第24話

「おはようございます、ユウ様」


「ああ。おはよう、エマ」


 ニコリと笑顔を返す。


 俺は今ベッドに寝ており、その体は縛られていない! 体が縛られていないっ!!



 ……いや、本来それが自然なんだがな。


 最近毎朝がアレだったから逆に新鮮だな、これ。



 ほんの一瞬、何か物足りねえなと思ったのは気のせいということにしよう、うん。




 俺がこの世界に転生させられて、早数年……と言いたいところだが、まだそれほど日数は経っていない。


 随分密度の濃い日々を送ってきたからな。何せ、エマと伊織が殺し合ったのはつい昨日のことだ。



 ブチ切れた伊織のせいで危うくまた死ぬところだった。


 その伊織はといえば……



「おはよう、ゆーくんっ」


 キッチンから、俺へとにこやかな笑顔を向けてくる。


「エマさんも。おはよう」


 俺だけでなく、エマに対しても。



「……どうも」


 エマは明らかに警戒している。


 まあ、無理もない。今の伊織は、昨日エマと殺しあった時とはまるで別人だしな。


 伊織のアレな性格を知っていなければ、俺も驚くし。つーか最初知ったときめっちゃ驚いたし。知りたくなかったことの一つだ。



「ま、何でもいいです」


 言葉の通り、エマはどーーでもよさそうだ。


「ユウさまのお食事はこの私が作ります。あなたは引っ込んでいなさい」


「え? う~ん……」


 すると、エマはちょっと困ったような表情をした。


 した、が、俺には分かる。コイツ、企んでやがるな。



「いいけど、もうほとんど作っちゃったし……エマさんはゆーくんと待っててよ。ゆーくんが退屈しないよう、話し相手になってあげて?」


「……そういうことなら、仕方ありませんね。どうぞ安心してください。ユウさまのお相手は、この私が務めますので」


 ……おおぅ。


 すげぇ。伊織がエマを丸め込みやがった。


 これも昨日の殺し合いからは考えられない光景だが……



 そもそも、これが伊織の素なのだ。や、正確には一面というか、表の顔な。


 普段の伊織は、明るくて優しくてとってもかわいい女の子なのだ。


 ……そう、普段は。



 こっちの伊織ならな。プロ助もビビらずに済むんだろうが……


 て、どうにも静かだと思ったらプロ助どこ行った?


 家出するとか何とか言ってた気がするが、マジでしたのかな。



「ユウさま、今日は私に付き合っていただけませんか?」


「ああ。いいよ……ん?」


 やべ。ボーッとしてたから生返事しちまった。寝起きはどうもな。


 エマ今なんて言ったんだ? ……ま、いいや。適当に話し合わせとけ。



「俺がエマの頼みを断るはずがないだろう? 何でも言ってくれていいんだよ」


 笑いかけると、エマは何やら感極まった様子だった。


 口元を押え「ユウさま……っ!」といったかと思うと、感極まったように抱き着いてきた。


 柔らかな二つの感触が体に押し当てられ、柑橘系の甘い匂いが香る。


 …………なんか、一気に目が覚めてきた。



 黒のミニスカートから伸びる足は、相変わらず艶めかしい。


 いつもは怪しい黒い光が宿っているエメラルドの瞳は、今は本物の宝石みたいに輝き俺を見つめている。



「そんなふうに言ってくださるだなんて! やはり私たちは運命の赤い糸で結ばれているのですね……っ!」


「ああ、そうだねエマ。俺もうれしいよ」


 さっきよりも覚めた頭で言って、エマの顎を指で挟んで上を向かせる。



「ユウさま……」


「エマ……」


 そして、俺たちはお互いに顔を近づけ……



「ねえ、ゆーくん」



 一時停止のボタンでも押されたように、動きがピタリと止まる。



「お料理できたから、持って行ってくれる?」


「あ、ああ。分かった」


 ……あっぶねー。すっかり状況忘れてたぜ。伊織もいるんだった。


 怒らせたらまた殺される。ここは大人しく従っとこう。


 と思って立ち上がろうとすると、



「……まったく。私たちの仲を邪魔するだけでは飽き足らず、ユウさまを働かせるとは。なんて女でしょう。私がやります」


 エメラルドの瞳に黒い影を宿して伊織を睨めつけ冷めた声で言い、


「ユウさまはここでお待ちください。すぐに準備を済ませますから」


 俺には正反対といえる優しい声をかけて、立ち上がったのだった……




 なんつーか、いたちごっこだよなあ。


「さあユウさま、お口を開けてください。食事は私が食べさせて差し上げます。いつものように」


「うぅん、これは私がゆーくんのために作ったものだもん。だから私が食べさせてあげるね。はい、あーん」


「は? 何を寝ぼけたことを言っているんですか? ユウさまの食事の邪魔をしないでください」


「エマさんこそ、これじゃあゆーくんがゆっくり食べられないでしょ? それに今は恋人の時間なんだし、遠慮してほしいなあ」


「ふふふ。面白いことを言いますね。その言葉、そっくりそのままお返ししますわ」


 二人の会話を聞き、そう考えずにはいられない。


 窓の外はいい天気だっていうのに、俺たちの周りだけ暗雲が立ち込めている。



「ありがとう。じゃあ、まずは伊織のを貰おうかな」


 と言うと、嬉しそうな顔をして俺に食べさせてくれ……一瞬、エマに向けた顔が勝ち誇ったような表情を作った。


 瞬間、冗談でなく、世界の温度が下がる。



「ユウさま。何故、私ではなくその女を選ぶのですか……?」


 エマの顔に影が差している。


 先ほどまでとは違い、その声は海の底を思わせるほどに冷たかった。


 ……ま、こうなるよな。



「いや、エマ。別に順位をつけたわけじゃないよ。たまたま伊織のを食べたかっただけさ。それに……」


 一度言葉を切り、じっとエマを見つめる。


「しょっぱいものを食べたら甘いものが食べたくなるからね。ありがとう、エマ」


「いいえ! お役に立てて光栄ですわっ!」



 嬉しそうにはにかむエマを見て、俺は内心ため息をつく。言うまでもなく安堵の息だ。


 ……な、何とか生き延びたぞ。


 いたちごっこをしているのは、どうやら俺も例外ではないらしい。

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