「着いたよ兄ちゃん」


 金髪の少年に引かれた手が止まり、見つめる青い瞳が閉じた。ニコニコと、イヴァンは年相応の純粋な笑顔をフィリップへ向ける。日差しが肌を刺すようなアフリカだが、屋根の下に入るとふわりとした涼しさが二人をつつんだ。

 AP部隊待機用ハンガーだとイヴァンは言った。ドラケンスバーグ基地本部は地下の奥深くまで連なっているものの、即応体制を維持するため複数のAP部隊は切り立った峰々に覆い隠された施設でひたすらに出撃を待つ。さしずめそれは番犬だった。


「どうよ。俺の愛機」


 先ほどの笑顔が再びはじける。

 ひび割れた鉄筋コンクリート製ハンガー。所々埃っぽく重油と金属の香り漂うそこにたたずむのは、五、六メートルは軽く超える鋼の巨人、もといAP「カヴェナンター」。

 擦り切れた黄土色の砂漠用迷彩の隙間からは、生々しい鋼の色合いが爪痕のように露出する。生気を感じない無骨な頭部には非生物を体現するような単眼と、涙跡のようにこびりついた水垢が印象的だった。そこへ作業服を着込んだ四人の男が大声で騒ぎたて整備を敢行する。時折、フィリップを物珍しそうに眺めながら。


「あーーーーーーーーーーーーーーー!」


 だが初めて実戦用APをまともに見る感動に酔いしれていたフィリップを現実へ誘うように、隣で怒号が鳴り響く。男たちが全員声のほうを振り返った。


「なんでキルマーク消しちゃったんだよおじさん!」


 描き直しだと不平不満もあらわにイヴァンは乗機へ詰め寄る。やれやれまた来ましたよ、と、つなぎ姿の三人はカヴェナンターの肩部に仁王立ちする男へ視線を送った。


「馬鹿が。こっちこそなに勝手に描いてんだって言いてえぞ、イヴァン」


 命綱もつけずにカヴェナンターの身体を伝ってひょいひょいと降りてくる。砂埃を舞い上げて着地するや否やイヴァンに鉄拳が飛んだ。フィリップがたまらず目をそらすほどの速さだった。


「いってえ……!」


「まったくお前は保安基準とかいうのを知らんな。救出装置の表記に重ねて落書きする奴があるかよ、場所を選べ場所を」


 顔をゆがめて金髪の頭を抱える。しかし一〇秒もしないうちに歪んだ顔を戻してしまう辺り、慣れているのだろう。もしや作戦時のヘルメットすら不要かもしれないとフィリップは妄想し、また搔き消した。


「だってそんな難しいのわかんないもん」


「あのなぁ、回収班が救出装置の場所がわからなかったら表記の意味がねえだろう」


「俺墜とされないもんね!」


 フィリップは急に恥じらった。共感性羞恥である。


「……何してんだイヴァン、ガキじゃあるまいし」


 男だらけのむさ苦しい空間に女性の声が差し込む。気怠いが、それでいてもよく通る声だった。


「班長もコイツに悪絡みすんのほどほどにしといたほうがいいですよ、痛い目見る」


 腰まであろうかという髪を煩わしそうに耳にかけた。目に入る横顔は類を見ないほど美しいが、眼差しはそれらすべてを凌駕する鋼のような鋭利さだった。

 AP乗りのブーツをコツコツと鳴らし、女性はイヴァンの頭を撫でてやる。同じ金髪なこともあってか、まるで親子のようだった。


「……もうそんな痛くないって」


「いやぁ、今回も見事な腫れ具合が心地よくてさ。また頼むかもな」


「なんだよそれ」


 微笑ましくも思える光景は、鋭い眼光で消え失せた。

 フィリップの口から微かに頓狂な声が飛び出す。相対する女性の切れ長な目は、さしずめ刃のように鈍い輝きをもって瞳を見つめていた。

 恐ろしい。フィリップは心中で呟いた。

 口になどできない。前線から帰還した人間の顏は教練でも見かけたことがある。しかしその眼差しには、故郷の景色を再び見られたという安堵が感じ取れたのだ。他方この瞳には生存欲ではない、無限に湧き上がる渇望とでもいうべきものがあった。

「生きたい」ではなく「ここで生きる」という、明確な意思である。


「……お前がウィリーの言ってた新人か」


 敵より先に味方に殺される恐怖を覚えた。流れる汗を拭う間もなく、整った敬礼をもって応じる。


「本日付で、第四〇四特殊車両戦隊——」


「……めんどくさそうだ」


 言い終える前に、女性は眉をひそめた。


「大体イヴァンと同類だろうな。お前」


 もっともな指摘が飛ぶ。それも、一度目にしてから三分とは経たずに。


「も、申し訳ありません」


「いつまで軍人ゴッコやってんだよ」


 心底規律にうんざりするように言い放った。咎めるように片方の瞳がフィリップを射抜く。


「ここ戦場だぞ、わざわざ小難しい敬礼なんざ使って骨折れるわ」


「は、はい」


 型に囚われないのか、軍の中では問題児というのか。敬礼するフィリップの右手がにわかに崩れた。狼狽する様子を正そうとする風もなく、女性は再び言い放った。


「で、名前は」


 いずれにせよ、第四がかなり特殊な小隊というのをフィリップは肌で理解する。


「フィリップ、フィリップ・ノア少尉。です」


 女性の瞳がわずかに見開かれた。ほのかに赤みがかった、燻る炎のようなそれに光が差す。

 そしてどこかばつの悪そうに、重い口を開いた。


「フィーナ・ミオン。階級は中尉。……まぁよろしく」

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