第16話 綱渡りの彼女

「さあ、ユウ様。お口を開けてください」


「ありがとう、エマ」


「いかがですか? お口に合うといいのですが……」


「うん、とてもおいしいよ」


「ああっ。それは何よりです。さあ、もっと召し上がってください」


「ありがとう。ところでさ、一つ訊いていいか?」


「はい。何なりと」




「なんで俺、縛られてんの?」




 朝起きたらイスに縛られていた。なにを言ってるか分からねぇと……


 ってまたかよ! いい加減にしてくれよ血行が悪くなんだろうが!


 朝起きたときからずっと縛られてるし! そして俺の膝に座ったエマが口元に食事を運んでくる。まさかこのパターン、テンプレにするつもりじゃねぇだろうな!?


 焦る俺とは裏腹に、エマは「あら」と小首をかしげる。



「ユウ様ったら、昨日も申し上げたじゃありませんか。あなたのためです。もう、伴侶の言うことはきちんと聞いて下さらないと困ります」


「そっ、そうだったな、うん……」


 いや、嘘つけや。


 と思うが、エマは本気でそう信じてるんだよな。である以上、俺もその妄想に付き合わなければ!


 なんだが……



「んんーーーーーーっ! んんんーーーーーーーー!!」


「んんんんんんんんんんーーーーーーーーーーーー!!」



 どこからか聞こえてくるくぐもった悲鳴が、昨日よりも一つ多い。


 最初は無視していたエマだが、やがて顔を歪めて舌打ちをした。



「まったく、ほんとうに、喧しい連中、だこと……」


 一言一句、低く、ゆっくりと、口から声が零れ落ちている。


 立ち上がると、影みたいにゆらゆらした動きで昨日とおなじ、部屋の隅のドアを開ける。すると、


 ゴロン、ゴロン。


 転がり出てきたのは、一人と一柱。アーディとプロ助である。



「うるさいですよ。ユウ様がゆっくりと食事できないじゃありませんか。この、クズ虫……っ」



 暗い光を帯びた目が二人を見下ろす。が、返ってくるのは「んんーー!」というくぐもった声だけ。エマは軽く鼻を鳴らすと、つま先で蹴るようにして猿轡を外した。



「おはようございます、いい朝ですね」


「どこがよっ!!」


 アーディが吠えた。



「昨日といい今日といい、貴女これお約束にするつもりじゃないわよね!?」


 あ、また俺とおんなじこと言ってる。気が合うな。


「私を縛るのはまだいいわ! いや、全然よくないけれど、それでもいい! とりあえず目を瞑りましょう。けど、アプロディーテ様まで縛るのはどういうつもり!?」


 そのプロ助はといえば、猿轡を外されたというのに声も出ないらしい。光の宿っていない目でボケっと虚空を見つめている。


 エマはそれをチラリと一瞥して、



「別に、どうも」


「ベツニドウモ!?」


「興味ありません」


「キョウミアリマセン!?」


 温度差。


 激しすぎるだろ。見てると風邪ひきそうだ。



「私、何度も言いましたよね? ユウ様と私の邪魔をしないで下さいと。私が、こんなに、必死に、下でに、何度も、お願い、しているのに、どうして、聞いて、くれないんですか? ねえ……」


 言いながら、エマはまた杖でアーディをつついている。



「ちょ、ちょっと、それ本当に止めてっ。心身ともに痛むからっ」


 抗議するも、アーディはすっかり勢いを削がれた様子。そのすぐ傍で、死んだ魚のような目をするプロ助。


 朝から密度が濃すぎるが……


 この惨状を前に欠伸が出てしまうあたり、俺の感覚も順調に狂ってきてるみたいだ。



 ……ま、元から耐性はあるからな。元カノのせいで。




 どうしてこんなことになっているのか。


 それは昨日まで遡る。



「帰れなくなったって、どういうことだ?」


「そ、それが……」


 プロ助はさっき俺を連れていった空間に帰ろうとしたらしいのだが……



「なんか、空間がめちゃくちゃに破壊されてる」


 ということらしい。


 どうやら、エマを閉じ込めていた空間が破壊されたことで、その余波であの空間も破壊されたらしい。



「それは災難ですね。ではお引き取り下さい」


 空間を壊した張本人が、無慈悲なことを言った。


「いやだから帰れないって言ってるじゃないかぁっ!」


 無茶ぶりをされたプロ助は涙目だ。家に帰ろうとしたら家が壊れてた。さぞ衝撃だろうなあ……



「大丈夫ですか、アプロディーテ様っ! お怪我はありませんか!?」


 エマとは対照的に、アーディが心配そうに駆け寄っていく。


「どどどどうしようっ!? 帰る場所がない!!」


「落ち着いてくださいアプロディーテ様! 大丈夫、お家が壊れたのなら、ここに住めばよいのです」



 ……………………



「「は?」」


 俺とエマは同時に声を上げる。



「あなた、何を言っているんですか? 気はたしかですか? 頭ハレンチじゃないんですかハレンチ皇女」


「どういう意味よっ! ていうか私ハレンチじゃない!」


「何度も言わせないでください。ここはユウ様と私の愛の巣なんです。邪魔者は消えてください邪魔だから」


「邪魔邪魔言うな! 傷つくだろ!」


 と、涙目のプロ助。



「そう邪険にしなくてもいいでしょ? 別にいいじゃない」


「じゃああなたが城に住まわせればいいじゃないですか」


「そうしたいけど、私が城にいないのに客人を招くわけにもいかないもの」


「じゃあ貴女もセットで消えてください。そうすればハッピーエンドです」


「私が見張っていないと、貴女たちがハレンチなことするじゃない!」


 それはアーディがいてもいなくても変わらないんだが、彼女にとってそこは譲れない一線らしい。


 それからまた少し揉めたんだが、結局俺がエマを説得する形でプロ助も住まわせることになった。口から出まかせで誤魔化した。経験が生きた。



 正直面倒なことになる未来しか見えないが、だからと言ってコイツを追い出すと、俺の知らないところで俺の前世をぺらぺら喋りそうだし、仕方ない。




 そして現在――


「つつかれるのが、イヤなら、そろそろ、いうことを、聞いてくれませんか?」


「ちょ、まっ、い、いたいっ! ほんといたいからっ」


 アーディをつついていたと思ったら、エマは唐突に視線を近くにいるプロ助へとむけ、杖の先端でその体をつつく。



「貴女もです。いつまで呆けているつもりですか? 誤魔化そうとしたって、そうはいきません」


 すると、プロ助は数秒経ってからビクンと体を震わせて周りを見る。そしてエマと目が合うと、


「ひぃっ!?」


 悲鳴を上げた。



「おっ、おまえぇ! よくもやってくれたなああ! わたしは神なんだぞぉ!!」


 プロ助は上ずった声で叫ぶように言う。……アーディの後ろに隠れながら。


「うるさいですよ。朝から騒がないでください。近所迷惑でしょう」


 おい……おい、嘘だろ?


 コイツ、近所迷惑とか気にするのかよ……


 なんてこと、気にしていられない。このままじゃ埒が明かんし、第一、俺の拘束を解いてもらわなきゃな。結局、昨日は一日中解いてくれなかったし。風呂に入ったとき以外。



「エマ、昨日も言ったじゃないか。他の奴らなんて無視すればいいんだ。ほら、こっちへ戻っておいで」


「ゆ、ユウ様……はい、ただいま参ります」


 ウットリとした表情で、エマは戻ってきた。俺の膝の上に座って、首に両腕を絡めて抱きついてくる。



「ご安心ください。私はもう、どこへも行きませんから」


 そういう意味じゃないんだが……まあいい。



「いや、いいんだよ。でも、エマが気にしてしまう理由も分かるんだ。視線っていうのは、気になってしまうものだからね。そこでさ、ひとつ提案があるんだけど」


「何でしょう? なんでも仰ってください」


「あのさ、気分転換も兼ねて、ちょっと外に」


「ダメです」


 無慈悲。


 なんでも仰ってください(何でもいうこと聞くとは言ってない)ってことか。



「外には危険がたくさんあります。ですから、ずぅっとここにいらしてください。そう、ずっと。永久に、永遠に、久遠に。それが一番安全ですから……」


「それはもちろん分かってるけどさ」


 あくまでもエマの機嫌を損ねないよう、俺は慎重に言葉を選びつつ言う。



「エマと一緒に出掛けたいんだ。俺はまだ、この国のことを全然知らないから、エマと一緒に出掛けて、エマに教えてもらいたいんだよ。頼むよエマ、こんなこと、エマにしか頼めないんだ」


 すると、エマはちいさく震えだした。両手で口元を抑えたかと思うと、やがて絞り出すように言う。


「はい……はいっ! もちろんです、ユウ様! すべて、このエマにお任せください……必ずや、ご期待に応えてみせます……」



 よっしゃ!


 俺は心の中でガッツポーズをする。


 どうだ! この俺の弁舌は! 俺にかかりゃチョロいもんだぜ!



 そんなわけで、俺は久しぶりに外に出ることができたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る