闇に埋もれて

詩章

第1話

 だいだいの空に薄闇うすやみが差し始めると、僕の中に安らぎが生まれる。

 それは、あの頃の僕が必死に夜の闇に埋もれようとしていたことの名残なごりなのだろう。


 自分勝手で、それでいて不安で、闇の中で必死にもがいているような恋だった。どうやって愛せば、どうすれば愛されるのか分からなかった青い春の季節。


 僕はどうしたって子供で、同い年の君は僕よりも少しだけ大人だった――。




「あのさ、私と付き合ってみない?」

 夕暮れの通学路に、彼女の唐突な提案がポツリと浮かんだ。

「え? 本気? ……からかってんの?」

 僕は、彼女のことが好きだった。だけど彼女はきっと僕に気がないと思っていた。だからこそ、僕は彼女が冗談を言っていると思った。

「なんで? 私が君のことを好きだと変かな?」

 僕はその質問の答えを持ち合わせていない。驚き立ち止まった僕と彼女の距離は2,3歩程度。だけど心の距離は酷く離れているように思えた。そう思ったのは、僕に恋愛の経験が無かったからなのかもしれない。

「わからないよそんなこと」

 わずかな沈黙に彼女の声がポツリと落ちた。

「そっか。残念」

 その言葉から、彼女が通学に使う駅に着くまでの間、二人の足音だけが心音しんおんのように一定のリズムを刻んでいた。だけど、僕の心臓はなんだか様子がおかしかった。

「じゃあね、また学校で」

 手を振る彼女に何かかける言葉があるような気がした。それでも、口から零れたのは別れの言葉だった。

「またあした」

 彼女に背を向け歩き出した僕は、無意識に俯いていた。辺りは真っ暗で、夜の匂いがした。

 等間隔に差す街灯の明かりが視界の端に入ると、景色が滲みぼやけていた。


 僕は泣いていた。


 人気ひとけのない路地で立ち止まり、嗚咽に浸った。

 すると、震える体に背後から腕が回された。

「わからないなら、教えてあげる。私は、君が好きなんだよ。ずっとずっと前からね」

 僕の背中に顔をうずめ、彼女はそう言った。

「君は、どうかな?」

 ゆっくりと回した腕がほどかれていく。体が離れ、二人の距離が開く。

 制服の袖で涙を拭い、僕は振り返り彼女と向き合った。

 あたりに街灯はなく、月明かりに照らされた彼女の頬はわずかに紅潮していた。胸がきゅっと締め付けられるような息苦しさに、僕は戸惑う。

「ねえ? どうなのさ?」

 催促されて思わずたじろいでしまう。

「あ、あのさ、嘘……とかじゃないよね?」

 彼女の顔が歪んだ。明らかに、機嫌を損ねたことがわかる。失敗したと思った。だが、思ったときにはもう遅いのが世の常だ。

「君、最低だね。私の初めての告白を疑うなんて。もう知らない。帰る」

 思わず僕は、彼女の手を掴んでいた。体が勝手に動く、ということは本当にあるようだ。自分の行動に驚いて、いつの間にか口が開いていた。

「あ、いやその……」

 引き留めたはいいが、振り返り僕を睨む君に対して、言葉が続かない。想いは確かに言葉に変換されているのに、言葉は彼女の耳には届かない。

 本当は、僕も好きだと君に言いたい。だけど、なぜかそれができなかった。

「これが答えってことでいいのね?」

 掴まれている自分の手を揺すり、彼女は僕に問う。僕はコクリと頷いた。

 夜の闇に彼女のため息が霧散した。

「もー疲れたぁ! 君のせいで! ばか!」

 そう言って彼女は振り返り僕に抱きついてきた。

 硬直する僕は身動きが取れず、密着する彼女の身体からできるだけ離れようと無意識に体を反らせた。

「違うでしょ。手はこう」

 一度腕をほどき、内側に拘束されていた僕の手を自分の背中に回した。先ほどよりも密着し、より伝わってくる彼女の体温、感触、匂いに、僕は確かなものを感じたんだ。緊張の中に芽生える幸福感を。

 そして僕は、彼女をそっと抱きしめた。


[つづく]

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