El

せいばー

本文

プロローグ

 西暦二〇二二年。その年は変革の年だった。

 宗教対立、鬱屈した景気、過去の戦乱に対する遺恨の念。人々の感情は地球という青き美しい太陽系第三惑星のもとでじりじりとした燻りを漂わせていた。


「世の中は今日も変わらない」


 いつしか人々の間でこのように穏やかな皮肉が交わされる頃には、かねてから資本主義を主とする西側諸国、共産主義を掲げる東側諸国との間で軍事対立の緊張が芽生えて久しかった。

 遂に戦いの火ぶたは切られた。理由は些細なものだった。東側のさる大国が西側との緩衝国へ突如として派兵を敢行したことによる。

 当然ながら核戦争への懸念もあり、西側、東側の両陣営は緩衝国の大地が見渡す限りの荒野と瓦礫で敷き詰められ、武器なく死にゆく人々の反戦、憎悪、断末魔が響き渡るさまを防音処理が施された軍司令部で見届ける以外にすべはなかった。

 言うではないか。「核戦争に勝者はない」と。

 しかし、愚かな当時の人類が結果的に地上の七割を砂漠化したこの戦争は、選択肢を与えられず勝者を決定するに至る。

 人類が本来の土地を捨て、海に移り、地下に移り、酸素生成プラントの煙突が吐き出す大気無しでは種の存続すらが危ぶまれたとき、その旗は高々と翻る。

 北極圏から見渡す地球をオリーブの葉で母のように包み込み、また父のように雄大な紺碧色オーシャン・ブルーで彩られた国際連合旗。見る者に希望と平和を想起させるそれは、復興したニューヨークの街並みのシンボルとして今日もはためいている。


        * * *


 二〇三五年のクリスマスは、穏やかに訪れた。人々は冬の風に靡く青い希望の象徴のもとで、家族や友人、恋人と手を取り合いネオンサインが彩る街並みへ足を踏み入れていく。

 同じように、冬の風にコートの裾を抑えながら国際連合本部、安全保障理事会へ入構する一人の男がいた。

 曹天成は、至って普通の背広にまた普通の感情を抱きながら、ただ眼だけを鋭く輝かせ自動ドアを抜けていった。五十路に相応しく刈り込まれた白髪交じりの短髪に劣らず、眼差しと結ばれた唇には職員の誰もが足を止め、礼を尽くした。


「ご苦労」


 一人ひとりに表情を和らげ、簡潔な謝辞を述べながら手にしたコートを秘書へ預けた。


「揃っているか」


 傍らの秘書に告げる彼の声には、若干の沈みがあった。できることなら、この責務から逃れたい。立場にふさわしくもない感情が心中では支配している曹であった。


「……はい。各国、各大陸の暫定政府は既に」


 時計を一瞥し、急ぎ足で秘書は答えた。

 曹は深く頷き、秘書へ会議中の入室を禁ずると安全保障理事会会議室のドアを開ける。


        * * *


「どうするのです」


 詰襟のスーツを着こなし、初老の男は心底うんざりした様子で提議した。

 だが、その問いには誰もが口をつぐみ、答えることはなかった。人々が見て見ぬふりをしてきた地球規模の問題は、もうこの場での結論を急がれるほどに膨らんでいる。


「減らすしかない」


 この場にいる全員が、結論は持っていた。だが、口にできない。人類八〇億人を「間引き」する覚悟が、指導者である彼らにはないのだ。それが意味するのは殺人鬼としての汚名を背負い生きる覚悟と、歴史に名を残し、人々に冷酷な視線を死ぬまで、いや死後ですらも受ける覚悟であったからだ。

 議論が紛糾するのも当然のことである。人殺しをどこまで許容するかなどという議論が、よもや国際連合本部で行われているとは八〇億人の人民が知る由もないであろう。


「諸君———」


 普段通りの長い沈黙ののち、曹は重い口を決意とともに開いた。

彼は過去に行われた地球独立戦争の実行者であり、その手腕をもって現体制をゼロから作り上げた、まごうことなき地球の支配者である。他人からの評価としてはそれであり、発言の影響力一つとっても地球で右に出るものは存在しえない。

だが彼もまた不完全な人間という生き物で、その内面を知る者は誰もいない。ポーカーフェイスは地位の上昇とともに上達してしまい、本部の議場に立つ彼は自分自身に操られたパペットも同然である。


「我々の目的はなんだ」


 ぴん、と空気が一層張り詰める。


「戦争によって地球をひとつにすることだったか。誰もが分け隔ての存在しない、まるでおとぎ話の理想郷を作り上げることだったか」


 そうだったかもしれない、と列席者たちは眉をひそめる。自分たちが行ってきたことは正しいのだと、自分に言い聞かせるように。


「違う」


 だが、男は声を張り上げた。列席者たちの目が、一斉に見開かれる。


「我々は神などではない。人だ。銃弾の一発や二発で倒れ、大方一〇〇年も生きれば死が待っている。そんな脆弱な生命なのだ」


 人のためだ。私たちが戦ってきたのは。


「分かっているだろう諸君。ただ人々の笑顔のためなのだ。この組織があるのは」


 凛として、立ち上がる。これはもはや戦争ではない。人類そのものの、生き意地なのだと。


「神が我々を笑顔にできないのならば、我々の手で作り出すのだ。人の笑顔を」


 かすかに肩を上下させる男を見ていた彼らの目は、もう下を見つめることはなかった。


        * * *


 二〇三五年一二月二五日。

 この日をもって、人類は歴史上はじめて団結の光を見た。

 人のために人を殺すという、悪行のもとに。

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