながら、エマは俺の足元にある石や枝を魔法で弾き飛ばしている。



 アーディの言う魔物討伐。


 どうしたわけか、俺はそれに付き合う羽目になった。


 というのも、



「まったく、どうして貴方たちがここにいるのよ……」


「私たちはピクニックに来たんです。貴女こそどうしてここにいるんですか? 偉そうに次は成功させるといっていたくせに。サボりですか?」


「違うわよ! 活発になってるっていう魔物がいるのがこの鉱山なの!」


 まったく、とため息交じりに言うアーディだが、エマはもう興味をなくしていた。


 俺たちと距離をとって歩いていたプロ助に、



「さあ、プロ助さん。出してください」


「……まったく、なんでわたしがこんな事を……アッハイ、出します」


 ぶつぶつ文句を言っていたプロ助だが、エマに杖の先端を向けられるや否や素直に従った。



 プロ助が手を翳すと、空間が歪んでそこからイスやテーブル、バスケット、ティーセットなどが出てきた。


 テーブルクロスを引き、素早くお茶の準備を済ませたエマは、



「さあ、ユウさま。どうぞお座りください」


 俺が大きめのイスに座るとエマはその隣に体を密着させるようにして座ってきた。


「ユウさま、私、今日の為にとっておきの茶葉をご用意したんです。それにサンドウィッチやケーキも……さあ、お口を開けてください。あーん」


 大人しくサンドウィッチを食べる。


「うん。とても美味しいよ、流石はエマだね」


「ありがとうございますっ! 喜んでいただけて光栄ですわ……では、もう一口」



「ちょっと待ちなさい! 貴方たち何をしているのっ!」


 くつろぐ俺たちに対し、何やらお怒りの皇女様が一人。


「魔物がいるんだから早く……」


 ここから出なさい、とでも言おうとしたのだろう。


 だが、その言葉は途中で途切れることとなる。


 何故なら……



「 ―― グォオオオオオオオオオオオオオオオッッ!! ―― 」



 異形の魔物魔物たちが俺たちを取り囲んでいたのだ。

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